外観はまったく変わらなくとも、自分の内側が変わり、性格が変わっているということは、大いにありえます。
自分が変わることを望み、「変わった自分」を積極的に演じていくとき、自分の人生が‘’実際に‘’変わります。
うう〜
結構しつこいっすね、バシャール。
それだけ、内側が変われば外も変わると言いたいわけですよね。
‘’なったつもりで行動する‘’
というのがバシャールの定番的思想です。
自分は平凡な
(でも本当は奥様は魔女だったのです。奥様は魔女)
NONO
チガイマース
ただのオカルト好きなおばさんです。
【変わってる奴はとっくに変わってる】
というのが、自分の持論です。
変わる途中という人もいるでしょうが、大体は
運命が変わる合図
だとか、
叶う前兆
とかいう希望的観測を言い
独りよがりに判断しています。
そして、自分こそが夢を叶える人なんだーってからゲンキになっています。
で、落ち込むまでがセットです。
それでは変わらないですよね。
ただのループなだけです。
主体性がないのが特徴です。
まさに行列を作って並ぶ民。
自分で決めていない民。
迷路ゲームに入れられた実験マウスです。
結果は
自分がそれだけ努力をしてきたのか?
という事なわけです。
正しく努力出来ていれば叶うのは時間差で叶うでしょう。
でも叶う前兆を経験してもしなくても叶うものは叶うし叶わないものは叶いません
自分の思い込みを変えない限り変わらないでしょう。
やってる風になっているのです。
実践が一番大事なのではないかと思います。
自分は得をしたい
というのではなくて、
損をしたくない民なのです。
自分のしてきた努力が無駄になるのが、許せないのです。
そうであるならば、まず、自分のやり方が合っていないといけないわけです。
ですから、バシャールがいう「チェック、チェック」(確認、確認)をしています。
忘れがちなのですが、例えばで言うと棚になにが入っているか、見直すとい
うのは定期的にやったほうがいい習慣ですよね。
時間が経って要らなくなったものは、捨てていくわけです。
結局自分が自分をわかっていると思いますし、
答えは自分の中にしかないのです。
青い鳥です。
外にはないのです。
宇宙から可能性を引っ張ってくるだけ。
それが引き寄せの法則なのだと思います。
内なる意志が大切なのです。
ワクワクすることをすれば、波動が上がるので高い意識と繋がりやすくなる
もう一度
ワクワクすることをすれば、波動が上がるので高い意識と繋がりやすくなる
これ、引き寄せの大事なトコです。
変わりたいと思えば変わるしかないです。
だから
だれでも3日で英語が話せる、という理論は
まず無理でしょう。
隔離されてスパルタ教育で英語しか話せないような状況に置かれて、人間の
習性の三ヶ月理論を用いてようやく話そう聞こうという姿勢が作られると。
蓄積された過去以上に努力しないといけないけれど引き寄せ民は努力をして
変えようとしていません。
言い切るのはよくないですが、いいとこまで行って出来ないという事になっ
ているのではないでしょうか。
頑張れば相手に認められて受け入れてもらえる
その思考はただの希望的観測にすぎません。
どこかで苦労すれば報われるという漫画や小説や映画のストーリーに自分を
当てはめる民でしかありません。
本当に主体性がないのです。
洗脳だと思っていいと思います。
物語には
起承転結がありますが、
私達の日常はありませんので、
漫画に影響されすぎて
なろう系
に自分がなれるという思い込みをしているだけです。
ゴールドラッシュは誰が儲かったのか?
道具やサービスを提供したサプライヤーです。
当てる人より、当てるビジネスをした(夢を見させた)人が儲かったのです。
リーバイスという説もあります。
人生それではもったいなくないですか?
いやいや、自分も人のことを気にしている暇はないのです。
やることをやらないといけないのです。
やることをやる、というのは
バシャールの言うようにワクワクする事を行動に移す事です。
そのための準備はしないといけないのです。
例えで言うと、
旅行したいから、節約してお金を貯めるとかです。
現実的な行動が絶対に絶対に必須です。
節約するというのは、どこかを切り詰めないといけません。
自炊するとか
自炊するには、節約レシピを知っていないいけないのです。
節約レシピを調べます。
自分が作れそうなものを見つけて作り方を見ます。
材料を買いに行きます。
作ります。
とまあこういう感じです。
旅行に行った時も、空港や駅で、お土産を無駄に買い過ぎないというのも節
約に繋がります。
ゴールデンウイークに海外旅行した日本人観光客が毎年テレビのニュースで
流れてきて、今年は日本から食料を持参していく人々が多いという事です
が、
そういう民を
ジスラーというらしいです。
確かに、高くて不味い外食にお金を払うよりも、カップ麺の方が美味しい。
わかります。
御当地グルメは何回かどこかの店で食事するだけでいいんですよね。
自分は中華街の中華料理も美味しいと思えなくなってきていますので、
舌が肥えてきているのか、化学調味料の奴隷になっているかのどちらか
なのかもしれませんけど普通にクックドゥの方が美味しいです。
中華街の中華は、最近出来た出店のつまみ食べ歩きフードなら、日本寄りなのです
が、中国人の中華は、麻婆豆腐がめっちゃ辛いだけだったり、スープが塩っ
気がなくて味がしなかったり、ザーサイも
「近くに業務スーパーあるよね」
という味ですし、麻婆豆腐に対してごはんが足りないのは厚い陶器に入って
いるせいだと思います。
自分がたくさん食べるという事?
まあ自分は少食ではないですが。
自分は「中会楼」←めっちゃ適当に作った店の名前
金風廊、とか、菜香館(適当です)みたいな似たような名前多すぎくて見分
けつかない
みたいな店を間違えて入った事があります。
で、おすすめのランチを頼んで来るじゃないですか、
で、
あれ、オススメのメニューの画像と違う
と思いながら食べてみると味が薄くてそんなに美味しくないのです。
これが美味しいんか?…
店を出ると違う事に気づく(*ノω・*)テヘ とか。
そうしたら、家族も同じ事をやらかしました。
有名で並ぶ店の隣に入ってしまったのでした。
間違えて入っても普通に美味しかったのですけどね。
中国のお店は日本人中華料理とは、ちょっと違いますよね。
お祭りの屋台の具なし焼きそばが美味しいみたいなもの コラ
それは言い過ぎ
いやいやいやいや
中国料理にそこまで言うのは失礼過ぎるぞ
バカモン
すみません(_ _)
美味しいトコは美味しいですから。
ですが、周辺に住んでいる人も家族が聞いた話しでは
中華街の味が昔より落ちた
と言っていたというので
そんなはずがない
と自分も聞こうとしませんでしたが
ハズレ
な店に何回か入ってようやく周辺住民の言ってる意味がわかったのです。
要するに
中華街の中華料理は(全て)美味しい
という思い込みがあり、昔ほど美味しくなくなったという意見を聞くことが
出来なかったわけです。
百聞は一見にしかず
人がどんなに真実を言っても自分が経験をしないとわからないのです。
そして人は机上の空論をかまして勝ち誇るのです
知らぬが仏(しらぬがほとけ)
世の中が知らない事があっても生きていける良い例です。
自分も中華街の事で思い込みの怖さ(料理ごときで怖いも何もそこまで怖く
はないけど)で、相手の正しい意見を聞けない、ということはある、という
事を頭に入れておくといいと思います。
自分がクソ不味い麻婆豆腐を食べなければ
中華街の中華は美味しい
という思い込みを外せなかったわけですから
行って食べてみないとわからない
つまり
百聞は一見にしかず
なのです。
だから、盲目に信じる事も大事ですし、盲目が覆されるという経験も必要な
事なのです。
ただ辛い液体をお金を払って食べる罰ゲームかと思ったけど、自分は頑張っ
て食べました。
次の店では、辛いかどうかを聞いて
辛くしないでってお願いしたのに辛かった
という経験で麻婆豆腐が美味しいと思えなくなってしまいました。
引き寄せが出来ない人は
自分のやり方が美味しくないのに頑なにやり方を変えていない人
相手は不味いと言わないのです。言えないのです。
悪く言うとそれを自分で気付けない。
でもそれは相手の思いやりなのです。
嫌いなところほど言えない。
恨まれたくないですからね。
嫌われたくもないし、嫌われたら自分が損しますからね。
要は自分の事で精一杯で相手を思っていないのです。
あぶり出されるだけです。
自分で気が付かないといけないのです。
順調にいっていれば自分でわかりますから。
引き寄せは重くないほうがうまくいきますよ。