みなさんは自分の人生を創り上げる芸術家です。
好きな色を使って塗り上げてください。
自分がなりたい個人になることによって他と繋がってひとつになることができます。
すべての部分が一番強くなれるだけ強くなったとき、全体がその強さになることができます。
小学校や、自分は保育園に行っていたんですけど、そこの保育園は、野放しという事はなくて、カトリック系で、中に教会がありまして、礼拝ミサをしたり、クリスマスのお祝いをしたり、もちろん日本なので、七五三のお祝いの飴ももらったりして、異様に充実をしていました。
というのは、自分も若くして出産して、自分、夫の両親共に、面倒を見てくれる大人がいなかったので、自分はノイローゼになってしまい、しばらく通院という名目で子供を保育園に通わせていました。
保育時間が短いほうが、お母さんも疲れないだろうから、という行政の親切に甘えさせていただき、子育てをすることが出来まして、子育ての際にお世話になった方たちに、感謝を捧げたいと思います。
自分の子供は、3万円くらい、保育料を支払っていたのに、しょぼかったです。
多分もっと払っていました。
え、授業とか、ないの?
公立と私立では、方針が違う?
(こんなにハッキリ行ってごめんなさい)
まず、おやつのショボさ。
一日お母さんが子供の保育園に帰りまで一緒に参加する行事がありまして、二人ずつお母さんが一日いる日がありました。
遊び様子が見られるのです。
そこで、給食やお昼ごはんをいただきました。
ご飯もおやつも当たりだったようですが、おやつは、量が少なかったです。
例えると、家で食べる時に買うアイスの6こパックの箱というとわかるでしょうか?
今の子は量より質なのでしょうか?
自分はもっともらっていました。
おかわりもあったように思います。
でもまあ子供用ということで、小さくなっているのかな。
自分の時は牛乳は必ず昼とおやつの時間に飲まされていたし、ヤクルトも飲んでいました。
子供目線と大人目線は違ってみえるのかもしれません。
でも自分のとこは、保育園卒園の時に、ネックレスも頂いたので、マジで感激だったことを覚えています。
自分が大人になってそこの保育園の教会に通うようになって、先生だった方も数人いまして、子供も園の遊具で遊べたし、車に轢かれる心配もなく、友人も出来て、良い子供時代を過ごさせてあげられました。
話は長くなりましたが、歌の時間楽器の時間、工作の時間、絵を描く時間、運動の時間、本を読む時間、神父様に神様の話を聞く時間、自由時間、とわりとざっくり言っても保育園の教育方針がすごかったんです。
自分の子供の保育園の倍以上はみっちりした時間割がありました。
時代のせいといえば時代のせいかもしれないです。
週休一日の昭和の働きざかりの時です。
言ってはいけないけど、夜逃げとか、駆け落ちとか、普通にありました。
工作や、絵を描く時間も多く、泣きながら千羽鶴を折って手垢で黒くなった作品はひと目で自分のものだとわかるものでした。
先生の絵の上手さと器用さは子供心に、羨ましい気持ちでいっぱいでした。
自分は、人見知りベイビー😁だったので、同級生が先生に甘えたり抱きついたりキスしたりしてるのを見て、じーっとその風景を見てる子供でした。
恥ずかしがり屋さんでした~。
小学校の時は図工を嫌いな人はほとんどいないと思います。
遊びみたいなものでしたよね。
それでも上手い子は上手くなっていったりして。
自分も普通に好きだったし、絵の具の片付けさえなければ、毎日図工だけしたかったです。
二時間長くやるじゃないですか。
でも、みんななんか、楽しそうっていうか、無言で作品に向かっていたりして、ふんわりした時間だったなあと思います。
あの頃に戻りたいか、と言われればそうでもないです。
戻りたくない、というわけではありませんが。
今の、この時間が好きです。
たくさんの色があって、それを個性と呼んで、混ざり合ったりして、新しい色が出来ていく。
色なんて、組み合わせ次第で無限に作れるのではないでしょうか。
バラ色の人生がみなさんに起こりますように。