性格とは、毎瞬毎瞬、あなたがその状況からなにを一番学ぼうとしているのか、という姿勢にすぎないのです。
ですから、自分の中に持っている考え、「観念」を変えると、自分という人間がまったく変わります。
文字通り、変わるのです。
自分はバシャールの感情が入っていないけれど、愛情のある悟りを読むのが大好きなのですけど、
高い波動の人が何故好かれるのか?
という疑問に対して自分はすぐに答えられます。
何も奪わないから
です。
これは本当に優先すべき付き合う基準でしょう。
恋愛感情で、相手を意のままに操ることもないし、暴力で依存関係を作る事もなく、金目当てで相手の経済力しか頭にない人など、
欲の塊人間が多すぎるんですよね。
傍から見ても、
人気だけ欲しい(有名になりたい)
(そのために)人に恋愛感情を向けて(それすら打算であったり)
自分が思うのは
今本当に自分が得したい民増えすぎ
SNSでキラキラ毎日を見ているせいなのか。
でもさ、キラキラ毎日を送ってる人(美少女立ち位置)は既に彼氏くんがいるから。
良い人っぽい人が実際はとんでもない人っていうのを結構誰もが経験しているんじゃないのかな〜。
頭お花畑くんが爆増してる
なんていうか、自己陶酔したい民
誰でもとりあえず「好き」って言ってれば(思っていれば)成立するSNSの恋愛観
自分叶わなくて辛い
そういう自分に酔ってる民
誰でも出来る時代に突入してしまいました。
みんなが総勢イケてる異性に片思いで叶えたい民爆誕
一つの流行なのでしょう。
SNSの怖いところは、人と違う事が出来なくなるという事です。
中にはオリジナルで空気読まずに顰蹙(ひんしゅく)を買う民もいて
カオス
要は自分がない人が思いの外(ほか)多いという事でしょう
自分の感覚ではありえないのですが。
流行に本気になるアホが日本中にたくさんいるってどうなの?
人ごとで済まして大丈夫?
みんなで同じ事をしていないと不安?自分がなさすぎじゃない?
価値観がわかんねー
SNSで、キラキラ同世代を見てると自分でも出来そうな気がしてきたり
現実を踏まえていないために、わからない所を妄想で誤魔化して、それを苦しい恋愛かのように設定して上手くいかない自分に酔っている
要は暇
ぶっちゃけ人間って常に異性の目が欲しいわけですよ。
今までならば、それはテレビの中のアイドルや、俳優さんでした。
見てるだけで癒やされる
というのは、人間はやはり美しいものが好きだからなのです。
それが恋愛なのかどうかはわかりませんが、物足りない毎日に潤いを与えてくれる存在であったりするのです。
人の魅力のピークは20代から30代くらいじゃないですか?
バーチャル効果ではないけど、見るだけで元気になったり元気をもらったり、たとえ実際は最悪な人格であっても。
咎められる事なく、ファンでいればいいわけです。いることができるのです。
現実は、つまらなく、周りを見ても仕事で疲れてイライラしてる人ばかりだし、良くも悪くも平凡で。
仕事が辛い、意地悪な人ばかり、いい事なんて何もない。
そんな毎日に、SNSにキラキラモールで映えするスイーツ片手にピースしてるキラキラ民族が発見される
ゲームみたいなものです。今の時代は、
如何にしてたくさんの人々より得出来るか?
インターネットが出始めて、手が届かないと思っていた人と会ったり連絡が取れるようになり、
日本全国勘違い上級民が爆発的に誕生してしまいました。
つまり、傲慢民が増え、謙虚さがなくなってしまったために、挙句の果てにはストーカーをしてまでも、相手を手に入れようとする
リアル妖怪ウォッチという、見たくもないのに目に入ってしまうという
不愉快な状況に遭遇する事になりました。
自分は、有名人と接触する機会があっても
どうも〜
で止めておいています。
だって、彼らは想像を超えた人々に会ってるじゃないですか。
自分はその中の一人になりたくないんですよ。
それだけの理由です。
バシャールの性格の文章に立ち戻りますが、
観念を変えると、自分そのものが変わるという事です。
例えば凄く細かいのですが、自分はボールペンマニアでも何でもないのですが、紙に字を書く時、細いペンの方が好きなのです。
好きなのです、というのは、前フリです。
シャープペンにも0,5、0,7、1,0, もっとあるのかもしれないですけど、それに加えて
濃さがあります。
自分は一番濃い「2B」を使っています。
濃いので手に汚れがついてしまうのがあれなのですが、そうなるとボールペンの方が使いやすいのです。
シャープペンの文字は角度によって光って見えなくなるのが地味にストレスでした。
コストパフォーマンスを考えたら圧倒的にシャーペンの方が良いのですが、自分はもう大人なので文房具くらいは好みのものを使いたいです。
そこでボールペンが登場するのですが、これが細ければ細いほどいいのです。
上手に字が書けるのです。
昭和のボールペンは0,7か、1,0しかありませんでした。
ボールの部分が大きいので、マジックみたいに太字になってしまうのです。
日本語は漢字が多く、あまり太いペンで書くと小さい文字は下手すると滲んで(にじんで)しまい、漢字の形しか残らない状態になってしまいます。
自分はどんなに頑張っても太いボールペンを使いこなすことができなかったのですが、シャープペンにも太さがあるようにボールペンも太さがあり、水性タイプ、油性、ゲルインクがあります。
自分は書かないといけない事があって、100円均一ストアでボールペンを試し買いしていた事があって、0,38のボールペンを使った時に(自分の中でだけの)革命が起こったのです。
もう君を絶対に手放さないからね…
その後、自分は散々0.38を使っていたのですが、0,38がない時に、0,4を買ってみて書いたのですが、結局0,4に落ち着きました。
0,38は細くて確かに良かったのですが、裏に滲みうつってしまっていたのが、唯一の欠点でして、そうすると今度は紙自体を厚いものに変えないといけないのです。
あ、なんか自己満な事しか書いていないですね。
今使ってるボールペンは、にじまないし、裏ウツリもしないのです。
どんだけボールペンについて悩んでいるんだ自分!
まあ、普段の日常風景だと思ってください。
ボールペン一つで、それだけでも快適さがアップするのですから、観念をひとつ変えれば、細胞レベルで変わるのでしょう。
そうなれば、の話しですけどね。
自分はほぼ無理だと断言してもいいくらいです。
何故ならば
人は自分を変えようとしない生き物だからなのです。
ですが、どうしてもどうしても変えたいよという人は、
それこそ山に籠もるしか方法はないでしょう。
そう思います。