ほんのちょっと変えてやるだけで、まったく違う現実をつくることができます。
すべての小さな要素は、その数式のなかで「変数」として働きます。
ですから、その変数を変えてやるだけで、数式全体が変わります。
インドに行ったら人生観が変わったという人は薄っぺらい論の続きですー。
本当にそうなのだろうか。
相談サイトにて、見てみました。
だいたいの意見として、「それ日本でも出来るし、日本に置き換えても同じだから」
というのが多かったです。
これについては、インドで人生感変わった民の味方をしたい部分がありますので、読み進んでみてくださいませ。
「場所を変えると捗る(はかどる)民」がいます。
韓国は受験や競争社会であるので、勉強の量の多さは日本と比較にならないくらいですが、家でも勉強、塾でも勉強、カフェでも勉強、飽きたら別の教科を勉強、甘いものを食べてまた勉強して、飽きないように工夫しながら勉強をしているようです。
自分もカフェやネットカフェや車の中で本を読んでた時期がありました。
実は自分も「場所を変えると捗る民」だったのです。
ノマド民族という新たな新種も増えつつあります。
その民族は海外をも拠点にして、移動先のカフェや、飛行機、高級ラウンジなどを仕事場にするという習慣があります。
(😁)
ちょっとふざけてみました。
悪意はないので!
「移動の時間を有効に活用したい民」もいます。
それは、電車のグリーン車や新幹線に生息しています。
スターバックスにも多くのそれらを見る事が出来ます。
それらは「場所を変えると捗る民」と兄弟関係でもあります。
それとは、別に、「旅行に行ったら何もしない民」の存在もあります。
文字通り、旅行はゆっくりのんびりしに行くから日常を離れて(忘れて)美味しいものや、綺麗な景色を見てリフレッシュしたい、とい民族です。
仕事にストレスがあるのが特徴と言えるでしょう。
(まだこの口調が抜けていない)
少数派ですが、「旅行に本を持って行って読むとはかどる民」もいます。
自分はそれなのですが、わずかにもいる事がわかりました。
彼等は、スマホが使えない場所や、(禁止されている、持ってると盗まれる等々)時に自分のペースで読み進めたい、日常よりも旅行での方が読み進められる、という理由があるそうです。
ここで割り出された答えは、
「人は何かを学びたい生き物」
なのだということです。
まとめますと、
【人は何か意味を付けてラベル化する生き物である】
と言えるでしょう。(偏見の可能性もあり)
要は、良いことも悪いことも学びだと思えばいいのです。
話は元に戻りますが、自分が
「インドに行くと人生観が変わる」
民に同調するのならば、まず、
1、インドは宗教の中心の土地なので、パワースポットだから人が集まる
2、旅行は日常から離れている
3、場所が変わると常識ではない事も受け入れやすい=価値観の拡大
4、日常ではないもうひとつの日常を絵のように客観視することができ、世の中を俯瞰して冷静に見る事が出来る
4は、先進国でしか出来ない事かもしれません。
何故ならば、たとえ発展途上国で人生観が変わったとて、経済的に出来る事が何もないからなのです。
もし、彼等が日本から遠くの国に行くというくらいの行動力があり、経済的にも安定をしているのなら、自分が変わりたい(人生観を変えに行きたい)という思いを持ってもおかしくない気持ちだけは向上したいレベルな方なのです。
(気持ちがあるだけで立派だと思います。何故ならばまずしなければいけないのは、自分の中を変える事だからです。)
わざわざ行きます?
自分は一回行けばもういいわ、な人なのでー
普通は一般人は変わりたいとも思ってもいない、というか、そもそも変える気もないからです。
もしくは、何もしないで、手っ取り早く人の話とか、本などで、変わったつもりになるのが関の山。
「距離の法則」というのがあるのはご存知でしょうか。
移動する距離によって、遠いほど考えが深くなる、みたいな。
ちょっと上手く言えないです。
調べてみました。
「発想力は移動距離に比例する」
「今までにない発想が生まれる」
まあ、こんな感じでしょうか。
法則とも言えるこの「インド人生観変容化」移動民達の主張は間違ってはいないのでした。
要は発想の転換なのです。
そして、他にも反対勢力の「近場でも発想の転換は可能民」という生態系の人種もいることも事実です。
理屈で言えばその通りなのです。
ただ移動したから変わるというものでもないでしょう。
移動しなければいけないのか?
という疑問に対して自分の意見ですけど、言える事は、
「移動する時に変性状態になる時がある」という事です。
変性状態って何。
変性状態というのは、簡単に言うと「無」になるということです。
何も考えない時間帯。
「無」とも言いますし、「魔」とも言えるかもしれません。
海外旅行をした人はわかると思いますが、国内の緊張感のままでは足りないくらいに気を付けていないと事故に合ってしまうので、バリバリに緊張をしていると思います。
そういう時に、ふ〜っと緊張が溶ける瞬間があるのです。
人間はずっと緊張し続けることは出来ませんので、脳が勝手に変性状態になるのです。
そういう所は、人間の脳は、AIロボットどころの話ではないくらいに知能が発達しているのです。
人によってはドライブ中に、変性状態になる方もいるそうで、運転中に無になっている人(長距離を走っていたり)もいます。
実は人が悟りに至る時間はほんの数秒なのです。
もうひとつ、緊張した後に自分はあまり詳しくはわからないのですが、ハイな状態になると言われています。
心から怒った後、笑い出すみたいな現象です。
お経を唱えまくった人が宇宙に飛んだ、みたいな体験をするのと同等。
だから、わざわざ出向いて得ようとした人のほうが強いのです。
何が強いのかといいますと、「思いと気持ち」がです。(同じかな?)
あと、身体も一緒に運動しているじゃないですか。
頭と身体を一緒に動かした方が、脳は活性化しますよね。
説明要らないですよね。
気持ちだけではなく、頭だけでもなく、お金を使い、行動もしている人に、神様は何もしないって思いますか?
神様は求める人には与えてくれる存在なのです。
ですから普通に、その人が悟ってもおかしくはない状況が揃っているのです。
自分が、やっすい18切符で近場を移動しただけで、ひとつの価値観を変えられたので、この「移動の法則」はあると思います。
ただし、自分が本当にそれを望んだ場合に限るのです。
まれにインドにカレーを食べに行ったら人生観が変わってしまって草、な人もいますが、全員ではないので、例外はないものとします。
価値観まるまる変えたいと思う人は、日本語すら通じない場所に行った方が効果があると思います。
ですし、もし、変えたいと思えば行くと思います。
でも、良い方に転べば良いのですが、悪い方に転ぶと現地の人にポアされてしまう可能性もなくはないのです。
紙一重っちゃ紙一重なのでしょう。
登山家かっ。
もしくは命要らない暴走ヤンキー。
カー!
かっけえ!
自分は女性なので、危ない橋は渡りませぬ。
とにかく、Anyway、人間馬鹿だから日常とさほど変わらない場所で悟りを得る事というのは難しいのです。
そりゃ悟れる人は一瞬でどこにいても悟れると思います。
ですが、簡単な事も変えられない人の方が多いと思います。
だからわざわざ遠くまで行って治療したり、困った状況に自分を置いて修行みたいな事をするのだと思います。
日常は当たり前なので、それを超える何か負荷が必要であるのです。
インドというのは、神様がたくさんいるから選ばれているのかもしれないですね。
知らんけど。
以上です。