今みなさんの世界に向かっている方向、進化の方向がそれです。
そしてより多くの次元の意識の向かっている方向も、それなのです。
すべての現実が、自分自身を発見し、「絶対的な全体」としての自分を発見する方向(あなた自身が、どの部分も欠けることのない完全な存在であり、世界、宇宙、神そのものであるという認識)に向かっています。
どんなにどんなにどんなにどんなに頑張ってもカルマがあると、それはかないません。
よく、叶うまで頑張るって言う人がいるんですけど、最後は潰れます。
それは、カルマがあるからなのです。
だから、要は結局のところそれは、ワガママなんですよね。
ワガママは、結構通用してた時代があり、人がいるんです。
が、しかし、最後はやっぱり先細りになるでしょう。
普通にワガママは通用しないですよね。
ですが、以前や、今まで、喧嘩が強くて威圧で、人を押しのけたりすることができたのです。
それが、インターネット普及で情報が膨大に見れる事ができ、ある意味平等になったわけです。
自分は八方美人の人って、羨ましいなって思っていたんですけど、八方美人が過ぎて嫉妬というか、店の客と深くなりすぎて、店を放火されたおばさんがいました。
その女性は、とてもいい人でした。
悪い部分を見た事がなかったです。
長い間飲み屋にいた女性でした。
お店をたたんだのか、店を辞めたのか、詳しい事はわかりませんが。
でもそれが、悪く出た時に、憎まれたり、大喧嘩したりして、要はまあ、ズバズバモノを言うので(妄想)相手もカーっとなって、暴力で訴えるようになる。
愛憎劇ってやつでしょうかね。
人は見た目によらない。
こういう事実をいつも自分は見てきたからです。
人との距離は腹八分と言いますが、友人になってもいけないし、客に、ぶっきらぼうも感じが悪いし、距離感っていうのは、自己満足の世界なのではないかと思っているのですが、距離が近くなれば楽しいというわけではなくて、酷い部分も見えてくるし、見ないといけない、というマイナス面が必ずあるものです。
自分は彼女を見て、女性は見た目じゃないって思います。
ひろゆきの動画に目の細いおっさんがよく出ていましたが、彼女はその女性バージョンそのものでしたね。
ビックダディみたいに頭をタオルで巻いちゃうような女性でした。
結局、男と女というより、人間ですからねえ。
人って、やっぱり自分に良くしてくれる人を好きになりますよね。
それが男女だった場合に事件に発展することもあるよ?というだけなのだと思います。
人間関係は、いつでもやっぱり学ぶために出会うのでしょう。
そりゃ、出会いがあれば、別れもあります。
そういうのは、幸せだったり、悲しかったりして、感じながら生きていくんだと思うんですけど。
自分がこの歳で、思うことは全て学ぶためだ、ということを思えば良いんじゃないのかな。
ペット飼うと死んじゃうじゃないですか。
それが嫌なので、飼いたくないんです。
お別れはいつも寂しいです。
友人との疎遠も寂しいし、男女と言ったらもう。
自殺レベルでしょう?
出会いたくないのに出会ってしまうのが、恋愛だ、と言われています。
出会った時は凄く楽しいですよね。
でも別れは寂しいです。
バシャールが、進化の方向に行ってるから、順調だよ☆っていうふうになれない時もあると思います。
絶望そのものですよね。
でもバシャールはひとりひとりが、完全な存在だと言っています。
世界、宇宙、神そのもの、ですか。
前にバシャールはこうも言っています。
みなさんは、自分と他人は別の人間だと見ているかもしれませんが、「創造」は、まったく区切られていない、100%均一なものです。と。
他人を信じられない時、実は自分を信じていません。
他人の悪口を言う時、不甲斐ない自分が嫌いなのです。
つまるところ、独り言っていうことなのですから。
月並みですけど、別れたりとか、誰にでもあると思うんですが、悲しいって事は、本気で一生懸命出し切るとこまで出し切ってそうなってしまったんだから、最後は、自分を一番ねぎらってあげたいなあ、と思うのです。
それは自分が一番よく知っているはずです。
結局のところ自分が一番わかっているのではないでしょうか?