もう一つ思い出してほしいのは、「状況は常に中立だ」ということです。
フィルムのひとコマを見て、そこでなにが起きているか、どういうことがいわれているかを理解する必要はありません。
というより、理解できないのです。
実際に何コマも動き始めてから初めて、内容がわかります。
人生の中に起きるいろいろな状況は、ちょうどこのフィルムのひとコマひとコマのようなものです。
そのひとコマに、自分が与える意味から、物語が創られます。
起承転結がありますよね。
日本人ならわかると思いますけど、物語の型ですよね。
たった15秒のコマーシャルにも起承転結があります。
確かに、起承転結から見れば「起」から「結」は見えて来ませんね?
だって、「承」と「転」が間にあるので、どんでん返しもありえますよね?
物語の作り方として、ハリウッド映画なんかでは、ガードマン、門番の人がいきなり殺されて、敵の怖さを最初にアピールさせてから、主人公の、いつもの平凡な日常シーンがあって、いつの間にか巻き込まれていたりします。
起承転結がマンネリ化しすぎて、悲しい終わり方になったりする映画もありますけど、悲劇の終わり方はやはり批判が多かったりします。
全然人気出なかったりして。
最後はハッピーエンドで、という暗黙の了解という普遍的なルールにしたがって創作されると一般人にウケが良いと思います。
まあ、人間は過酷な現実に毎日立ち向かっているのだから、物語はハッピーエンドを求めてしまうのでしょう。
作り物さえバッドエンドならば、希望もへったくれもありません。
結局、見る側は、幸せフェロモンが出せれば満足なのです。
この世の中も捨てたもんじゃないな、って。
明日も頑張ろっと。とか。
冷めた言い方でしょうかね。
不味いモノより美味しいモン食べたいでしょ?
それが普通でしょう。
いつもの普段の生活にはないやり取りも求められたり、感動シーンなんかも欲しいところですね。
回想シーンで、画像がゆっくりしたテンポで友人達と笑い合ってる様子が流れていきます。
ピンチだった時に仲間が咄嗟に(とっさに)口をつく言葉は名言にもなったりします。
その名言は、自分の辛い状況に当てはまった時に、自分に言い聞かせたりして、何度もリピートしてみたり。
自分も名言で奮い立たせる事はあります。
自分の基準はそれが、「目的が」ワガママなのかそうでないのか?
だと思います。
明らかにワガママだな、と感じるならば、それは迷惑行為でしかありません。
ですが、残念なことにワガママが通ってきているので、通そうとするでしょう。
通るワガママと通らないワガママがありますので、通らなければ、そういうことだと思います。
奇跡は平和と調和から起きます。
稀に、そうではない事もあります。
不安と不安がくっつく場合もあります。
自分がワガママではなく、心が本当に求めているのであれば、障害も障害ではなく、超えられるひとつのエピソードになります。
そして、そのエピソードは自分をきっともっと良くなるためのプラスの出来事になるでしょう。
ハッタリの人生は疲れるだけです。