確信を持てるかどうかは、自分の中でどのくらいそれを信頼できるか、信念を持てるかによって決まります。
でも今は、その状況に対して新しい定義づけや新しい見方ができるかどうか、遊んでみてください。
そして、自分自身が肯定的にものを見ることができるのだということを、許してあげてください。
その中に肯定的なものを見ていってください。
この文章の真意を自分なりに解釈してみますと、今それに確信が持てなくても良くて、自分の思い、解釈次第でどうとでもなるよ?ということだと思います。
よく、人生相談なんかでは、自分に自信がありません、とかいう相談をする人がいたりします。
かつては自分もしていました。
インターネットがなかった時代です。
大まかなことがわかるようになったインターネットは素晴らしいものだと同時に、人の裏側まで見える凶器にもなりました。
人は要らない情報も手に入る事にもなりました。
個人の取捨選択によって自信も崩壊する人もいるのかもしれません。
インターネットによって、自信をなくしてしまった人々に言いたいのは、自信を喪失するものを見に行かない、というのが手っ取り早い方法だと思います。
人を見に行ってもその人にはなれませんから、見に行けば行くほど自信を失っていくでしょう。
自分にとって一番良くない事をしているのです。
優越感というものがあります。
これはあの人には勝っている、というものです。
ぶっちゃけ、言いますと、比べないほうがいいです。
自分自身で思っていればいいこと。
自分が負けてるところもあります。
カップルというのは、そこを上手くバランスで見て、良い、と判断して決定しているのです。
まあ大体は男性が決めていると思います。
お金が価値の基準であれば、お金がなくなれば、離れる人もいるかもしれません。
でも自分はその判断は瞬時に起こるものだと思います。
自分はそうです。
ただ、いきなりそうなったり行動に移さないということだけで、心は決まっていたりします。
自分は、他の方のやり方はわかりません。
自分は裏切られたら辞める、諦めるようにしています。
もしも、その人が運命の相手なら裏切ることはしないと思います。
だからいくら相手が素敵な人でも諦めます。
自分は意外とそういう所はスッパリとしています。
男女に友情はない派なので、白か黒か、なみです。
損をしたくないせいだと思います。
人は損失を嫌うと言いますが、自分はポジティブというか消極的な考えで諦めるほうが多いです。
一つでも不安があれば、ストップ、という感じです。
それによって、感情を迷うということはないですかね。
裏切られるという言い方は語弊があります。
その方と、結果ご縁なく、他の女性を好きになったり、他の女性と付き合い始めてしまったら、諦めます。
この感覚は普通な事でしょう。
自分たち二人の間に第三者が入れるほどの距離感は相手が後悔しようが反省使用が自分は埋められないです。
ひび割れたカップが精密な接着剤でくっついたとしても、新しいカップを買うほうが断然良いですよね。
この期間が(駄目だった時の)短い人ならいいのですが、長い時間かけて、駄目だったとなるとダメージは半端ないでしょう。
大きく見れば相性が悪いの一言かもしれません。
どれだけ運命に嫌われているんだよ!って思います。
ご縁がなかったというか。
相手にのらりくらりを繰り返されたらその人は脈なしでいいと思います。
決定打がなかった、ということは、やはりご縁がなかったのです。
自戒を込めて言っています。
そしてそれ以上は踏み込んでも時間をかけても結果は変わりません。
相手に疑われながら人間関係を続けるのは無理がありすぎますし、お互いが疲れてしまいます。
それならば、一人でいて、新たにパートナーを見つけたほうがいいです。
パートナーを探す事もしなくてもいいんです。
求めれば求めるほど遠ざかるのは皮肉なものです。
相手の立場になれば、怖いと思いますけど、だって向こうは悪いと思うから逃げているわけで。
追ってはいけないのです。
自分もそういう経験をしましたが、あんな惨めな思いはもうしたくありません。
自分が悪いというわけでもないのに、悪者にされてしまう、ということはあるのですよね。
責めてもどうにもならないのです。
片思いをされている方は、ぶっちゃけ現実逃避だと思います。
自分は片思いをしないので、片思いをする理由がわかりませんが、高望みしても両思いにはなれないと思います。
相手が彼らの気に入らない部分を持っていながら妥協しなければいけないことはないでしょう。
鼻が好きじゃない、声がちょっと、とか些細な事で無理だと思われる事もあるのです。
自分ではなく他の異性の味方をしたら終了だと思ったほうがいいです。
自分は要らない人カテゴリーに入れられています。
そうなったら、無理はしない方がいいです。
本能的なものなので、時間をかけようが下出に出ようが、駄目です。
相手が上手なのです。
悪く言えば利用されたのです。
悔しいかもしれませんが、引いて他をあたったほうがいいです。
本当に残念なのはわかりますが、仕方のないものは仕方がないのです。
乗り越えるべき課題だったということなだけです。
分相応、という言葉があるように分相応なものを選んだほうが絶対に幸せなのです。
プラスマイナスな部分は誰でもありますので、自分が我慢できるような相手が良いと思います。
相手に理想を持ったり押し付けたりするのは、相手を自分が良い思いをしたいための道具としか見ていないからです。
若い頃の自分もそうでしたし、相手を変えようとしてきたので、人のことを言える立場ではありませんが、有名過ぎても嫌、無名も嫌、お金持ち過ぎても自分が卑屈に感じる、貧乏も嫌、などと人は心の中でワガママを言いたい放題言っています。
ほんの少しの価値観の違いで相手に断られてもそれを尊重すべきことで、こうでもいいんじゃない?という意見を言われても価値観が覆ることはないからです。
大人ですので、簡単に意見を変えられないのは自分自身見てもそう思うと思います。
シンプルに嫌だから嫌。
シンプルイズベスト。
例えばおにぎりの食べ方が気に入らない、というだけで無理だと思ったら、自分はやめたほうが無難だと思います。
人は損失を嫌う生き物です。
相手に損する前触れだと判断されれば挽回は難しい。
蛙化現象というものがあって、好きな人がちょっとした事で嫌いになる女性の事を批判していた時期ももあったのですが、この裏には、手込めにし損ねた、というだけの言い訳だと思います。
女性は男性の言うことを聞いて当たり前?
女性側から言っています。
男性はその相手を選んだ自分を度外していますよね。
そうなったということはそういう関係性だっただけでしょう。
相手を悪者にしようとする根性が薄汚いのですよ。
蛙化現象させる男性にはまるで何も非がないように言うのもポイントのひとつ。
どうせ、女は男に従うものだという固定観念のある人ですので、どのみちそうなっていたのだと思います。
女性は妊娠したくないから、結婚したくないと判断した男性からは逃げるのは本能です。
金づるにもされたくはないですよね。
世間ではシンママはまだ差別もされるし、貧乏になって子供と一緒に共倒れしたくないのです。
だから、相手選びの時は、安心感や経済力を自分に使ってくれるかどうかを見て判断するのです。
そこで、こいつは無理だと判断されたら、男性がいくら時間をかけても無理だと思います。
頑張れば努力が報われるというのは、話の世界だけです。
恋愛においては特にそうだと思います。
女性が赤ちゃんの遺体を住んでたアパートの部屋に隠してたなんていう事件を子供の時からニュースで見てて女性は学習するのです。
失う恐怖に勝てない関係は意味がありません。
関係を構築する意味がありません。
養分や、金づる的な依存でズルズル引っ張る悪い男はいるかもしれませんね?
誰も悲惨な目に合いたくないのです。
損したくないならば、独身でいれば良いと思います。
独身は独身の良さがあります。
自分の得ばかり思えばそれは確実に相手に伝わっています。
だから不可能なのです。
相手が自分を尊重しているのかどうかは薄々わかるのではないでしょうか?
ただ。
確信があるまでは動かない、という事は逃げているわけではなく、真剣に考えているから時期を待っているということもあります。
離婚であったり、結婚する時期であったり、考えがあっての沈黙時間を持つ人もいるかもしれません。
それは相手の態度でもわかりますので、やはり恋愛においては一人では出来ないと言わざるをえません。
人は危険回避能力がありますから、バシャールの確信の話のように、確信がないと人は動かないと思います。
世間体よりまずは自分の身の安全の保持が正解だと思います。
こういうご時世なので、警戒されたら、その人の恋愛は諦めたほうが良いです。
警戒されるとか、異常事態でしょう。
もしもそれ以上踏み込まれて来るのなら警察に相談したほうが良いと思います。
男性の一途な気持ちは傍から見ると気持ち悪いです。
そういう人が恋愛において有利になることは絶対にないと断言します。
確信がないと人は動きません。
闇雲ではメリットがないですし、失敗した時のリスクの方が大きいと感じれば確信することは、必須です。
その確信という言葉は他の言葉に言い換えるとしたら、安心感になると思います。
分相応。
なんて癒やされた言葉でしょうか。
足すことも引くこともしなくていいとは、なんて楽な状態なのでしょうか。
高望みに未来はありません。
分相応と真逆な立ち位置ですね。
自分自身でいることの他にすること、できることは何もありませんよ?
もうすぐ手が届く、というのもそれもただの妄想です。
すでに手に入っている所で考えないと実現化は難しい、というか不可能です。
引き寄せの法則に乗っ取って言っています。
気まぐれに欲しいと思ってもそれは本気の人に負けると思います。
勝ち負けと言いたくないですけど、競争社会なので、そういう言い方になってしまいます。
ただ負けたくないという安易な動機で恋愛するのは筋が違うのでは。
パワーゲームしても意味はないと思います。
もしも本気ならば、正々堂々とすると思うのです。
だってそれは、命をかけても欲しい物なのですから、片手間ではもちろんないと思います。
時間=自分の命です
要は、物事に対する取り組み方が甘いと言わざるをえません。
適当に作ったクッキーと、魂を込めて作ったクッキーは相手はどちらが本気だと思ってくれるでしょうか?
それは、言動にも現れてくるのではないでしょうか。
自分の命を削ってまでも欲しいものであったならば、手に入らなくても満足感は得られます。
だって、そこまで楽しめたのですからね。
自分やった、やりきった、だからもういいや、という感覚になると思います。
確信なしに動くな、これが宇宙の教訓でしょう。
自分もそうしながら生きていくつもりです。