バシャール④

2024年03月07日 15:17

あなたの性格

性格は、非常に人工的なものです。
毎瞬毎瞬変わることができます。
性格は「大いなる自己」の反映です。
投影しているだけなのです。
自分の中にある観念を投影しているのです。
自分の中の考えを変えれば、違った人間になれます。
毎瞬毎瞬、実はあなたは、まったく違う人間なのです。
みなさんはこう聞くかもしれません。
「じゃあ、私はいったい誰なのだ?」と。
それについて、私はこうお答えします。
「あなたがなりたいような自分です」と。
今も、そしてこれからも、永遠に。



昔恥ずかしがり屋だった子は、大人になって、成長して性格が変わった、ということは、何も不思議でも何でもありません。
海外勤務のお父さんについていった子は、その国の風習に習った性格になることはあるのでしょう。
カメレオンではありませんが、ある程度人間も適応性がないと生きていけないと思います。

アメリカに行ったならば、アメリカンナイズされる女性の事を「ポカホンタス女」と言われる由来は、Wow,(ウワーオウ、)とか表情がいちいち大げさになったり、「日本ではこうでもアメリカでは〜、」という言い方がウザい事この上ない為にこういった、アメリカに行くと決まりきったステレオタイプの人格にしかなれない悲壮をそそる意味でも屈辱的にもついたニックネームでもあるのです。
もっと個性を出そうよ、と思うのですが、何故かみんなアメリカにいる日本人女性像そのままで型を崩そうとしません。

言い方は、批判的なのかもしれませんが、日本の人間関係に疲れてしまい、海外に逃亡したけど、日本人としてのブランド意識は残っているため、そういった事になっているのではないのでしょうか?
(自分の見解なだけです。)
日本人っていうとこれだよね、的な。
Shushi🍣🍵(スーシー)みたいな?

人間関係に悩むというよりか、人格ぶっ飛び過ぎて日本人の感覚を超えてしまっている(良くも悪くも、でも空気読むと悪いほうが言われやすいよね)というか。
これは、日本人の風潮に合わないというのは。個性が強くて受け入れられないという事も表しているのかもしれません。
個性は自由であるべきですが。
諸外国の異性と恋に落ちてそちらに移り住むというのは、なくはないし、たまたま海外の異性と出会っただけですので、スンナリ入っていける感はありますけど、住んだらまるで自分が、自分だけがそこの国の正しい発信者だという意識を持たれてしまう個性的な方もいます。
そういう方を見てしまうが故に、日本人社会に馴染めなかったから外国に行ったんだな、とか言われてしまうのだと思います。
特に日本人の勤勉さを重宝してくれる途上国の女性はたくさんいるでしょうし、嫌な言い方をしますけど、乗せられていて利用されているかもしれないです。
要は対等ではないから、(与える与えられる)おかしな事態になるのだと思います。
外国に住んでいる日本人同士が仲が良いという事はなく、目的によって好みかそうでないか、決まってしまうようです。
(住んでる自慢で中身が何も無いという方は敬遠されがちというのは、どこも同じかもしれませんね)

好きだから住むというのはモチロン良い事です。
でも住んでる事をブランド化してしまう事がウザいのだと思います。個人的に思います。
ここに住んでる自慢。
マニラに住んで7年なんだー。とか。
この、二つの目的は、全然違うと思います。
自分主体なのか、他人主体なのかです。
でも、ごめんなさいなんですけど、親がいたら外国には住まないと思うのです。
こどおじ(子供部屋おじさん)とか、結婚しても旅行が趣味な方みたいに、旅行リピーターになるくらいが関の山。
毒親だったから逃げたとか、国が逃亡しなければいけないくらい、悪い国だったという場合はまだ同情できますけど、ぶらり途中海外移住者は要は基盤がないのだと思うのです。
本人は挫折したのかもしれませんしね。
わからないけど。
自分の偏見も当然あります。
結婚出来たのなら結果オーライでよろしいですがね。
良いか悪いかはここでは答えが出ませんので、判断しようとしない事にします。
逃亡?いわゆる亡命?は人権で与えられているからです。

自分も友達はいませんよ。
でも日本人なので、日本に住ませてもらっています。
それが自分の中では当たり前でもあるので。
自分が日本に生まれて生活出来る事は大変嬉しい事でもありますし、父と母にも感謝でいっぱいです。
発展途上国のスラムのまた下のスラムなんて所に住んでたら一生地獄みたいな人生だったのではないかと思います。

お金持ちの国に生まれ育つのと、途上国でスラムにいる事の差は、自分の意見ですがカルマの影響である、と思っています。
黒人が白人になれないのです。
つまり死ぬまで自分のままで生きていくというゲームをしているのです。
普通の事です。
自分の意見ですが、不平不満を言ってる場合ではありません。
というか、言ってどうにかなるものでもありません。
じゃあどうするの?というと、耐えろ、としか言えません。
耐えられない人はそれ相応の結果になると思います。
誰も止められない流れなのです。
不満を言っても無駄なのです。

じゃあ死ねば

という世界線に私達は生きているのです。

自分の事は自分でしろ

ってやつです。

自分にも思うことです。
誰も解決してくれないです。
周りも出来る事は限られるのです。
だから苦しみは自分で立ち向かうしかやっつける事は出来ないのです。
悪夢だろうがなんだろうが、仕方がないのです。

人の事をああだのこうだの言ってる場合ではありません。

自分はどうしたいのか?と考え、

これ一点に集中すればいいのです。

なりたい自分になれるように努力をする。
これが私達が出来る唯一の行動でしょう。
棚ぼた狙うのは絶対にありえません。
そもそもその人の家の棚にぼたもちはないからです。

棚からぼたもち
は、結果です。
結果を表しているのがことわざ。
はじめから〜過程をも含めていて、端的に一言で表した素晴らしい表現方法ですよね。
アートですよ、アート。文字アート。
自分はことわざを個性でひねってわん曲(わんきょく。ゆがめること。)する奴が大嫌いです。

アートにお前の下手くそな落書きするんじゃねえよ。

泣かぬなら殺してしまえ

お前は織田信長か?
個性的なのはは美しいけどわがままはそれをより醜くさせるものです。

日本語の美しさは、ストレートな表現でない所にあると思います。
エロく表現すると、チラチラ見せるというやつです。
見えそうで見えないチラリズムの美しさがあるのです。
甘美ですな。

うう〜ん、おねーさん、刺激的イイ!!
クレヨンしんちゃん

昔袋とじが雑誌にありましたが、非常にそそるわけです。
特別感がある?
中身が普通でも、隠れている、故意に隠す事によって想像力を増進させる効果があるのです。

棚ぼたは普段から言いますけど、ま、じ、で、最高かよ!なことわざです。
しみじみ日本人で良かったと思う瞬間です。

スーツから一万円、くらいの幸運でしょう。
千円だとことわざにならないからね。

(まさぐって)あれ。。。。

や、やったーーーーーー。
っていうやつ。

ぼたもちのあんこには食物繊維が含まれていて、あずきというのはスーパーフードであるのです。
そして甘いものは、疲れを取ってくれますよね。
頭を使った後に甘いものが欲しくなる時に、洋菓子ではなく、和菓子の方が効くというのは、納得いく傾向です。
おにぎりのスイーツ版みたいなものです。
両者緑茶が良く似合いますね。
食べるとどうなりますか?
パワーアップしちゃいますよね。
自分は出産後に部屋にベッドごと運ばれてから、温かい塩おむすびをもらい、ハグハグ食べていたのを思い出します。
自分が大仕事をした感たっぷりな達成感と共に。
部屋が冷たく身体も冷えて寒くなっていた時にホカホカと湯気を立てている温かいおにぎりを食べて食道から胃まで到達していく感じ。
出産というのは、ペットが赤ちゃん産む動画みたいな感じです。
そこに個性全く無し。
個人病院だったのですが、出産すると一人でも毎食作りにくるおばさんパートタイムバイト人らしく、聞いて切なくなっちゃいました。
朝はトースターごと持って来てくれて自分でトースター器に入れて焼く方式でちょっと楽しかった♡
田舎だったので、4人部屋が個室化してて快適過ぎて二回そこで出産しました。(。>﹏<。)ハズカシイ
手作りって心に沁みますよね。
騙した金で食う飯はうまいのか?ではありませんが、あんなに美味しいと思った塩おむすびはありませんでした。

勇気百倍アンパンマン!
昔は食べる事で精一杯だった時代もあったでしょう。
おにぎりでも嬉しいのに、棚にあった物がぼたもちならば、もっと嬉しかったと思います。
お砂糖が手に入らない時代もありましたよね。
おばあさんが、痩せたさつまいもばかりを食べすぎて見たくないって言っていましたから、自分は時代には恵まれていておばあさんに失礼な事も言っていたし、申し訳なく思っている事もあります。
おばあさんの時代は食べ物が貴重だったという時代ですね。
自分は孫でしたが、孫の自分に対して羨ましいという気持ちはあったように思います。
今でこそ自分も老化し始めて、おばあさんの気持ちがわかるようになりました。
でもなんというか、若さ故に無知だったというのは、仕方がないと思います。
女性特有の女性敵視というのは、遺伝子継続の生存本能であると思うのです。
同性同士だと、親子、祖母、孫、関係がなく働く本能なのかな。

秋茄子を嫁に食わすな

これは良い意味で言われる事もあるけれど、食わすなって言ってる時点で悪意がありますよね。
まあそういう事です。
人の得が許せない心理は誰にでもあるからへーきへーき

自分は女性がイージーだとは思いませんね。
童話では若いお姫様が魔女に命を狙われますからね。
ということは、姫は事実上たくさん殺されているのです。
恐ろしや。恐ロシア。こyね。こわいね。
物語はたまたま助かったから美しい物語になったのです。
人によっては脅威でもあるのです。
角度を変えると全員主人公ですから。
自分もいじめる側になるかもしれません。

女性同士ならポジション争いは起こってもおかしくはありませんがね。
できればあってはならないことですが。
世紀末世紀末。
なんとかなれー。

私は自己の意志を使う不滅の霊である
私は霊の力によって、悪の影響を振り払う
私の内なる力があなたの影響を振り払う

以上です








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