確信を持てるかどうかは、自分の中で「どのくらいそれを信頼できるか」「どのくらい信念を持てるか」によって決まります。
確信なしに行動してはいけないということですね。
自分も確信はあったほうが良いと思います。
よく、引き寄せの法則で、「根拠のない自信を持つことが大切」という、事を言われていますが、日本語として、説明が足りないのではないかと思います。
まず、根拠のない自信が持てるかどうか?
ほとんどの人がNOでしょう。
マラソン大会で、練習していないのに、走り切る(記念走行とか、時間無制限は除く)事は、なかなか出来ないと思いますし、勉強せずに、無理目な学校の受験に臨む事は出来ないでしょう。
ということは、つまり、練習や勉強を自信を持てるまで、頑張る、ということでしか、自信をつけることは出来ないものだと自分は思います。
思ったように出来ないのがここの、三次元であります。
映像でいくら、簡単に見えても、簡単に見えるまでの過程をすっ飛ばして、出来る事はないと思います。
英語も、単語や文を繋げるのは、練習や実践は必須でしょう。
絶対に必要な事を必須(ひっす)と言います。
母国語でもない限り、話せても忘れていくものを、きちんと学び直して体得しなければいけません。
歌も、アイドルや歌手が上手く歌えるから、自分も出来ると思いきや、カラオケレベルでもかすれたり、思うように高音が出せないなんて、あるあるネタです。
根拠のない自信を持つことの難しさを、何個か連ねてみました。
英会話教室に通っていても、いざ、英語圏に旅行に行った時、注文の品ををちゃんと向こうがわかってくれなくて、注文したのと違うモノが来たりして、そういう失敗もあったりします。
10年間の英会話教室ががたいした結果になってなかったりして。
根拠のない自信をどうやって取ることが出来るのか?と疑問を持ちますね。
でも、根拠のない自信から、失敗して勉強になるのは良いんですけど、そこで、辞めてくじけてしまったりもするので、用心深くいきたいのなら、練習や、予習、復習、とか、ちょっと言い方が固くて嫌なんですけど、地道に調べて準備するくらいにして
根拠というものを集めた方がいいと自分は思います。
出来ると思っていても意外と出来なかったりします。
というか、出来ないと思います。
事実そうだと思うんですよね。
行った事がない場所で一発で間違えずに目的地までたどり着けるか?
現実は思っていたように上手く行かない方が多いでしょう。
出口入り口を間違えただけで、迷路に迷い込んだようにわからなくなるのは自分だけではないと思います。
漠然と捉えても(とらえても)モヤッとするだけなのではないでしょうか?
自分も勉強が得意だったわけではありません。
あんまり頭自体は良くないです。
試験勉強も大雑把な勉強しかしていませんでした。
ですが、後悔はしていません。
自分は真ん中くらいを行ったり来たり、だったです。
ですが、義務教育という若い時に基本的な事が学べて日本の教育や学校にはとても感謝しています。
無料だったなんて、マジで感謝です。
文化、教養においては、日本の教育制度が本当に素晴らしいものであったことを、感謝したいです。
ぶっちゃけ、学力の差はありますよ。
引き寄せの法則も、みんなが簡単に行えるということで、人気が出ましたが、理解が足りていない人が引き寄せの法則をしても、まぐれはあっても、再現性は難しいと思います。
再現性とは、同じことが何回もできるという事です。
確信とは、自分が思う確信とは、
過程も楽しむ事ではないでしょうか?
というのは、引き寄せ難民は、結果だけを追い求めています。
これやった!だから早く結果出て!
叶う前の前兆とは?というテーマで語り合う。とか。
前兆って自分が思うに考えてもいけないことのハズではないかと思うのですが。
期待は大体が裏切られるものです。
何かやったんだから、早く結果ちょーだい!
人生、先急ぐ人は、自分もそれで失敗しているのでわかるのですが、
早く結果を出して、抜け駆けされたくない気持ちがあるんだと思います。
要は焦ってる。
もしも、本当に本当にそれを引き寄せる事が目的ならば、そうすればいいのです。
でも、焦ってはいけないのです。
それは、根拠のない確信ですらありません。
根拠のない確信。
これは本当に言い方に語弊があります。
自信は持って良いと思います。
が、自分は根拠の無い自信を作るのも難しいと思いますし、
思い込む、という事は違うと思うのです。
表面は騙せるように取り繕っても、不安だから、急かしたり焦ったりするのです。
因果関係と同じです。
不安だから結果を出したい、逆に言うと、安心してれば結果ではなく過程そのものをコツコツやる。
それは、結果を早く出したいというスタンスは、とても自信があるからそうする、というテンションではないでしょう。
ゲームのうちのひとつ?
パワーでかっさらうつもりなのでしょうか?
でもそれは本当に欲しい物でしょうか。
人は信念が一番大事なのではないかと思います。
もし、信念があれば、多少の不幸もスルー出来るからです。
だって自分が正しいと思っているからです。
信念とは、人から言われて曲げられるものではありません。
中学校の時に成長する過程で、反抗期があるのも、親からの支配をも受けないように自立していくのです。
ましてや、何も自分の事を知らない他人の言うことで信念を曲げられるのが、無理な気がします。
曲げるとしたら、形だけは曲げてるように見せているだけなのかもしれません。
同調圧力でいっとき信念が曲がったように見えていても、根底は曲がっていない、というのが、自分の解釈です。
確信というのが、引き寄せの法則の要であったりもします。
自信は努力から生まれると思います。
脳を騙す、要は書き換えとか、言いますけど、考えてみればいいのですが、現実社会である時突然お金持ちになったとか、一躍有名になったという人の数はめちゃくちゃ少ないと思います。
何かしらの努力や、見習い期間があったはずです。
物語にすると大きい誇大した話を作ることが出来ますが、普通に生きて来て、ハリウッド映画のようなヘリコプターから、悪の組織に命を狙われるとか思い出したら言い出したらそれは、精神分裂症です。
入院要員です。
自分も現実逃避してたので言えた義理ではありません。
自分はリストカッターで、一人でこもって手首切ってましたね。
ノルマみたいに言って、生産かよ!
あと、風邪薬でラリったり。
でもそれは、十代の多感期の頃の事で、親の方針に対しての無気力の反抗でもあったので、大人のそれとは少し違うと思います。
どこかで読んだのですが、モルモットは8回同じ間違いをすると無気力になり、何もしなくなるそうです。
できることはできる、できないことはできない
スピリチュアルブームだった時に江原さんの本に書いてありました。
謙虚になればできない事をできるようにさせるというのは、傲慢な行為だということをわかると思います。
一瞬無理だな、と思ったら、確信があろうとなかろうと無理です。
人間は防衛本能の方が優勢なので、生命が維持できているのです。
人にそそのかされたり、勢いでやったとしても、目的と合致(がっち、目的と一致すること)はできないでしょう。
それは多分数学的正確さで現実化されるでしょう。
当てずっぽうは今後も上手く行くための方法ではありません。
他にも、カルマとの関係もあると思います。
できることはできる、できないことはできない
です