バシャール④

2024年02月02日 10:29

自分の人生に起こったこと

これまでやってきたことを、自分の今までの人生に起こったすべてのことにあてはめてみてください。
自分のエネルギーが拡張して、人生の新しい定義付けがかこ、現在、未来に拡がっていくのを感じてください。
そのエネルギーの波がずーっと浸透して通り過ぎていく時、すべての状況が中立になります。




瞑想の一部を抜粋しました。
瞑想全部を入れたほうがいいのかもしれませんが、文字をじっくり読み進めるということがテーマのブログですので、区切りながら思いをシェアしたいと思います。
これは瞑想の誘導です。
本当に本格的に本で瞑想をしたいのなら、3日4日かかりますが、自分でまとめてやってみてください。
感覚的に言いますと、ぼーっと物事を見ると良いも悪いもないよね、みたいな感覚になっていく時というものがあると思います。

もっと砕けていいますと、東京駅で降りる人と品川駅で降りる人のことを判断出来ないと思いませんか?

いや、自分は思ったことないよ?

と、思う方もいるかもしれないですけど、この世の真実というのは、実はフラットなので、それを思い出せばいいだけなのです。
般若心経や、お経やらインドのマントラやらは、この真理をわかるまで、唱えつづけるのです。
が、しかし、インターネットで簡単に検索できてしまう真理というのも、浅く感じる、というか、凸凹(デコボコ)が、本当のように錯覚させられてきているので、死ぬまでフラットという真実を分からずにいる人々の方が9割以上おられると思います。
知っていようがいまいが、起きることに変わりはありません。
要は捉え方の問題になる、ようです。

特に私達は楽しい事より大変だった事を悔やんだり悔しいと思う傾向があるので、(自分だけではないはず)。
ゲリー・ボーネル氏の本に、人間というのは、悲しみのフィーリングを好むという傾向があるそうなのです。
まあ、自分も大変だった、とか、悔しいとかいうのはただの気持ちの代弁ですが、根源は悲しみのフィーリングに浸って悲しんでいるのかもしれません。
悲しいフィーリングがあるから、美術やハッピーエンドに飢えている、ということも言えそうですね。
自分はそう思いたくないと思っているのに、そっちの傾向に走り込んでしまうという悲しい習性があるのかもしれません。

でも、生きていくのには生存競争に勝たないといけないわけですから、敗者には敗者の言い分があるのだと思います。
じゃんけんですら、勝ち負けがあるのです。
勝ちがあれば負けがある。

自分は勝ち負けのゲームに参加したくないので、こもっているのですが、引っ張り出されてしまうので、まじでずっと引きこもりたいと思っています。
フラットなのに、悪意持ちすぎ人間多すぎ。

捉え方として
雨が降って最悪だと思うか、良い解釈ができるか、グラデーションのように解釈の幅はあると思いますが、良くとらえたほうが、結果が良くなりますよ、ということなのです。

子供の使いではないのですが、卵を買って来て、と言ったのに、飴を買ってくるというわけではありません。
自分で買い物に行ってもそういうふうにはならないです。

イエス・キリストの言葉に

魚を欲しがるのに蛇を与える親がいるだろうか。
魚というのは、獣より比較的釣りやすく、頻繁に食べられた食べ物だと思われます。
お腹を空かせた子供に蛇を与える親はいないよね、
パンを欲しがっているのに、石を与える親がいるだろうか。

というお言葉があります。

今で言う、毒親はいなくて、両親揃っていれば子は宝の時代でした。
老後の面倒も見てもらえるし、愛情をかけられる存在に、食べられない石をあげる親はいない。
ましてや、もっと偉大な神様が、あなたにもっと素晴らしい物をくれると信じれないの?
という箇所です。

ナイスアドバイス!
グッジョブ!
👍

学のない人々にもわかりやすく説明してくれるイエス様なのでした。
要は求める者は得られるということです。
引き寄せの法則なのです。
友人が落ち込んでたら慰めようとすると思います。


どちらも保証してくれるのですが
それならば、悪い結果より、良くなる方がいいですよね。
無理矢理にプラス思考に思うのもいいのですが、できれば自然に思いたいです。
そうするにはどうしたらいいのか?

まあ、波動を上げるしかないです。
波動の上げ方って?
これをするといいよ、というものを、ネットで探すしかないです。
昭和っ子の自分は本屋さんや、図書館、古本屋さんで、本を探して繰り返し読んでいました。
ネットで簡単に探せるというのは、割と罠的な要素があります。
人を介さないで自分自身で探さないと合った方法をすることが出来ないです。

それに、人間というものは、苦労してこそ、価値があるみたいな価値観が未だにあります。

え? 人によりますよ?

と、自分も思っていた時期もありましたが、簡単過ぎても有り難みを感じられないのが、複雑な人間的心理でもあります。

大切な人への贈り物選びに5分時間を使うのと、50分時間を使うのとでは、思いが違って見えるのは自分だけでしょうか?
気持ちというものは、目には見えないかもしれませんが、贈った物には温かいエネルギーはこもる、と思うのです。
その気持が自分が得をしたいからなのか、本当に相手に喜んでもらいたいからじっくり選ぶのかも、多分数量化できると思いますし、実際に感じられるのではないかと自分は思います。
時間をかければいい、という短絡的な考えではありません。
物事は何事も結果論でしかないのです。

確かにこの世はフラットですが、気持ちが入ってしまう時も物もありますよね。
でもまあねー、死んだらいくら好きな物でも持っていけないですからね。
ある程度の手放す覚悟は持っておいたほうがいいのかもしれません。
ペットロスもそうですけど、死ぬのが辛いのなら飼わなければいいのです。
冷たい言い方ですけど、生き物は人間より先に死ぬのです。

良い時もあったし、悪い時もあったし、結局中立になると思いますね。
自分の体感として思ったことです。
中立って事だけ知るだけでもいいと思います。

自分が選ぶということです。

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