人によっては本当に一瞬だけしか見えません。
それだけで定着しているのです。
私達は受験戦争を中学校、早い子は小学校から乗り越えて来ていますので、誰でも多少なりとも受験勉強をする事になるし、実際やってきたでしょう。
成績と、生活が比例しないって そんな事 みんなそろそろわかる事
「Living on…!」
華原朋美
これは、もう30年くらい前になりますかね。
まあそのくらいたてば、新しい価値観も主張し始める人々もいるでしょう。
バブル時代と、今の世の中では、価値観が違って当たり前ですし。
ですが、個人のイメージによる事の方が大きいのです。
時代はあんまり関係ないと自分は思います。
でもほとんどの人はあまり深く人生について考えていないので、多数決の多い方に流されていっています。
自分は少数派のほうになりますね。
だから、あなたの意見はおかしい、というのは違うのです。
その人でなければわからない思いというものがあるからです。
かといって、理解してほしいまで求められるとそれはそれで理解出来かねる場合もあるでしょう。
一体何が言いたいのかわからなくなってきてしまいましたが、自分は自分の価値観があり、それは人に左右されない、と言いたかったのでした。
イケメンにはイケメンの心の苦しみもあるし、大統領は大統領の心の苦しみがあり、多様なのです。
善良の人も影で結構あれですよね。
大人になればわかりますが、表面ではいい事を言いバレないように振る舞っている人もいますので、見た目で一概に言えない事もあるのです。
みんな言いつけを守っているようで守っていない
故にみんなちょっとずつ悪い子なのです。
自分は悪いこともしてきました。
ですが、思うのはいつも
あんな事やらなければ良かった
という事です。
悪い事に鈍感になったら終わりです。
お酒とか、そういうもので埋め合わせしだして、誤魔化しながら生きるようになってしまいます。
自分は自分の目標があって、それに横から乗っかってくる人(それによって目的を遂行出来ない場合)は、いくら相手が立場的に強くても、戦いに行くスタイルを取っています。
悪い事をしているわけではないので、(自分の価値観観念に忠実であるならば)信念によってちゃんと言う事は言うようにしています。
言える場所があればですけど。
誰かにとっては違うのかもしれません。
でも一番大切なのは、自分にとって何が一番大事なのかです。
人によって、正しい事の基準がズレているのは、仕方がないです。
価値観は人それぞれです。
自分は損得を考えてこれを言うべきではないと思う時は我慢はしますが、これを言わないと後悔するような事は言うようにしています。
一人で生きているわけでもないのです。
みんな誰かの子供であり、誰かの友人であり、役割を持っているのです。
何事にも時がある
聖書
人は喧嘩するとき、双方とも悪いと感じている
ゲーテ
恋人同士の喧嘩は恋の更新なり
プビリウス・テレンティウス・アフィエル
恋のから騒ぎみたくなってしまいました。
(*ノω・*)テヘ
人によっては漫画によって世の中の不条理さを知ったり、悪いグループ内ではリアルに友人が捕まったり、アーチストによる権利の主張などでうすうすわかっていたけど、やっぱり!という確信に変わっていったりしていくものであるのではないかと思います。
人によって悟りの場所は違っても自分の主観に合った観念をより強固させていくわけです。
特に
夫婦喧嘩は犬も食わない
ということざわがあり、味方をしてあげたのに、また仲直りしたりして意味不明だと思いませんか?
じゃあ相談すんなよ
って感じですよね。
ウザいったらないですよ。
自分は基本夫婦ゲンカには介入しないです。
警察も基本は出来ないでしょう。
事件性があれば別ですけどね、夫婦の喧嘩ほどバカバカしいものはないですよ。
泥沼試合は本人たちの意志ではない部分であって別れる事が出来ない場合も多いのです。
運命とか宿命とかです。
憎しみ合う運命同士ががくっついた、という昼メロ(お昼のメロドラマ)のような、波乱に富んだ感傷的通俗恋愛劇である
愛の劇場 愛憎劇場の世界が現実に。
事実は小説より奇なり
なのです。
喜劇かっ。
夫にDVされる、殺されるというシナリオまで自分で(あるいは共同して)創るらしいのです。
運命から逃げられないのが
カルマ
だからです。
血の池地獄
いやっほー
一般人は夫婦の問題に介入してはいけないのです。
良い悪いという判断が通じるのならとっくに解決しているのです。
なんていうか、泥試合というか、
血で血を洗う争い
ようなえぐーい骨肉の争いみたいなものです。
人の家の事なんて、他人がとやかく言うべきではないのです。
何度も言いますが、それを心の奥底で望んでいる場合があるからです。
ドロドロの渦中にいる方にはこれを受け入れる事も出来ないのです。
あいつが悪い
あいつが悪い
あいつが憎い
生き地獄ですね。
だからというわけではありませんが、独身の人は苦労がないように見えます。
まだ泥試合を経験していないからです。
厄介なのは、別れても悪口を言えない事。
お互いに。
だから夫婦の問題は表面化しないのです。
これが修行っちゃ修行なのです。
マジでキモいです。
でもみんな似たようなものなのです。
イメージングの話に戻ります。
一瞬だけ見えるだけで定着するというのは、簡単でいいですね。
それが難しいのですけどね。😁
お百度参り
神社に100回お参りすること
ですが、物理的にも精神的にもキツいですが、
それでも叶わなかった
人もいるのです。
それだけ叶えたい夢というのは
努力だけでは到達しない
のでしょう。
お百度参りをすれば叶う保証はありません。
それが一瞬のイメージがどのくらい難しいかという基準です。
それ以上に頑張らないといけない、ということです。
泣くのがいやならさあ歩け
水戸黄門
水戸黄門主題歌
「あゝ人生に涙あり」
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙のあとには虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道をふみしめて
人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとからきたのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け
アリとキリギリス
ウサギとカメ
逆転劇は非常にたくさんあります。
自分は正当法で成功したいと思いましたので、自分はそうしようと思います。
それはと言うと
イメージングです。
出来ないなら時間をかけて続けるしかありません。
願望は
自分で聞かないとわからないですから。
まず、自分がどうしたいのかをはっきり決めないといけません。
以上です。