状況に、次のような再定義づけをしてあげてください。
誰かがあなたに怒鳴ったりするとき、その人は自分自身に怒鳴っているだけです。
もし、その人が自分を怒鳴っていないのなら、なぜその部分を現実の中に見る必要があるのでしょう?
他人に怒鳴ったり、怒ったりするのは、一般的に、その人自身が「自分の中に力がない」と感じているときです。
怒鳴ることで、力を誇示し、他の人より劣っていないのだ、と見せられたら、その相手の力のある部分を見て上げてください。
愛し信頼してあげてください。
石川県の地震で被災された方々には、なんと言っていいのかわかりませんが、災害の怖さと、被災地の苦労を感じさせる出来事となりました。
自分の県は、富士山の影響もあり、寒気が山に当たり、冷たい空気が逃げるのか、雪が降る事はめったにありません。
降ったとしても風花くらいで、地面に届くと溶けてしまうくらいにここの日常は温かいのです。
だから、自分は雪かき必須の土地には住める自信はありません。
最近ショート動画を見てたら、被災地にボランティアで、調理しに来た人びとが、雪が降ったら作業を辞め、そのまま帰ってしまった、最低限の事をやって帰ってほしい、というのは、甘えでしょうか?という言い分をされていたのです。
残されたのは、洗い物の山と、切りかけの野菜、だったそうで、やりかけの物の片付けをするのにも、そこにはご高齢の方しかおらず、高齢の方は自分が動くので精一杯で、大変な仕事ができないから、せめて、片付けていってほしい、との事でした。
マナーの悪いボランティアとか、実態とかいうのもチラホラ見聞きしたりしますよね。
自分は想像で申し訳ないのですが、怒る理由も正当だと思いますし、文句を言いたくなる気持ちもとてもよくわかりました。
家族が自分の食べたい物を作ってフライパンやお皿は放置されたままだと、最後までが料理だよ、と言いたくなります。
でも多分ですけど、妄想になったら申し訳ありませんが、被災した自分が惨めだったとか、情けなかったとか、そういう理由もあったのだと思います。
自分もそうですが、立て続けに嫌な事が続くと、ブチギレたりするのは、災害が起こってしまい、これから悪いまま良くならない、という恐怖というか、絶望感とか、自分だけこんな大変で悲しい思いをしたのに、って。
ボランティアは気楽でいいよななあ、とか、思ったと思うんですよね。
自分がもしその状況にいば、多分親切心で来てくれた人にもブチギレるかもしれないです。
人間そんなに強くないです。
心に無理をしない方が良いと思います。
こんな状況で普通の状態であるわけがないです。
非常事態ですから。
他人に甘えたい事もあるでしょう。
甘えると言うか、ストレスが怒りとして何らかの矛先が行きやすい状況だと思います。
自分も過去の事ですが、親戚のおじさんに悪い事をしてしまって、後悔しているし、反省もしていますが、幼くて未熟だった自分はそうしてしまいました。
ボタンの掛け違いは誰にでも起こり得ると思うのです。
もし、おじさんが死んで自分を許してくれるのなら、自分も必死だったということを説明したいと思います。
でも仏になったおじさんはきっともっと大きい愛情で許してくれると思います。
誤解を解けられるといいな。
結論ですが、ボランティアではなく、プロだけ被災地に行くべきです。
被災した方は、精神的に過敏になっていると思うので、ほんの少しの出来事でもオーバーに受け取ってしまうと思います。
自分も生きるか死ぬかの切羽詰まった状況ならば、精神も不安定になってると思います。
親切心で被災地に行った事は素晴らしいと思いますが、仕事を増やすくらいなら、お金だけ渡してお祈りするしかないと思います。
ボランティアはもちろんお金をもらっていませんので、手助け行為が甘々でも来るだけ良いと思います。
気持ちはとても素晴らしいと思います。
ボランティアしたいという気持ちに優劣はないと思います。
行った事で自分は偉いと思うような偽善はもちろん良くないけど。
千羽鶴も気持ちが籠もっているのなら、自分は素晴らしい贈り物だと思うのです。
病気の回復や、祈る為に伝統の千羽鶴は、心というか、気持ちは伝わると思います。
被災された方々には大変過酷な状況で日々生活されているかもしれませんが、元気を出して頑張ってほしいです。
それに、被災されて繊細になっていると思います。
本当に地震で倒壊したりして、再構築していくのに、時間もかかりますし、お金も時間もかかるとなると、嫌になりますよね。
こういう時こそ、国が何とかしてあげてほしいです。
自分も歳を取り、体も思うように動かない時に補助は欲しいと思います。
義援金も国にお願いしましょう。
被災された方々が早く笑顔になって元気になりますように。🙏