意識の変化とは、先程もいったようにバランスです。
このレベルと他のレベルのバランスを取ること、すべてをここに取り込むことなのです。
ちびっこ達の見るショーみたいなものを見た事があると思います。
自分も過去に連れて行ってもらいました。
ショーって、人がたくさんいるから迷子になったりしますよね。
自分が悪いのかどうかわかりませんが、二回迷子になっています。
そら、お前さんが悪いんだよのさっ。(ピノコ)
仮面ライダーショーもいやいや見たのですけど、(だって女の子だもん)自分だけ家族や親戚のグループとはぐれてしまい、一人で迷子の案内所に行き(大人)、待機していました。
が、一向にお迎えにくる気配がない。
呼び出しを聞いてみると、自分の名前ではなく、母の名前で呼び出していました。
向こうの連絡ミスで、にっちもさっちもいかねえな、と子供心に諦めて自分で、見つかったと行ってさっさとそこから出て自分で探し出しました。
人が掃けていって、ようやく母を見つかりました。
母の一声が「あんたどこ行ってた?探したよ?」でした。
まあ見つかって良かったです。
二回目は母の妹と花火大会に行った時です。
ふみちゃんは、小さい頃から、車を乗り回し、色んな所に連れて行ってくれました。
マジでふみちゃんには感謝しかありません。
ふみちゃんが犬や自分の小さい子供に夢中で置いていかれた感じになり、人混みに紛れて、マジで焦りました。
このまま会えないのなら、徒歩で家に帰ろうと覚悟していました。
でも、なんとか、再会を果たし無事に合流出来ました。
あれ以来、花火大会には軽いトラウマがあります。
ホテルの部屋から見れるとか、イオンの駐車場から見えたとか、観光地で遠くから見れたくらいの思い出しかありません。
川のへんぴな場所で、母とおばあさんと安倍川の花火を見に連れて行ってもらったくらいです。
市民なので、何回かは見ていますが、恒例で毎年見てますっていうわけではありません。
花火と言うより花より団子。
自分の中ではお婆さんか、母に買ってもらったうなぎの方が思い出します。
事故って、どちらかが悪い。
100%ということは、ほとんどない、というのは、交通事故なんかでもそうですよね。
たまたま目に入る場所に見えなくて、だろう、運転をしたら、ガリガリーっとやってしまったり、人によっては、走ってたら電柱がぶつかってきた、とかいう方もいます。
人間関係も絶対に100対0はないと思います。
生きてる死んでる関係なく、死んだ人はカウントしないほうがいいです。
死んだ人が悪くても罪を問えないからです。
過去についてはご先祖様代々からの因果関係を言えば、キリがないです。
バシャールの言うバランスとは、自分と他者とのバランスをうまく取れるようになるのが大事だと言っていると思います。
現実でも、ストーカーなど、相手の気持ち無視で、自分再優先の人が増えてきてるのは、利己主義が増えているということでもあります。
自分しか見えていないというのが、他者から見たら怖く感じるのでしょうか。
まあ、怖いですね。
ですが、今の時代はですね、自分の欲求を優先して、他者を無視して上手くいくっていう世の中ではないのです。
人には根底に良心がありますので、自分の良心で滅びてしまうのです。
天につばを吐いたら自分に返る、という昔ながらの言い伝えをおろそかにするべきではなく、教訓として取り入れることをすすめる理由は、自分たちもバランスの中にいて、一方的にどちらかの圧力でゴリ押しをするようには出来ていないという真理があるからです。
調和が大事になっていきます。
コインの裏表をバシャールはよく例え話をするのですけど、1円は裏も1円だし、
100円は裏も100円です。
いい悪いはないのです。
賭け事も、100円かけたら100円勝ちますね。
かけ何倍というのは、例外なのでここではちょっとおいておきますよ。
バランスが取られていない時は強制的に取りますよね。
跳ね返りが大きいのはマイナスだということです。
輪ゴムを思いっきり引っ張っても、更にビヨーンと向こうに逆に飛ぶだけです。
状況はなすがまま、のほうが上手くいく場合が多いです。
焦ったら余計に失敗しますよね。
抵抗はしないでください、とバシャールもいいます。
生まれ持った器があります。
それをそのままにしておくのか、拡大させるのかは、自由です。
拡大というのは、ゴムを伸ばす事ではなく、視界を広げる事です。
競争も争いもいらないです。
競争させられていた、というのが正しいです。
競争はいらないのです。