みなさんは今まで、なにか起きたときには、「これはこういうことだ」と、教えられてきました。
起きているのは「中立的」なことなのに、それに意識的に、無意識的に意味を与えます。
Happy New Years, Everyboday
🎉
バシャールの今年はじめの、一発、ガツンときました。
今日、朝早々近くの神社に初詣(はつもうで)に行きまして、少し嫌な目にあったのですが、通常運転でして、いつも自分に起こることなのですが、初詣という事もあり、なかなか、コタエました。
帰ってからも少し考えてしまいました。
でも、なんというか、全てが中立であるのなら、ここにもその法則が当てはまるのではないかと思いました。
冷静になり、もう一度考えました。
すると、今までとは違う考え方が思い浮かびました。
自分は自分を責めてしまう傾向にあるのですが、今回は自分に責任を負うやり方を少しやめてみました。
誹謗中傷をされたのですが、自分がいつも言われる方に原因があるのでは、と思っていましたが、自分は相手に対して何もしていなかったんです。
存在そのものが不愉快だ、というのは、流石に社会生活として、いけないのは、相手側だと思います。
正月なので、良い服を着て、でかけた。
それだけで、不愉快に思うような人もいるのです。
人には、オシャレをする権利もあるし、初詣に行く権利もあります。
不況と言われて、経済が大変な状況だからといって、オシャレまで自粛しないといけないのか?
問うと誰もがきっと同じ答えになると思います。
でも人間には感情があります。
気に入らない、それだけで嫌がらせも発生します。
だから、みんな無難な服装や万人受けするような会話しかしなくなり、個性がなくなり、つまらない人間になり、つまらない人生になっていくのです。
確かに、円安の不況は見過ごす事が出来ない問題ではありますし、各家庭で自粛生活は必要でしょう。
自分も人から言われないような模範的人間になろうと思いますが、嫌われないような色選びとか、服装選びという、他人を軸とした考えで服を購入したくないというか、自由に着たいので、いつも服を買う時は葛藤するのです。
ですが、オシャレというのは、本来なら自由でいいと思います。
昔・アメリカの大型スーパーに行った時、ショッキングピンクのワンピースを着てるおばあさんが、歩いていて、金髪で可愛かったんですよね。
自分もこういうおばあさんになりたい!と思いました。
だから、ピンクも着ていましたが…………
年齢的にきつくなってしまいました。
過去のアメリカとまた違ってきていますし、目立つ原色を着る人もいないと言えばいないです。
今は、色を抑えて着こなしてる白人が多いように思います。
時代とともに服装も変化してるみたいですね。
でも、スピリチュアル的には明るい服のほうがいいって言ってるしなー。
自分の事が好きでないから、他人も好きではない。
これに尽きるのではないかと思います。
だから、真逆になっていく時代にはもうなっていると思うんですよね。
いい人ばかりになるといいな。
初詣の数日後の事ですが、嫌だった事、された事をすっかり忘れていました。
えー、自分は何をされたんだっけ?
とまあこんな感じです。
要は人の怒りの矛先なんて、思い出せないのです。
そういうことです。
起こることに意味はない、というのは感じる側が感じてしまうからなのでしょう。
初詣をしたら、やっぱり良い事がありました、という話でした。