みなさんは自分の人生を創り上げる芸術家です。
好きな色を塗り上げてください。
自分がなりたい個人になることによって、他とつながってひとつになることができます。
すべての部分が一番強くなれるだけ強くなったとき、全体がその強さになることができます。
自分は、死んだ家族や親戚にお祈りをしているのですけど、繋がっちゃう時があります。
そうすると、彼らはただ見えないだけで、他の場所にいるんだなあと思います。
みなさんも死んだ人の好きだったもの、嫌いだったもの、わかりやすいように彼らは、合図を送ってくれています。
おばあさんと葬式に出て、火葬の最中に外に出て、栗、いがぐりを拾った事や、映像や、物、などが目に入って来る時、彼らはそこにいるのです。
あなたを忘れたわけではありません。
それどころか、毎日毎瞬あなたを想っているんです。
自分がとても辛いとき、本当にどうしたらいいのかわからない時、自分は死んだ父が来てくれるんですね。
最近は用事で東京に行った時も、電車って複雑でわからなくなる時もあって、自分はかなり行き先を間違えたりして、不安になったりしてても、オロオロできないし、平気な顔をして、待っていたりしてた時に、向こうから父が来たんです。
あっって思ってもう一度見たら、女性でした。
似てるとかそういうことではけっしてありません。
死んだ人には心の中はお見通しですから、きっと心配をしないように来てくれたんだ、って思ったら、胸が苦しくなってきて、電車で思い出して泣いていました。
りんかい線のはずれの駅だったので、人は二人いましたが、爆睡していて、心置きなくハラハラ泣いていました。
素晴らしい時間でした。
霊界を信じてる信じていないに関わらず、こういう体験をしているので、それが当たり前だし、信じない人にどうこう言うつもりはありません。
今日も、凄く心配な事があったのですが、悩みながら過ごしていると、父の映像が見えて、父が自分と一緒に行ったガストでの夕食が楽しかったと言ってきました。
近くにファミレスはガストしかない田舎の地方なのです。
どこか、というよりかは、誰と、の方が重要です。
自分も忘れているような事を、彼らはしっかり覚えてくれています。
お父さん私もお父さんと一緒にガストに行って食事した事、凄く嬉しかったよ。
本当に良い思い出だよ。
家族だから照れちゃって言えない事ばかりだったけど、父との数少ない思い出と一緒に自分も頑張ります。
お父さんが、頑張れって言ってくれたからね、今日。
だから頑張るよ。
家族の存在は、宝物です。
私達は死んでしまった人とも繋がれるのです。
彼らは仏になっているので、たいていの事は許してくれています。
好きだった家族も呼べば来てくれます。
お別れはないのです。
いつでも来てくれます。
それをただ私達が忘れているだけなのです。