一つの意識しかありません。
そして、ひとつだけの意識を持った存在に目覚める時、自分の中にある無意識、潜在意識の中に出てくるものを隠して見えないようにすることができなくなります。
つまり、潜在意識や無意識の中で押し殺しているものを実際に見ても、あなた方の価値観というものは減らないということです。
このことに気づけば、今まであなた方が何千年も確固とした現実だと信じていたことが、実は夢だったということに気づきます。
要は臭いものに蓋をする、という事は実はできない、できなかった、という事でしょう。
臭いものに蓋をする
なんてのは、ことわざにもなっていないただの言葉の遊びだったということです。
なんというか、顔に出てくるというか、見れば「あーこういう人だな」とか察してしまうような人がいます。
自分はふくよかな方なのですが、見る人から見れば家での怠惰な生活を想像できる人もいるかもしれません。
人間の醜い部分といえば嫉妬ですが、
自分は嫉妬もしますよ。
ですが、人間嫉妬しない人はいないと思います。
なので自分も嫉妬をしますが、自分のやり方として
その相手を一切見ない
ようにしています。
見れば自分がムカつくだけなので、見ません。
これでもか、というくらいに見ません。非情なくらいです。
自分にも一応人としての基本的なプライドはありますので、無礼な事を言われたらムッときますし、自分にマウントしてくるような人は老若男女ちゃんと嫌いになります。
それをすぐに出せないだけなのです。
忍耐強いというわけではありません。
されたらされたで自分なりにストレス発散しないとやっていられないです。
旅行がいい、と言われるのは、頭をからっぽにできるからだと思います。
日常の中にいますとどうしても次のやる事や、明日の事、今日あった事などを考えてしまい、(多分あまり有益ではない考えや情報を)頭にインプットする作業をしがちです。
本当はいい情報だけを取り入れたいけれど、そうではないゴシップに惹かれて見に行ってしまったり自分はします。
毎日が忙しく大変だと言えば大変でしょう。(時間が取れないという事)
そして、制作作業に取り組める時間が足りない為に、情報だけはせめて取り入れようとするのです。(頭が良くなるって思いながら)
人は本当はもっと目標に近づく努力をするべきなのですが(勉強とかトレーニング)、時間が取れない為に隙間時間を有効活用できないのです。
実は自分がそういうタイプなのです。
ですが、言い訳に聞こえてしまうかもしれないですね。どんな境遇でもやる人がいるので。
実は自分はあまり時間を使うのが上手くないとは思っていました。
自分の思ったように進まなかったりして、やる気を更に失くしてしまう方です。
そういう時はこれ!
ことわざです☆
努力は必ず報われる
「元プロ野球選手王貞治」
その後に「もし報われない努力があるのならばそれはまだ努力と呼べない」と続きます。
努力とは呼べない、というのは、ちょっと解釈によってかわってくるかもしれませんが、
正しい努力は裏切らないということは、
報われない努力は正しくない、という事です。
よくいう勉強ノート作りばかり上手くて、覚えていない女子
とか、
ストーカーの愛情表現
とか、
どう考えてもやり方が変なのに、頑なにやり方を変えようとしていない人々というのは、間違った努力だ、と言えるのです。
この両者を見ると、そもそもそれが「やるのが下手星人」なのですが、オリジナルで頑張ってしまうのです。
当然やり方がおかしいから、成果に繋がりません。
それは、カップ麺にお水を入れて、ずっと待っているようなもの。
そこに至らない原因を頑固であるがゆえに無視で進んでいくのです。
要は「俺やってる感」だけ出す人。ストーカーなんてやるような人なんてのは、そもそも人間関係をサボってきている人でありますので、恋愛なんて、まー不可能でしょう。
しかも諦めも悪いから質悪い(たちわるい)。突然の万能感出てきだして、
相手に要求するだけのやつ。相手無視で押し付けてきます。(たちわるい)キモいからもう考えたくありません。クソヤロウ チカニ モグッテロ
ストーカーの人々は自分がキモいってわからないのかな。
男女共に、片思いが美しいと勘違いをしていますが、同等の物資がなければ不成立ですよ。
高望みしても相手は妥協してくれませんよ。
足りないのならそこで、あちらは妥協してくれているのですから。
自分が体験したストーカーはプライドが高い人が多いです。
自分(Peach)のような存在に否定されたという事実がムカつくってだけで、逆転したらポイッと捨てるか、遊んで苦しめるかと考えている人。
決してその人が好きなのではなく、言いなりにさせたいってだけの為に演技して振り向くまで粘るのです。
人を支配したい
これをキモいという表現以外に当てはめられる言葉が見つかりません。
電車に乗り遅れたら待てばいいのに、行ってしまった電車にもう一度戻ってくるように遠くから吠えている人。モウオソインジャ レイガイハ ナインダゼ
どう考えても不可能だという事を人生の中で懲りなく続けているのです。懲りなくてワロエナイ。
塀の中の懲りない面々
安部譲二
懲りない
まさに再犯ってそういう事ですよね。
日本語優勝。
無能と仲良くしたい人はいません。自分が相手のエゴの犠牲者になるのが見えるからです。
ですが、失敗をしないとわかってこない事もまた事実ですね?
何でもすぐに成功してしまうラッキーマンがいたとしても、挫折をして心がポッキリ折れてしまった方が怖いかもしれません。
トントン拍子に結婚して、いざ離婚という事になった場合、自殺率が非常に上がるのは失敗をせずに「何をやっても上手くやれる」という慢心がなかった、とは言えません。
ですが、強くなるためにわざと失敗するべきだ、というわけではありません。
成長の為にわざと敗者になるのはただの「馬鹿」でしょう。
この「努力とは言えない」というのが、精度の濃さ(密度)を表している感じです。
深すぎて謝りたくなってきました。ナンカ カルク ナガシチャッテ ゴメン
精度精度といいますけど、最終的にはスポーツは、「精度を追求する人間を使った科学」なのかもしれません。
水泳もそうですが、いかに水の抵抗がない水着を開発するか?というコンマ一秒を追求するような技術を日々開発しています。
何においてもそうかもしれませんが、道具だけでなく、本体である人間も大事なのです。
だから、
「成功するにはある程度の条件は必須条件」
になってくるのです。
どんなに服が素晴らしくても、モデルがぽっちゃり体型ならば、その服の美しさを表現できない、というのと同じです。
「努力と呼べない」=結果に繋がっていない間違えた方法だから
でファイナルアンサーでしょう!うーん、無駄がないね。数字は嘘つかない。インディアン嘘つかない。
できない理由も一緒に述べているってのが粋なんですわ。(江戸っ子)
スポーツ選手は結果を出してナンボですから、やっぱり厳しい世界なのかなあ、と思いますね。
「ソレにあった条件」
は自分は絶対に必要だと思います。
「まぐれ」
とかいうのは数をこなした上での奇跡であって決してビギナーズラックではないのです。
棚ぼた狙いはそもそも努力ではありません。
試合の最中のこぼれ球にもなっていません。
要は空気が読めていないのです。
=自己中
だということ。
うーんこの。
そういうトコだよ。
見た目やお金を追いかけてきた人は多分そこでつまずくんじゃないかと。
お金って万能感を持ちやすいじゃないですか。
あっ
なんか偉そうですみません。(_ _)
シスターだから〜
マイメロだからわからないー
確かに人生でひもじい思いをするより、お金があったほうが絶対にいいですけど、若さや人間はお金で変えませんから、
それを言うと、人身売買みたいに言い出す人がいるかも知れないですけど、
その時点でもう論点がずれているので、反論では有効ではないのです。
話の通じない人と話し合うほど無駄なものはありません。
パパ活と同じです。
一度不労所得を楽に手に入れた女子は中学生でも高校生でも、おばさんでも、それがデフォルト(当たり前)になり、それなしには生きていけなくなります。
これは、パパも援助を必要とする女子も正しい努力をしてるとは言えません。
一生面倒を見ようというのなら別ですが、それならば養子縁組に入れるとかすればいいし、中途半端に愛情をかけるのは、ただのお金持ちの傲慢にすぎません。
要は相手を人としてではなくペットという感覚にしか思っていないのです。
相手の人生を真剣に考えていないのです。責任感皆無。
女子も女子ではした金で満足をして、自分は高級な女だと勘違いをしていくのです。
うーんこの。
自分はSNSの(Youtubeの)パパ活で高級ホテルでウッキウキのモーニングブッフェなどの偽善の愛情ごっこしてるヤツらを見るのが好きではないです。(嫉妬ではない)
でも見ちゃうけど。\(^o^)/
要は正しくないことは美しくないのです。
美しいと思ってるのが(パパ&娘)キモいのですよ。
で、
世間的ににズレていくのです。ズレたらもう元に戻れません。なんだかなぁ~
そんな奴ら知らんわ。
一緒にされたくありませんね。
自分はそういう生き方をしたくないです。将来性がないじゃないですか。
やはり世間的にうーんと言われるものには理由があるんですよね。
これは、自分の主観が入っているので、例外もあるかもしれません。
ですが、「正しい努力とは何か?」においての例えでわかりやすいように言ってみました。
ペットは要らなくなっても捨てられませんね?
パパ活というのは曖昧すぎて議論したくはないのですけど、女子ってそれはずっと続けられないって思わないのかな?
後で困って生活保護でも受けるつもりなんかな。
自分は貧困女子が毎月千円づつでも貯金して、ようやくディズニーランドに行ったほうが、濃い密度で楽しめると思うんですよ。
不労所得か何か知りませんけど、お高いディズニーグッズを100円ショップのようにどんどん買ってく女子がいますけど。
今容器入りのポップコーンが3千円ですよ?
イージーカムイージーゴーではありませんけど、貧困女子が
「これだけしかない」という状態で一回の入園の方がより深く感謝でき、楽しい思い出を作れるよ?という理論を強く訴えたいです。
自分も人生の中で5回しか行ってないですね。自分もディズニー映画大好き人間なのですけどパークヲタクではないです。お金がかかりますし。
子どもとして連れて行ってもらったのと、親として連れて行ったのと、独身時代に何度か行ったくらいです。
ですが一回一回鮮明に覚えているものです。
修学旅行は今は東京ディズニーランドが主流なのは、
「日本国民一回はディズニーランドに行かなければいけない条例」の制定。
の為でしょう。夢の国ですから♪
行き時がないというか、関西人の「ユニバ年パス保持率90%」ではありませんが、頻繁に行ける場所ではないですよね。
暇だからディズニー行こ
とはならないですよね。
知り合いが年パスを持っていたので、子供を公園に遊びに行くように連れて行ったという人もいるようですが、近所に住んでたからできる事ですよ。
量より質
も大事です。
何度も外国人が「愛してる」と言い合うのに、離婚率が50%を超えているのというのと一緒です。
やはり、回数自慢というよりは、質自慢の方が、いいのかな。
もちろん数も大事です。でもここでは省略します。
臨機応変に読んでいただけると嬉しいです。
自分は重複してしまいますが、おじいさんの妹のもとこさんに西武で買ってもらった服を着倒していました。(ワゴンセールです)
自分はそのカットソーを着倒していましたが全然飽きなかったのです。
黒の白いドット柄のカットソーだったのですが、ドットの部分がプリントではなくて、立体になってるプリントだったのですが、ドットもカットソーもたくさん洗濯しても、色褪せる事がなく、サラサラしてて、着心地も良かったのです。
たかが一枚のカットソーがすごく便利に活用できていたので、お金がない学生にも非常に助かったのでした。
若い時は質より量を求めがちで、自分ももれなくそういうタイプだったのですが、一枚の服を着倒すまで着られる経験というのは
物を大事にする、使う
という体験ができて、諸外国のように
古いのが価値がある(良き伝統)
的なものを思い起こさせてくれる体験になったのでした。
価値は人が決める事もあるけど、自分で決めてもいい事もあるのです。
物自体に、意識もあるのかもしれないです。エネルギーとかオーラとか。
最後にシスターPeachのお祈りで閉めたいと思います。
神様。
今貧しくて困っている人々に、物資を恵んであげてください。
そして同じように精神的に貧しくて困っている豊かな国の人々の精神にも愛と救いを与えてください。
物質も愛情も足りないから、奪い合い、争いが起こるのです。
争いがなくなり、平和な世界になり
すべての人々が豊かになりますように。
みなさんが今日幸せな一日を作る事ができますように。