個人がひとつの方向に向かうようにひとつのエネルギーを向けると、宇宙空間の中に、ある種のエネルギーをチャネリングするようになります。
そして、ここで作られたエネルギーが地上のすべてに行き渡るようになります。
うむむ
バシャール
おぬし
やるのう。
自分は音楽家をイメージしました。
音楽で好きな分野はあると思います。
人によっては趣味が違ったりするかもしれませんが、音楽という形になって地上に降りてきているのです。
宇宙空間の中から、音楽家が引っ張り出してきて、チャネリングして、エネルギーで物質化する。
引き寄せの法則な感じですかね。
絵でもいいし、ダンスでもいいし、文章でもいいし、建物でもいいですね。
ピラミッドとか。
人が集まる所には良いエネルギーが流れているから、それを(フィーリングを)感じたくて来るわけです。
なぜ良いのかというと、綺麗で良いエネルギーがあるからです。
自分は、オリエンタルな感じのものが好きなんですけど、ボヘミアン調というか、民族衣装なやつの東洋的な感じのやつなんですけど、
自分は柄物が苦手で、矛盾してるんですけど、組み合わせが難しいので、特に花柄がお布団みたいに思ってしまって。
まあ昭和病の部類なのかもしれないんですけど、
花柄って場合によっては物凄くダサいと思ってしまうんですけど。
個人的に、頭にハチマキみたいな物を巻くのもちょっと苦手かもしれないです。
全然頭守ってなくない?
ごめんただの冗談だから。
あれは髪をまとめるための小物だよ?Peach。
オリエンタル調に戻りますが、何故か布に刺繍があったり、オリエンタルとか、ボヘミアンとか模様が入っている服が好きだったのですが、普通の服と違って大量生産していないじゃないですか。
昔はそういう専門のお店でしか、買えなかったのです。
民族衣装っぽい服とか。
インド系も嫌いではなく、オリエンタルな部類ですよね。
リュックも、多色使いの糸で編み込まれてた布っぽいクタッとしたリュックを好んで使っていました。
インドのお香が漂って来そうですね。
東南アジアとか、人々はゆる~い感じで締め付けない上下のパジャマっぽい服を着てたりしますけど、自分も東南アジアに行った時に、そういう服を作ってもらったことがありまして、あっという間に布を裁断してミシンでピーって体型通りに作ってくれるんですよね。
ストレスフリーな感じでラクだった思い出があります。
夏はオリエンタル調とか、ボヘミアン調を着ていてもおかしくないので、非常に個人的には嬉しいです。
おフランスなんかは、夏にはボヘミアンっぽい物を取り入れたりして、おしゃれにちょっと小細工したりしているあたり、
もしかしたら、冬は雪だとか、雪の結晶とか、
夏は夏の結晶みたいなものがあり、オリエンタルとかボヘミアンとかそういうものはそれを物質化した模様なのではないのか?と
よく言うフラワー・オブ・ライフ的な模様とか、そういう感じのものであったりとか。
十代の時は、母にボヘミアン調の服を買ってもらっていました。
高かったので、いつも一着だけでしたが、普通の服にボヘミアン調を組み合わせていました。
服は結構取っておいてあって、長い間自分のワードローブの中に入っていて、ある日急に合わなくなるまで着ていました。
いつもオリエンタル調やボヘミアン民ではなく、少し遠出をする時などに、着ていました。
ボヘミアンについては、止まらないため、次回に回します☆
宗教も原理は同じです。
お経もマントラも繰り返されるから、ずっと人々に受け継がれていくのです。
まあ、言わなくてもわかりますよね。
そういう原理で言うと、引き寄せほ法則も納得できる法則なのです。
ずっと思っていた事が現実になる、ということです。
良いことを思えば良いことが起こり、悪いことを考えれば悪いことが起こる。
自分も決して教える立場の人ではありませんが、知っている事を共有したほうが、得な事は伝えた方がいいのです。
そして伝える事は回り回って自分が得をするという事でもあるのです。
教える側のほうが覚える、みたいなものだと思います。
基本、引き寄せは奪い合いの真逆の所にあります。
自分が創造するんだから、競争はいらないんですよ。
競争は、引き寄せではないです。
奪い合いは脳の別な所を使っているのです。
闘争本能なのです。
何回も言いますけど、自分が願望を実現させるのに、他人は関係ないのです。
自分からスタートしないとゴールまでいけないのです。
横やりとか横入り(よこはいり)、というのは途中から加わる事なので、要は割り込みであり、人の創造のパクリであるので、何回やっても無駄に終わるのです。
英語で横入りは
サイドエントリー
です。
物事には順序があるのです。
ビギナーズラック
という言葉があるように、たまたま当たった事が不幸の始まりになる事もあるのです。
一回の横入り成功体験で、全てが万能で可能と錯覚してしまうのです。
一回くらいの押し切りは効果があっても、ずっとその戦法が続くのかは、疑問ですし、上手くいったのは最初だけで後に終了してた方が多いと思います。
何故ならばその戦法は正しくないからなのです。
意味ないじゃん。
横入りは自分も最近されまして、場所はコンビニのトイレなのですが、並んでたら後から入ってきたベトナム人男性が、二人すっ飛ばして入ってしまいました。
???
どういう事?
もう一人の、インド系の女性と??????な状態でした。
しばらく意味がわからなかったのですが、一人ならもういいやと思って諦めました。
横入りで検索してみたのですが、江原啓之さんの記事があってそれがちょっとここに合っているので、説明しますが、
誰でも関係なく横入りする人はする
必ず、と。
彼の下町では“ズル込み”と言ってたらしいです。
要はズルい人です。
ズルいと聞いて何故か自分は中国人の横入りを思い出してしまいました。
自分がされたわけではないので、そういう感情はありませんが、されたことあると言えばディズニーランドのスターツアーズで、中国人女性と隣同士になり、アトラクションが終わって荷物を取ろうとした時に、相手のおしりと自分のおしりがガチンコ触れ合ってびっくりしたことがありました。
距離感がないというか、繊細じゃなくてわろた。
自分は
キャッ
と思わず叫んでしまいました。
“中国人は厚かましい、図々しい、平気で嘘を付く、恥を知らない、利益のために相手を利用する、のは、他人にどう見られるのかを一切気にしていないから、そういう態度が取れるのだ”
知恵袋から拝借させていただきました。
人から信用されなくなったら、おしまいです。
その人との関係性がなくなってしまうからです。
表面上は仲良くしてくれているかもしれませんが、仲が良いと思っているのは自分だけかもしれません。
中国人は貧しい人が多いので、何かを手に入れるためには奪い合うしかないので、なりふり構わずに前のめりに我先にと割り込んでいかなければならないのだと。
人と仲良くするのではなく、人に勝たないといけない、と教育されるらしいです。
もうなんだかそれが中国さんのDNAなのではないかと思うくらいなのですけど、価値観が違い過ぎるんですよね。
韓国よりかな。
大義名分も正義も役に立たない国であるならば、生き残る為に図々しく生きるしかないという見解をされている方がいました。
別の言葉で言えば、損する事は絶対にしない、ということですね。
自分はもう高齢なのでひしひしと感じているのですが、
寄り道はもう出来ない人生
であるということです。
自分は寄り道をする気ももうありませんし、刺激もほしくありません。
時間がないからです。
できると思った事だけができる
という宇宙の法則を思い出してほしいのです。
自分は白人男性にはあんまり人気がないんですよね。
相性が合わないのかもしれないんですけど、そういう傾向があるなというのは生きてればなんとなくわかってくるものがあったりするので、
頑張らない
普通に生きる
こういう事をしていくのが一番ラクだし、自然だとおもいます。
無理に自分以外の人にならなくてもいいと思います。
もし、誰かが社会的に成功して、
悔しいーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と思ったら、その人は成功した分野のトコで損をしているんだという事実を忘れないでほしいのです。
運の分配は個人の人の中にはあると思いますよ。
一万円を使えば、一万円のものは手に入りますが、一万円は失います。
他人は関係ないのです。
自分しかいない、自己完結の世界なのです。
周りはモブキャラなのですよ。
良くも悪くも、左右されない事です。
自分の事だけ考えていればいいですよ。
(運を)大きく使うのか小さく使うのかは人それぞれだと思うのですけど、むしろ成功した人は後々大変かもしれません。
一時の場面だけで判断しない方が良いと思います。
脳みそが二つあるわけではありませんので、一個の成功くらいしかないのです。
ですし、本当に欲しいと思ったらやりますから。
だってそれは、自分にとって大事な
神
なのですから。
ですが
頑張って必死になってはいけないのです。
競争に勝つ事が目的ではありませんから。
レッツトライ☆