自分の人生のいろいろな状況を、次のようなやり方で見てください。
自分が今劇場に座っている、と思ってください。
今からお芝居が始まろうとしています。
カーテンは、今開いたばかりです。
登場人物は何を言うか、どういう人達なのか、まだまったく知りません。
表面的に見えることは、実際にはなんの意味もないのです。
すべての状況は中立です。
そこにいる人物も道具もなにもかも、なにも意味を持っていません。
なんか、ですね、真実は、この世界はフラットみたいです。
般若心経もそうですけど、実際は幻だと言われているので、バシャールの言う事がデタラメだという事は出来ないです。
フラットな現実に対して私達は怒ったり、泣いたり笑ったりしているみたいです。
結局何の為に私達が生きているのかというと、体験するため、らしいです。
では、私達は体験するために生まれてきているのだ、という事を大前提として、これからも話を続けていこうと思います。
自分も子供時代は結構悲惨な目に合ってきました。
無視もされたし、親も不仲だったし、お小遣いも少なかったし、順風満帆な人生を歩んできたわけでもありません。
この世を何度も恨みましたし、人に嫉妬して苦しい思いもしましたし、それが今ないかと言えば全然そんな事はありません。
今もまた、同じように悩みも苦しみもあります。
お祈りしたり、お経を読んだり、マントラを唱えたりして、どうすれば良くなるのか?を試行錯誤して、毎日を過ごしています。
ですが、自分はこの世界が中立だということを、思いながら生きていくことにしました。
この辛かった出来事は、今度良い事が起こる前触れだった、とか、そういうふうに意味を見つけながら生活しています。
何事も習慣から始めていけば、本当にそうなっていきます。
辛いことは幸せをより楽しめる苦味である、と思えば良薬口に苦し、良い薬の役目を果たしてくれます。
何でも思いようによって変わります。
良い解釈をしていけばいいのです。
そうしていって欲しいと思います。
自分の希望通りではなかった場合も次に期待すればいいのです。
こだわらないようにしましょう。