今なにをやっていても、とにかくこの瞬間、あなたは完璧なことをやっているということです。
もし今、あなたがひどい状態にあったとしても、それは「完全な」ひどい状態なのです。
あなたがやっていることは、常に、それ自体「完璧な」現実なのです。
ほんのちょっと変えてやるだけで、まったく違う現実をつくることができます。
すべての小さな要素は、その数式のなかで「変数」として働きます。
ですから、その変数を変えてやるだけで、数式全体が変わります。
立方体があったとします。
その中のひとつの面の色を変えてやるだけで、全体が変わります。
インドに行って人生観が変わったって言うやつは、浅い
そういう価値観が、当たり前になりつつあります。
有吉氏もひろゆき氏も言っています。
こどおじ(独身男性実家住み)が、東南アジアや、インドを有難がって訪れる事から、海外旅行軽視(失笑もあり)されてきた感は否めません。
というのは、ぶっちゃけ言ってしまいますと、日本人としてお金さえあれば強気でいられる貧困国に大威張りで行ける国で何を悟るのかという直球を投げられたら、返せないからです。
子ども部屋で、まだ親の加護を受けているのに人生観もクソもありはしない、キツい言い方をすればそういう事でしょう。
人生観というのは、親から独立して初めて持てるものかもしれません。
なんだよ!
自分も前にインドの旅行記の本を買っちゃったよ!
意地悪い言い方方をしますが、インドの文化以外はお金の格差の話がメインだったりします。(本の内容)
自分が経験した観点で言わせていただきますが、やはりちょっとした旅行で良いホテルなり、普通であり、安ホテルであり、泊まってその辺のご飯を食べて旅行気分を味わって帰るだけでは、どこの国に行っても出来そうで、
知り合いがそこに住んでいて滞在して生活の一部に入らせてもらい、その国の人と触れ合うくらいに近くないと、旅行者は旅行者だというだけだと思います。
そこまで言うなよ!
ごめん。
でも、行く先々で、深いお付き合いは大事な事でしょうか。という疑問。
景色を見たりご飯を食べたり、観光地をまわる事に深さは必要ない
むしろ私達は旅行というものを、人との人間関係の煩わしさから逃れる為にするものという価値観の人もいるはずなのです。
少し丁重なサービスを受けたいと思うなら、ちょっと気持ち高めのホテルに泊まる事もありだし、物価の安い国で贅沢をするのも良いと思います。
観光客として、歓迎してくれるでしょう。
自分もむしろそういう方が動画も見やすいです。
自分も見たり行った気持ちになれるからです。
現地の人との交流とか、いる?ってな話です。
ぶっちゃけ一瞬くらいなら、現地の悪人でも良い人ズラは出来ますから、表面上の作った茶番は自分は別に要らないですね。
だって、行ったら自分もそうしないといけない?
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルってプレッシャーになるじゃないですか。
貧困国に行ったら、物乞いにコインを配ってあげないといけないのか?、とか、子供全員にお菓子を配らないといけないの?とか。
自分の国の日本は裕福だから、貧しい国の人々に施しをしないといけない?
自分はこれを考えると一時間くらいは、考え続けてしまうので考えないようにしています。
自分は働いていないので、自分が裕福とか、わかりません。・ω・
比較をすれば確かに恵まれているとは思いますが上には上がいますので、自分が裕福だと思っていないのが正直な気持ちです。
上昇志向に終わりはないのかもしれませんね。
だから何?っていうもんです。
海外に行っても自販機のカップ麺に頼っていて、全種(コンプリート)制覇しましたが何か?
貧しい人とか、国とか、正直自分の手に負えない事って思いませんか?
どうして国がやらないのでしょう?
何故人の善意に頼るのでしょうか?
旅行先のホテルも調べれば余分に1000円出すだけでも良いホテルに泊まれますからね。
そういった事が(人も)咎められる(とがめられる)のはおかしいでしょ。
皆、貧しくないと平等ではないの?
1000円で貧しい子供に全員飴を配ってあげないと許されないってか。
青汁王子のフィリピンの動画を見ました。
けど、ポップキャンディ一個で子供達が激しい奪い合いをしてて(女の子)、自分は正直ドン引きしてしまいました。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
施す方も何か見たくなかった人間の実態も見ないといけないわけで。
それは見ないといけないことではないと自分は思うんですよね。
現地の子供は、ただのラッキー案件としか思っていないと思いますよ。
くれれば何でもいい的な。
それは誰からでもいいのです。
雑食だからね。
あ、言っちゃった。
差別発言。
すみません。
いや〜お金がある人ならばそれも慈善で良いと思いますけど。
やり続けるのは不可能じゃないですか?
相手は底なしですよ?
でも、個人的に物資をプレゼントするという事は自分は良いと思います。
あげたい気持ちがあるのは心情的にわかります。
自分も自由に使えるお金があったら施したいです。
貧しい国の人々が心が綺麗
意外とこういう概念があるっぽい感じがしますが、実際はそうではないと思います。
クズはクズ
沖縄民が観光客にはとても優しくて良い人だというのもこういう思い込みから来ているのだと思います。
こういうのは表面の部分だけで止めておくべきなのです
実際は普通の生活ぶりを見たら、同じ事はきっと言えないと思います。
それは、沖縄の海に憧れて移住しても、ほとんどの人々がUターンしてしまうという事実に基づいての考察です。
(自分調べ)
普通は移住すると決めたら覆さないと思いますよ。
お試しに住んでいたり、認識もあると思いますし。
良いところばかりを見て移住した、でも人々が閉鎖的だった。
でもそれは騙される方が悪い。
という理論も通用しなくなりつつあるような、良い人かと思ったら裏の顔と表の顔が違ったりするのは、もはや、日本の常識で知っておくべきなのです。
観光地みたいな海はめっちゃ綺麗ってな所に、何故にこういったヤカラ達が集まるのか自分の中では不思議だし、意味不明です。
常夏というか、サマーランドというのは、もう働く気がなくなるのかなあ。
インドに行って人生観が変わるというやつは〜に戻りますが。
自分も似たような国を旅行しましたけど、蚊にさされて一ヶ月おかしくなったし、(下痢)旅行先で寝たきりになったりして、(高熱、だるくて何も出来ない)何をしに行ったのかわからなかった事があります。
お金も飛行機の帰りのチケットと、数万円(4万円は確実にあった)をタクシーの中に忘れてしまったり、(言わなくてもわかるよね)しました。
嫌な事が、立て続けに起こり、自分の中ではもう夢のようで、覚えていません。
箇所が、ぽっぽっと浮かび上がるくらいです。
好きか嫌いか
これだけはわかります。
嫌いならもう行かないだろうし、好きになったら何回もリピートする人もいるでしょう。
命の危険に対する己のビビリ度にも関係があるのかな。
昔、成田離婚というのを、言われていた事がありました。
バブル時代は海外旅行に行く人が異様に多かったのです。
旅行をすると、これからこの人とやっていけるのかいけないのかが、ハッキリわかってしまうんじゃないでしょうか?
「それな。そういう事はハッキリわかんだね」
ずんだモン
「そうよ、ずんだモン、旅行ってお互いの行動とか思いやりとかが国内にいる時よりも見えてくるんだと思うわ」
めたん
旅行に行くと人となりが分かるのは否めません。
何が言いたいのかというと、バシャールの今日のテーマの
「ひどい状態にあっても、角度を変えてあげると変わるよ☆」
です。
深いも浅いもその人はその人です。
批判すら必要ないのです。
批判は必要でしょうか?
自分はそう思いました。
以上です。