最初に見た「森」は、みなさんの人生そのものです。
環境としての人生を自分はどんな風に感じたでしょう?
木🌲はどうだったでしょうか?
良い、悪いはありません。
この瞑想の中で自分で変えたいものがあれば、変えていけばいいだけの話です。
一日のうちの何時頃かと聞きました。
それには次のような意味があります。
今、自分の成長の段階の、どのへんにいるかということです。
ちょうど夜明けにいるのか、午後くらいにいるのか、もしくは理解や知恵の中に落ち着くとしている夕日のなかにいるかを表しています。
次にどんな日かと聞いたのは、人生があなたをどう扱っているかということです。
冷たい日と感じるのか、それとも暖かいのか。
森の中をどう行きたいかというのは、自分の人生をどう進んでいきたいか、ということです。
それが好きか嫌いかにかかわらず、自分は今こんなふうに人生を歩んでいる、ということを知ることができます。
「壁」は、あなたの人生の中の「挑戦」や「障害」を意味します。
壁を通り抜けて出会った「クマ」は、ある状況に対処する場合のあなたの感情的パターンと人間関係を象徴していました。
人間関係の象徴とみたとき、そこには大きな怖れがあったでしょうか?
それとも可愛らしいクマがいたでしょうか?
「箱」はあなたの人生の中の未発見のもの、驚きに満ちたものを表しています。
「鍵」はあなたの知恵です。
「容器」は人生の中の愛をあなたがどう見ているかを表しています。
「水」は、自分の官能的な部分です。
「建物」は、あなたが肉体的な死をどう見てるかを表します。
ハートをオープンにして、自分自身と正直なコミュニケーションをしてみてください。
簡単に簡素化してしまいました。
心理テストみたいなものですよね。
自分は学生の時にマイバースデイという雑誌の愛読者でした。
占いの本です。
偶然同じ部活の子も読んでいて、「ホントに〜?」と、嬉しくなったものです。
今もよく思うのですけど、「マイバースデイ」って何気に恐ろしいネーミングな雑誌だなあと。
直訳すると、「私が生まれた日」になりますが、もうその時点で運命めいていますでしょ?
ヤバいというか、運命が(人生)が始まる日でもあるのですよね。
生まれた日が決まっているのなら、死ぬ日も当然決まっています。
偶然は必然
江原啓之
学生の時は何も考えずに読んでいましたが、自分はもう子供の時からオカルト好き少女だったのだと思います。
そう言えば、大蛇をよく夢で見ていました。
あれは今思うと「アナコンダ」だと思います。
アマゾン川に生息しているやつです。
自分は、小さい時に見ていたので、巨大ミミズだと思っていました。
で、夢の中でそれは道路にいたり、山にいたりしたので余計にそう思ったのかもしれません。
ワンチャン本当に巨大ミミズかもしれないです。
心が疲れている時に夢の世界で異常なものを見たりしていたのかもしれません。
最近アマゾン川にいる「アナコンダ」は、「主(ぬし)」というか、「存在の象徴」?とされていることを知り、小さい時に見てた巨大なミミズの正体がそれだと解明し、ホッとしてしまいました。
子供の時は特に純粋であるがゆえに、そういう不思議なものを見やすい状況にあると思いますし、巨大なミミズなんて中々想像力の強い子供でも想像する事は難しいと思います。
疲れている子供という事で思い出したのですが、自分はイルカが宇宙人だというバシャールの言葉に影響されていまして、年パス(年間パスポート)を買い、一年イルカを見に水族館に通った時期がありました。
で、イルカを見て帰るのですが、イルカというのは、自閉症の子供を癒やす、ヒーリングをしてくれるツアーなどもあるくらい、パワーのある生き物であることはもう良く知られていると思います。
飼育されていたイルカも同様に、癒やしの存在でありました。
ベビーカーを押しながら歩くお母さんが通った時に、イルカが異様に(😁)鳴き出しました。
ああ、お母さん大変だよね~、と思っていたら、イルカはベビーカーに乗った子供の方に対して鳴いていました。
(証明はできないのですけど、自分はそう感じ取ったのです。)
えっ
ああ、そうか、人間の目には、お母さん子育て大変だねって思うけど、実は子供の方がお母さんのやり方(性格も含む)で疲れている、苦しんでいるという場合もあるんだなあ。と。
毒親とか、本来キツめの女性がたまたま出産しただけだというケースもなくはないですよね?
お母さんはマリア様で、子供は天使という偏見を私達は持っていますが、ベビーカーの子供に対してストレスを与えるような母親もいるのです。
まあこれが現実なのでしょう。
上手く言えないけど、強い者が強い、という事実ですね。
我が強いという強いです。
そうでなければ子供の義務教育時代に自殺なんていう事もないのですし。
いじめはいじめる側が悪いけど、いじめられている家庭にも問題があったりします。
(これも全部だとは思っていないです)
そういった場合は、「逃げるが勝ち」で良いと思います。
逃げるのは良くない事ですけど、生き延びるためには必要な事もあるでしょう。
命を引き換えは出来ませんからね。
陰湿ないじめならば逃げる事も一つの手でしょう。
これについては何回も重複しそうな予感。
ブラックジャックで、彼が人間より先に重要文化財の鳥の処置をした話がありますが、先に助けるべきものを誤ると寸での(すんでの)での先の結果が違ってくるよ?、という事です。
命の危険も含まれている場合は間違ったら命取りになってしまいます。
実際私達はどうせ死ぬのですが、健康なまま長生きしたいと思うのは、家族が好きだからだと思います。
ヒーリングはとても大切だと思います。
マイバースデイに戻ります。
で、その子にマイバースデイの話をしようとしたら、学校では恥ずかしいと言って、話してくれませんでした。
小学生の時はコックリさんも流行っていて、一人でコックリさんをしていましたね。
あれは、本当に動きましよね。
紙の上にコインを置いて質問すると、イエスかノーで応えてくれるのです。
神秘的〜って思っていたら、動物の霊、いわゆる低級霊だということを知り、怖くなってやめてしまいました。
これと同じようにタロットカードも流行しましたが、解釈が怖すぎてやるのをやめてしまいました。
タロットカードも、書店に行くとピンキリ(ピンからキリまで)の価格で売ってはいましたが、自分のお小遣いの範囲を超えた値段だったりして、持つことはありませんでしたが、タロットカード否定派は結構多く、それに感化されてしまい、自分の中ではタロットはしないと決めています。
だからなんなんだ、と言われても困るのですが。
自分がタロット占い師に頼んで見てもらうことはします。
カード自体が意識を持っているから、先が読める、的中する。
というか、未来が見える?
カードに人格がある?
おいおいお前はSiriなのかい?と。
持ってる人が不幸になる、というのは、宝石であったり、絵画だったりするのは割と知られていると思います。
不思議な現象ですよね。
普通は?持ってる人を幸せにするものであるはずでしょうに、なぜ?
禁断というか、先を見るという行為が良くない事?
未来が、まあ少し先のことに限定はされるのかもしれませんが、未来が見えるというのは、怖いものです。
離婚するのがわかるのなら、結婚しなければ一番いいのですが、それでは何もしなくても良いという結論になってしまいます。
自分は起きた出来事で学ぶのが人生のテーマであると思うのですが。
世の中わからない事だらけですよね。
だから知りたいという探究心があるのだし、追求することはけして悪い事ではないと思います。
サイキック能力を良い事ではなくて
悪い事に使ってしまうから?
賭け事の数字がが見えるとか。
世の中悪い人もいますから仕方がないですね。
まとまりなくて、落とし所がわかりませんが、無理にまとめると、
出来る事を頑張れば結果出るんじゃない?ということ。
運命はあると思います。
だから、叶わない事もあります。
でもそれは、叶わない事によって、浄化されるべき苦しみが消化したということです。
何でも悲嘆にくれる必要はないのです。
時間を無駄遣いをしてもまた溜めればいいじゃない。
でも失った時間は戻せないから選ばないとね。
以上です。