バシャール①

2024年06月10日 05:52

ドア パート3

宇宙のエネルギーが自由にあなた達の中に入ってきます。
できる限りドアを広く開けることを恐れないでください。




日本もそうですが、窓を開けると入って来るのは



蚊🦟



だけですね。




ハエとか、アリはまれであっても、暑いから窓を開けるのに、宇宙エネルギーどころか蚊しか入ってきません。




日本昔ばなしのように、お地蔵さんが米俵や、金貨を持って来ることは現実としてないでしょう。



ですが、知り合いや家族がスイーツを送って来てくれたり、持ってきてくれたりしますね。



スイーツを買いにいく、というのは、まず女性なら服を選んで着替えてお化粧して、鍵をして車に乗るなり電車やバスに乗るなり、徒歩や自転車でもいいですけど、目的地まで行きますね。



で、ひとつだけ買うことは意外とためらうので、二つ買ってしまいます。



余分にまた何か手にとって追加買いします。



そうして、時間をかけ、運賃も払い、二つのスイーツと追加スイーツを持って、



せっかく外出したんだから、どこかに寄っていこう、と思い、また他のお店に行き買い物をします。



大人になると、子どものように一箇所一個だけ買うということができにくいですね。




時間の効率を考えてしまいます。




ご老人になると、子供化するので、おまんじゅうひとつのためにレジに並んだりしても平気になるのですが、大体はついで買いをして、買い物の負担(二度手間)を減らす事をすると思います。



過去に世間話をした時に、ある人がコンビニのフラッペが好きで夜に買いにいくんだけど、一人で食べるって思われると恥ずかしいからいつも二つ買ってるの。



と言ってた人がいました。



自分はそういうのは(一個買い)平気な人なのですが、家族にもこういうタイプがいるので(二個買い)、タイプ別にあるのかもしれません。



誰かがスイーツを買ってきてくれれば、今の工程を全部省けます。






それはつまり、大事な時間が宇宙から流れてきたからであって、宇宙からのギフトなのです。






宇宙から送られる自由な時間があればあるほど良いアイデアが生まれ豊かに近づきます。




そういうアイデアが金銭に結びつくのです。




宇宙から直接お札が降ってくる事はないでしょう。




自分は全く何も考えていません。(人目を気にしないようにしている)




でも、自分は他人に悪口を言われる事があります。




自分はもう高齢なのに、敵扱いをされる事がよくあります。






女性は死ぬまで女



女は灰になるまで女





母がそう言っていたのを思い出します。




自分のアイデアで得た結果であっても、





あなたばかりズルい。





と文句を言う。









マジでめんどくさいですね。




自分は女性と絶対に喧嘩しないです。




なぜならば意味がないのです。




自分の責任なのに自分は悪いって思っていないのです。




フリだけ。




本当は彼女らはあいつウザいな〜自分の手柄にしたいなー(乞食)、としか思っていません。




彼女らはワガママは通ればルールなしのぶっちぎりの感情論民なのです。




文句言ったもん勝ち。駄目でもやったもん勝ち。




挙げ句の果てには横取り。




リアルヒャッハー民





カオス。






いやー、もう酷いです。




なので、自分は自分を嫌う人に近づこうとは思いません。




絶対に被害に会いますからね。




関わったら負け。




力関係が働く為、こちらのストレスが半端ないからですね。




だから、自分が出来ることは、相手にこうしてほしい、こうしないでほしい、と要望するのみなのです。




言ってもしてくれないから余計にムカつくんですが。🤬








女は灰になるまで女








80歳のお婆さんでも女という事ですよっ。




自分も自分のおばあさんを無下にしてたので、非常に後悔しています。




自分も老いるのにねー。




母は、バカそうに見えて、意外と物事の究極を見ていた人でした。




腹をくくるからこその言動でもありますよね。








自分の母方のおじいさんおばあさんは長生きをしました。



で、自分もスピリチュアルな人に長生きするよ〜?、と言われています。



寿命は決めて生まれてくるそうなので、ただその時がくるまで淡々と生きるだけですね。







人生はチョコレートの箱のようなもの 開けてみるまでは何が入っているかわからない

フォレスト・ガンプ 映画のセリフから〜







あの時代はチョコレートは高級品でした。



ギフトとして送られるのは、たくさんの種類の入ったチョコレートです。



中身は全部チョコレートですが、その全てがいいことであって、美しいことなのだ。(プラス思考)




人生は神様から頂いたチョコレートボックスのような愛のある良いプレゼントであるのです。




人によってはそう思えない人もいるのでしょうが、イエスキリストも







自分の子がパンを求めているのに石を与えるものがあろうか。
魚を求めるのにヘビを与える者があろうか。

自分の子供には良い贈り物をするのを知っていれば、天にいる父は尚更求めてくる者に良いものをくださらないことがあろうか。








と言っています。



お腹をすかせた子供に、食べられない物を与えたら虐待です。例外抜きで。



それでなくても、親は子供にいいものをを与えるでしょう。



与えようとすると思います。



人間ですらそうなのに、神様が何もくれないわけがない。



神様は良いことしか与えません。



そこが、人間と違う愛情なのです。






悪い事は良い事の裏返しで、学びの為なのです。






神様の愛は(生きるとは)広く見た愛です。




チョコレートにはビターな苦みもあるだろうし、渋みもあるかもしれません。




でも同じチョコレートボックスに入っているものは、同じく愛であるのです。




それともう一つは







バレンタインデーと同じで、チョコレート会社の陰謀だと思います。



栄養面ではいらないといえばいらない。




でも、恋愛も遊びの時間も(ニート期含め)ムダ遣い、暴飲暴食




人がやりすぎたらいけない事でも、





必要悪




という事があり、これもまた生きていくために必要な無駄でもあるのです。



チョコレートは確かに究極いらないものですけど、ギフトであれば頂きましょう。



ドアを大きく開けて受け取りましょう。









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