みなさんがこのレベルで見ているのと同じように、「自分」という個性があります。
ですから進化していく、発見する、と言いましたが、実際にはより多くの、もうすでに自分だった部分を「思い出していく」ということです。
どうでしょう、明確でしょうか?
自分ではない誰かになりたい、と人は願うこともあるでしょう。
羨望というか、羨ましさというか、サッカーをしたかったけど、親の協力がなくて叶わなかった、自分の息子がサッカーをしたがった時に、毎週の試合の遠征や、送り迎え、遠征先のホテル代、お小遣い、そういうものすべてを家計費で賄う、実家が太くないと、おばあちゃんがいて、用事をやってくれるような大人が近くに住んでるとか、環境に恵まれないと出来ない事というのは、現実ありますね。
息子の夢であったサッカー部を協力出来なかった事は、申し訳なく思っています。
でも、それをたてに、親ガチャ失敗とか、子ガチャ失敗とか、言いたくないです。
親ガチャというのは、親の支援があった子供の方が将来有利であるという理論らしいです。
それはそれでいいのですが、全部が全部思った通りにいかなかった事なんて捨てるほどあったと思うんですよね。
じゃんけんも勝ち続けられないし、くじ引きもハズレを引く確率はあるでしょうし、行った観光地が外れた、店が外れた、当たりを引く確率の方が低いですよね。
Jリーグチップスのカードも思った選手ではなかったり、遊戯王カードも然り。
自分の時代はアイドルのブロマイドを駄菓子屋においてあって、引いたりしましたね。
普通に自分も、当たり目指して買っていました。
友人は束ごと買ってました。
お小遣いをたくさんもらっていたんですよね。
不平不満は言っても何も始まらないです。
誰も救ってくれないです。
自分の足で立ち上がるしかないんです。
要は愚痴を言う時間が短いほど有利なのです。
言っても変わらないので〜。
自分たちは牛乳をヨーグルトにも出来ない存在なのです。
そういう能力は人間では無理だと思います。
牛乳は牛乳、ヨーグルトはヨーグルトの良さがあり、良いところを伸ばす事だけは自分たちに出来る唯一の事なのです。
個性、ということです。
誰かになろうと思わないほうがいいです。
苦しみの元です。
自分の事を一番わかってあげられるのは自分です。
自分を伸ばした方がいいです。