バシャール④

2024年01月03日 07:47

思い込み

私達は知っています。みなさんがいくら頭の中で「これは肯定的なんだ。これは肯定的なんだ。これは肯定的なんだ。」と言い聞かせても、そのとき足が震えていたら、それは心の中で「これは否定的なんだ。これは否定的なんだ。」と言っているのを打ち消そうと一生懸命に肯定的に見せているにすぎない、ということを。



まあ、そりゃそうですよっていうくらいに、当たり前の見解ですね。
度合いにもよるけども、パチーンとビンタをされて、痛い(痛さも度合いによるけども)時、「痛くない、痛くない。」と言い聞かせる事は誰でもすると思います。
でも、アジアンヘイトしてる黒人から、いきなりパンチを食らったら、脳しんとうをおこしてしまい、痛くない、の話どころではないです。
これは、会話でも起こり得ます。
自分の予想と違う返事が返ってきた時、ビンタなのか、強烈パンチなのか、予想外の事だった場合、痛みは伴いますが、パンチを食らっても痛くないって思い込むのは無理でしょう。
痛いものは痛いのです。
痛くないふりをしなくてもいいし、パンチなんてされてない、とシラを切らなくてもいいのです。
起こった事は起こった事なのです。
それによって、感じる事が重要な事なのです。
よく偶然は必然という風に言われていますが、偶然も必然もクソも味噌も同じというやつなのでしょう。
起こった事はなかった事にはなりません。
起こりたくない状況が起こった場合、どうすればいいのでしょうか。
抵抗するのをやめましょう。
悲しければ悲しめばいいのです。
人間お腹もすくし、三欲というものもありますので、思うようにいかないこともあります。
フラレた時によく言いますけど、あなたの価値がわからない人なんていらないよ!って言う人も多いと思います。
それは、すっぱい葡萄とは違うものです。
貴方の価値は人から来るものではないよ、ということです。

負け惜しみを言うくらいなら、悲しんでいるほうが人間っぽいと思います。
自分は凄いんだよ。というのが相手には通用しなかったのです。
サッカーファンが野球を理解出来ないのと同じで、好みの問題なだけ。
事実は事実として処理すればいいのです。
自分は野球が好きではないんです。
何故かと言うと、長いので。
凄く嫌いというわけではなく、なんとなく嫌いくらいですけど、
好きでないものを、好きにさせるのは、難しいと思います。
食べ物で嫌いなものを食べさせようとする人の事は、普通は嬉しくないので嫌いになると思います。
それを選択しなくても生きていける方法は無限にあるからです。
好きではない相手に好きにさせようと強要しようとする事そのものがしてはいけない事です。
しかし、やってもやっても手応えは感じないでしょう。
無謀は無謀です。
無謀の果てには絶望しかないでしょう。

そもそも強烈パンチは原因がなければされないです。
やってはいけないことをしたから、そうなったのですから。
そもそも強烈パンチをしなければいけないくらいに、憎しみ合ってる人と一緒にいてはいけません。
そこまで、気が付かないのか気がついて相手の意志を平気で無視するのであれば、憎まれて当然です。
人は神ではありません。
相手を何でも言うことを聞いてくれる都合のいい人だと勘違いをしているのです。
そんな人いません。
いたとしても、影で呪っていると思います。

相性は大事です。
自分が嫌なものは嫌でいいのです。
自分を信じましょう。

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