自分で何かを選択し、あるひとつの現実を選んだとき、それがみなさんのところへとひきよせられます。
でも、自分が体験している他の場所より長くそこに残っていなければならない、ということはまったくありません。
あなたが与える選択によって、他の現実より現実的に見えるだけなのです。
戻ってきたいときはいつでも、中立な存在の状態に戻ってきてください。
そこが、すべての現実の中立な場所です。
意味がなく、対等なところです。
引き寄せの本が、たくさん出版されているのにもかかわらず、夢を実現できていない方の方が多いのは、何故かというと、
自分なりの視点で解釈したいと思います。
自分はジョセフマーフィーの潜在意識の法則という本を手にとってから、男性が現れ付き合い出し、結婚に至りました。
本当に自分は潜在意識の法則に則って(のっとって)叶っている、と思っていました。
そのくらいに、スイスイ、(えと、)巷で言うトントン拍子でたたたたたたたたーと、上手く行ったのです。
出産もしましたし、親もホクホクでした。
オレの手柄だぜい、みたいな。
男の子も産みましたし、(昭和的価値観)世間的には言う事なしでした。
が、結婚してみるとわかるのですが、守られていた立場が今度は守る立場にならないといけない、それは思いとは別の方向に行くような、強制的にそうなってしまうのです。
守る、という言葉には、「敵がいる」という事でもあるのです。
そうなのです。
自分は結婚して世間との戦いに参戦する事になってしまったのです。
結婚した方はこの感覚がわかっていただけると思います。
今も高齢独身男女や、子供の出産率低下のニュースも定期的に話題に取り上げられ、女性が結婚相手に身の程知らずな条件を言う事があると思いますが、結婚相手によって人生の勝負が決まってしまうのですから、そりゃ当たり前でしょう。
誰も奴隷になりたくないのです。
結婚して、子供が(ちと)おバカで自分も子供も底辺をウロウロする人生を歩むくらいなら独身通す、と思う女子がいてもおかしくありません。
今まで自分はそつなくやってきたのに、味方である家族に足を引っ張られてしまう。
イコール自分の人生を邪魔す人はいらない。
という結論に至る女性も多いかと思います。
続けますが、そうすると、結婚していてもお金持ちである男性とお付き合いをして妻と離婚してくれたらラッキーだと思い、
既婚者とお付き合いをする女子もいるでしょう。
順番もへったくれもない弱肉強食の世界がここにあるわけです。
未婚女性や、結婚を失敗した、敗者復活戦(という名の略奪行為)が水面下で横行している、というのがリアルな現実なのでしょう。
治安が悪い国と違いがないくらいに殺伐としているのです。
むしろ先進国において、究極の頂点頂上決戦の戦いなのかもしれません。
戦国時代も引けを取りません。
実は日本人の魂は、同じ人種同士の切磋琢磨がある、というか、それを欲しているのではないかと思ってしまいます。
(今、夜の3時です。非常にテンパってる精神状態になっています。)
負けられない戦いがここにある
侍ジャパン(ヤタガラス)
勝つ勝つ勝つ
というよりかは自分は
負けない
という気持ちの方が強いです
勝つ
勝利
というのは結果です。
負けない
というのは
現状維持です。
勝とうと思っている時点でビハインド(後方)です。
おくれを取っているのです。
一点ビハインド
試合で一点負けている
ビハインドを追う
追いつくためにより多くの力をかける
追う側も尋常ではないのかもしれませんが、一点取った側も意外と緊張しているのです。
勝ち越したいわけです。
もしくは勝ち逃げしたい。
後を追われるというのは、居心地の良くない状況でもあるのです。
最後は根性論
昭和の暴君が言いそうですけど
勝ちに行きたいのならやっぱりど根性はないと勝ちに行けません。
サッカーの試合で例えると泥試合です。
泥臭いサッカー。
勝利に飢えている狼かっ。
欲しいのは勝利ただひとつ
(清水エスパルスの選手入場の前振りの宣言)
それがいいのか悪いのかは別として。
スピリチュアルと勝負の世界は違いますから。
株とか、FXで財産を溶かしている人を見ると自分はやっていないので言葉化出来ないのですが、お金がないのに無理に投資して最後は(負ける)というやつですよね。
リスクありまくりですねー。(棒)
リスクは何に対してもあるとは思うのですけど、本人が馬に人参ぶら下げて走り続けている状態であるために、(要は冷静になっていないということです。)リスクをすっぽりと忘れてしまうのです。
自分もそういう経験があり、(リスクがあるのに、突っ走って失敗した経験が)もう絶対にしたくはないです。
人生詰む(人生終わる)くらいの結果になります。
自分もありますあります。
本当にバカだなあと思います。
親ガチャという結論に至るのも自然な事なのかもしれません。
親ガチャ論
賛成意見を述べるわけではありませんが、
これを言う人の気持ちがわからないわけではありません。
「親のせい」
そう言っていないと存在意味すらない状態なのでしょう。
わかっているようでわかっていなかった。
自分は出来なかったのだ。
でも、自分が全て悪いわけではない。
こういう風に育てた親にも責任があるのだ。
言いたい事は、「自分だけが悪いわけではない」
そうだ、生まれの問題なのだ。
自分は何故生まれてきたのだろう。失敗をするために生まれて来たのか?
と、ここまで精神が落ちこんでいるのです。
開き直る力も底を尽きているのです。
後は、落ちる(堕ちる)だけ。
そうなれば、親を責める思いはあっても不思議ではありません。
そういう人に、「努力が足りない」とかいう説教など聞けるはずもないのです。
リスクはあるということは前提なのです。
調子に乗って暴走したら大事故してしまった、それは気が付かないまま取り返しがつかない所まで来てしまった。
大事故(目も当てられないほどの)を起こしたらそりゃ後悔レベルの大惨事どころではないでしょう。
親ガチャ理論に至る←今ここ
なのです。
スピリチュアルで言うと「汚れ」になります。
一度成功すると同じ方法でまた成功するだろう、というだろう思考が着いてしまうのです。
パチンカスが大当たりして通い続ける理論と似ています。
で、割とそういう戦法で上手くいってしまうので、これが万能だと思ってしまうのです。
詐欺が横行するのは、やっぱり旨味を持った人が同じやり方で引っ掛けていて、引っ掛かる人が後を絶たないからなのでしょう。
何ていうか、
「楽して得た物はろくな目に合わない」
みたいなことわざがあってもいいくらいに定番化していますよね。(人ごと)
自分は子供の時は何故か謎の傲慢さがありました。
今思うと恥ずかしいくらいです。
どこかで、ガツンとやられて今の謙虚な自分になっていますが、ガツンとやられたという事柄を思い出せません。
たくさんありすぎて、「これ」と言えるものがないのです。
が、改心して謙虚でいる事によって、悪い事を避けられるのならこのまま生ききりたいです。
自分は思ったより、後ろ向きなのですよ。
「損して得取れ」
ということわざがありますが、その逆を行っていますね。
Oh, I found it!
見つけました。
「損して得取れ」の反語は
「一文惜しみの百損」です。
(目先の損失に囚われて長期的な目線で物事を考えられない事)
パワー!
きんにくん
自分はパワーというより、
ディフェンス!
Peach
でしょうな。
如何(いかに)に何もないのか?(大きな問題が)
を目標としています。
サッカーだとバックパスは後ろ向きだと非難されがちなのですが、人生の試合は死ぬまでですので、長丁場をもたせないといけないのです。
そりゃ温存しますよね。
え?
あっ
違う?
そうじゃない?
うーん🤔
いい方がわからないな。
底を尽いてると相手に思わせたら負け決定ってどういう風に言えばいいの?
発展しないっていう事でしょ?
前向きな気持ちしか持っていないんでしょ?
人間は仙人ではないです。
霞(かすみ)を食べて生きていけるわけではないのです。
(要は物質(お金)も必要だと言う事です。)
気持ちだけ?
でも、資産欲しくないですか?コソコソ
メリットに見合う物を提供出来るのか?という単純な疑問ですよね。
「伸びしろがない」
って思われたらどうなるの?
見切るかな自分だったら。先が見えちゃうからね。
じゃあ、自分は餌に釣られないようにするよね。
釣りと同じです。
釣られたら最後。
相手に煮るなり焼くなりされてしまうのです。
人は前提として幸せになるために生まれて来ます。
(人によっては悲惨に成る事を選んでいる人もいるかもしれないです)
それに沿った生き方をしているのです。
端的に言うと自分で決めて来ている、といういい方が妥当だと思います。
死ぬ時も、私達は、
どうしてあそこで死ななければいけなかったのか?
とかいうのも、
決めて来ているから
だとしか、上手く言えません。
望んでなったわけではないのですから。
自分の方法を間違えた結果であるという事。
(前世からの因縁であるという事)
更に言うと「死」は失敗ではありません。
「死ぬ気でやれよ死なないから」
自分が敗者復活戦の立場に立てるのなら、人生かけてやってみればいいんですよね。
それは、結果ではなくて、チャンスであるのだけど、出来る事が出来るチャンスを与えられたという幸運なのですから、やっておくべきでしょう。
それが就活であったり、婚活であったり、受験であったり。
我武者羅 がむしゃら
無我夢中 むがむちゅう
そういう物に出会えたという事自体が幸運なのです。
だから、自分が結果ではなく過程論を唱える理由です。
時代劇や昔のドラマや映画の屈辱的な負けという概念が人々の撤退を躊躇させてしまっています。
プライドを守る為に撤退出来ないのですー。
後も不幸も大きい小さいなく皆にあるのです。
だから自分は不幸だ不幸だと言って嘆く人に対して厳しいのです。
自分だけが不幸だと思いこんでいるからです。
いやいやいやいや
皆大なり小なり悲惨な目に合っていても語らないだけでしょう
自分の不幸を嘆く人を人は決して同情しないのです。
むしろ厳しい言葉を投げる人もいて、踏んだり蹴ったりな事の方が多いはずです。
親ガチャ理論
失敗の原因が親のせい
最終的にそこに行くのはもう終わりだという証明なのです。
言い換えると敗北宣言。
後は起き上がり前を向いて歩くしかないのです。
立て。立つんだ、ジョー!
あしたのジョー
挫折ってやつです。
挫折も学びだから。
もっと言うと自分の思い通りにならないからって相手の悪口を言うって自分は嫌いです。
清々しくないよね。
(自分の感想なだけです。)
人は成長する生き物です。
人生一度キリです。
悔いのないように。
以上です。