光が宇宙を満たします。
あなたは、光からできています。
呼吸を三回して、その光を自分で採り入れてください。
自分のハートの中にある炎を感じてください。
あなたのハートは、古い定義づけ、観念を燃やす囲炉裏(いろり)です。
その古い定義づけ、観念をハート♡で燃やすと、それは溶けて金色の光になります。
そして金色の液体に溶けた光が、その中から自分が臨むような新しい形となって結晶化します。
息を吐く時、電磁的な青白い光となって口から出てきます。
泡をたてているその黄金の液体の上に、その青白い息が冷たい空気となってかかってきます。
金色の液体が青白い行きに触れて、中から、自分の望むような現実が結晶となって出てきます。
Good morning,エビバデ〜
自分は今朝を迎えています。
注意点というのは、
オリジナルでやらない
ということです。
スピリチュアル系の書籍を出している人は、自分のオリジナルを出して個性にされている方がおられるのですが、
個性は、別に出す必要はないのですね。
なぜならば、言いたいことは同じであるし、例えると、クラシックの演奏で一人個性を出してしまえば、それは作詞作曲家に失礼にあたるわけです。
もっと砕けた言い方をすると、ドラえもんの大山のぶ代さんの一代目ドラえもんと二代目ドラえもんを見るならば、一代目に忠実に似せてほしい、そうしないと別のものになってしまうから、なのです。
二代目というのは、やはりどんな所でもプレッシャーというものがあると思います。
長嶋茂雄さんの息子さんの一茂さんや、石原裕次郎さんの家系とか、林家一家とか。
だいたい親の七光りって言われます。
もう三代目というのは存続すら難しいと言いますよね。
アーチストの三代目J Soul Brothersは、逆手にとったネーミングで掴みに行ってる感があって、攻めてる感じがあってよいです。
家も息子がそこに住み続けるような時代ではなくなってきています。
家というのは、人生をかけた一世一代の大仕事でした。
今はタワーマンションや、戸建住宅を超えるような住宅形態で住宅の価値観も人の住宅に対する価値観も多様性になっています。
海外不動産に進出されるかたもいらっしゃいます。
自分の子供の時とは、全く違ったグローバル化というものが、めちゃくちゃ速いペースで進んでいます。
まさかこうなるとは思えないような出来事も起こっています。
それに対応できるか、遅れを取るのかで行き先も変わってくるかもしれません。
新しいものが良いものだとは思いませんし、頑なに(かたくなに)古い伝統を守らなければいけないような考えは頑固者だと言われてしまうこともあるかもしれません。
まあ一体何を言いたいのかと言いますと、人によるとしか言えません。
瞑想の話に戻ります。
自分のオリジナルでやらないほうがいい、というのは、本人たちが元本と同じレベルではないからです。
基礎というものがあります。
だいたい、スピリチャル系の本は、他の方の文章をまるまる書き出しているかのように見えます。
でもそれでは、カンニングと変わりません。
となると、自分が編み出したオリジナル、自己流が加わります。
極端に言ってしまえば、日本人のカタカナ英語と同じで出来てるところもあれば、伝わっていない部分もあり、自分もわかっていなかったりします。
わかるところとわからないところがあり、そこが自己流になるんですよね。
勉強で例えてみますと、試験勉強の仕方はこうすれば覚えやすいという定義があったとしても、人によりやり方が違いますよね。
二時間やった人と十時間やった人の勉強法は微妙に違ってくると思います。
時間をかける事によって失敗もして要領を掴んだり分かる所は流したり、時間をかけただけ十分なやり方ができます。
二時間勉強に費やした場合、十時間よりは少し欠ける勉強法になるでしょう。
勉強を多くやった方は自分のやり方でやればうまく出来ることがわかっていますし、二時間の方は手探りな状態だったりします。
そういう場合はやはり忠実に沿ったやり方を模倣したほうが一番手っ取り早いのです。
ここで二時間さんは、自己流を使ってオリジナルを出そうとしてしまうのです。
飯マズ妻が、作り方を見ないから美味しくない、というのと同じ理論
お菓子は分量が大事と言いますが、きちんと測ってこそ、美味しいお菓子が出来るのです。
プロやずっと携わっている方は目分量でもわかるのは長くそれを繰り返したからなのです。
バシャールの瞑想ですが、
まずは、そのまま忠実の何回も読んで見てほしいです。
黙読でもいいです。
できれば二回は読んでほしいです。
きっと、心が少し明るくなると思います。
化学式と同じなのです。
人間も物質ですので。
お茶を飲めばおしっこ行きますよね。
もし身体に溜まってしまったらとんでもないですよね。
人間の、いや動物の器官の素晴らしいところですね。
余談ですが、うんことかおしっこが何故臭いのか?
というのは自分なりの回答なのですが、
臭いものを食べたり飲んだりしてはいけないから臭い
です。
自分はそう思っています。
間違って食べないようにそうなっているのではないかと。
自分なりに哲学的になる時があるので多分それで間違っていないと思います。
だから例えばチーズが臭いから嫌いという人はチーズを食べなくて良い
という考えになります。
食べ物の種類があるのだから、組み合わせも自由でもよかよ。
嫌いがたくさんあっても困るんですけど、どうしても無理というのは別に食べなくてもいいのではないかと思います。
一個や二個や三個や四個や五個くらい嫌いな食べ物があってもいいじゃないですかね。
オリジナルの話に戻りますが、定番商品や、定番というのは普遍的なものだからなんだと思います。
個性を出すべきところと出すと効果がなくなります、というならばこの瞑想は、個性を出すと効果がなくなりますよということです。
効果がないのに、やったつもりになるのは時間の無駄以外の何者でもありません。
オーソドックス(正統派)であったほうが、定番であるのなら、良きものであるわけです。
日本人の学生の制服みたいなものです。
何を言わんかはわかっていただけると嬉しいです。
バシャールの瞑想は効きます。
だから忠実にやった方がいいです。
少し明るくなりますよ。
オーラが。