今に生きれば、すべての情報があなたを求めて向こうからやってきます。
短いですが、一文を深堀りしたいと思います(_ _)
てっとり早くインスピレーションが降りてくるのは、間違いなく静寂な瞑想の時間だと思います。
それだけで、いいくらいです。
自分は瞑想をする時があります。
毎日の日課というわけではありませんが、やっぱり考え込んでいる時というのは、頭の中がごちゃごちゃしてて色んな心配を一緒の系列に並べて悩んだり、相手の問題なのに、まるで自分のせいでこうなってしまったかのように思ってしまったり、と
いう事もあったりするので、一人で冷静になれる時間を作った方が、解決に向かいやすいという風に思っているわけです。
「モテない男性」が「女性」を「恨む」のも、
これは正しい考え方のようで、そうでもなく、「恨みの対象がてっとり早く周りに理解されやすい」という事で「勝手に恨んでも良い敵」として選びやすいから。他者にイチャモン付けたいだけってなような気もしますが、
「単なるモテない八つ当たりの感情」を「発散させている」のであり、「闘争本能を(守るべきである女性を相手に)甘えから標的にしている」意味のない行為であります。
「フェミニスト」とかもその部類でしょう。
そもそも「成功する為」には色んな要素が必要になってきます。「これだけ」っていう単純なものではないのに、一点集中してしまうのも短絡的。
よって、「モテないのは女性のせい」だと直結してしまう男性の思考回路は「普通ではない」のです。思考も楽をしたいのかな。
昭和時代では、夫が妻に暴力を振るうのは結構ありました。
それでも昭和の女性は生活の為に暴力夫と一緒に添い遂げてきたのです。
夫に殴られて「骨折」する人もいて、それでも耐え忍んできたのです。
「嫌になったら別れる」というのは、「愛情がなくなったら夫婦でいる意味がないと言って離婚してしまうアメリカ人的な発想」なのです。
「嫌になったら別れる」というのは「理屈は合っている」のですが、「愛情は3年で冷めてしまう」ものであり、自然の原理なのです、むしろ「離婚による精神や経済の不安定さ」の方が、問題といえば問題なのでは。
昭和時代であればいたであろう夫婦は、「今の時代にマッチしなくなってしまった」為に「そうなっただけ」で「女性のせい」ではないと自分は思います。
「仮に女性のせい」にしても「そっからじゃあ女性が心を入れ替えてね!の説得力」では「大人になった女性」を動かす事はできないでしょう。
女性も女性の生き方があるのですから、無理強いはできないでしょう!
自分は「いつまでも人を恨むような人」ってやっぱり根性が悪いような気がします。
「避けられる」「すぐにフラれる」というのは、大体が「本人の責任」であるでしょう。男女共に。
人から「逆恨み」されるほど理不尽な事はありません。
「まるで自分は正しいけど自分以外に責任をおっかぶせているだけ」であり、一向に自分の問題は解決しないでしょうし、
「世の中の幸せな人々を呪う」ようになるのです。(別に幸せってわけでもないのにそりゃあなたよりかはマシだけど)
「もののけ姫」の「タタリ神」になってしまっているのです。
これは「遺伝」といえばそうだ、と、思います。自分は根性が悪い人って小さい時から意地が悪いなって思っていました。
「いきなり突然に」そうなる、と、いうことはないと思います。
これは「物事の解釈の仕方」の「積み重ね」だと思うのです。
自分は普段から悪口を言って人の弱みに漬け込むタイプと一緒にいたくないです。そういう人って人をバカにしたりするじゃないですか。
同じだと思われたくありません。二言目には(デブス)でしょ。
例えると「汚部屋」はギリギリのラインで外には迷惑をかけませんが、「フェミニスト」や「非モテ男性」は世の中の一般人を一方的に「攻撃」しだすという事で、罪のない一般人を(特に得をしてそうなイケメンや美人に)「すべての悪の根源」だと決めつけ、恨んでいるのです。他責思考っていうんですか。もう耐えられない。キツいです。
一般人にも一般人の「マウント取り合戦」があるんですよ。くだらないんですけど。
「一般人のマウントされ」も地味にキツくないですか。
それもくっそ面倒なのに、違うステージの人々に「逆恨み」をされてもなあ、という感じです。恨む方向もオカシイ。
「自分自分自分」なんですよね。
例えると「高級車」を「維持」するには「見えない稼ぐ努力」も必要です。
それは「人」であっても同じです。
言わないとわからないの?、っていうのがもうワンテンポ遅れているのです。
「そういう事を教えてくれる人が周りにいなかった」という判断をされたという事です。我が強いから聞く耳を持っていないのです。
人は一生懸命頑張っても上手くいかないという人には優しいのですが、それをひねくれた人は「あの人ばかりズルい」と自分を省みないのです。
どういう環境で生まれ育ったのか、凄く卑屈になっちゃた人って…
人間性の話をしてるのに、不利になると相手の弱いところを攻撃して論点をズラして精神勝利したいってだけで目的意識皆無では仲良くしようがなくない?人のだから欲しいってだけって、卑しくない?
一時の快楽の為に軌道修正から逃げていて、努力が嫌いな人なんだなって。
人間関係は勝ち負けではないと思うのですが…
「そういう人に親切に教えても恩を仇で返されるだけだから放っておこ」
となり、伸びしろがある方の面倒を見るのは、当たり前だと思います。
人を恨んでも良い事ないです。
今突然「ハワイから日本に帰る時のバスから見えるハワイの風景」がパーっと映像が自分の脳内を駆け巡りました。
景色も素晴らしかったのですが、バスの中もとても綺麗で良かったです。
添乗員と運転手入れても10人しかいない広々としたバスの中で冷房が効いていて、旅行中の移動は国内も海外もマジで快適でした。
バスの中から見えた「エッグスンシングス」。
人間関係では色々あり本当に無理だったのですが、😞重複しますが、「自分が快の状態」だと快の方の思い出が浮上してくる」のです。
「今」幸せであれば、「過去」も「未来」も幸せっていうやつです。
出来事はコインの裏表であり、「出来事よりもどちらの感情を優先出来るか?」が問題であり、それの連続が明暗を分ける結果に繋がっていくのです。
「楽しい思い出を思い出す」のか、「悲しかった思い出を思い出す」のかは「自分の選択次第」なのでしょう。
It is up to you. あなた次第だよ
無理矢理のポジティブ思考には意味がないので、「良い音楽を聞く」と「気分が上がりやすくなる」ので、おすすめしたいと思います。
良くも悪くも人は目の前の事に「影響されやすい」のです。
ウトウトしているいわゆる「変性状態」の時に、自分はよく、神様を見るんです。
面白いのですが、思ってもみないような神様が来るのです。
今日は「座敷わらし」が来た事について述べてみたいと思います。(_ _)
気分を害するようでしたら、見ない事をおすすめします。
では。
レディゴー
いつものように、パソコンを見ながら段々意識がなくなり、寝る寸前の時にそれは起きました。
「ぬっ」
と頭だけ見えたと思ったらおかっぱの女の子でした。
頭のサイズは自分とほぼ同じでした。
こっちを見ているような見ていないような、でも目の前に来るという事は、存在に気付いてほしいからでしょう。
笑うわけでもないのですが、彼女は凄い近距離まで接近していました。
何となく、彼女が「座敷わらし」だと思いました。
なので「座敷わらしって本当に女の子だし、おかっぱの女の子で着物を着ているんだー」と素直にそう思ったのです。
彼女がどうして自分の前に現れてくれたのでしょうか?
自分は子どもの時に、ちりめん折り紙を使って和風の人形を作っていました。
お友達に教えてもらってそればかり作っていました。
髪型はおかっぱで、着物の柄は、ちょっぴりお高い和風の折り紙で文房具屋さんまで行って買いに行っていました。
当時の社交の場って「文房具屋(夜逃げ)」か、高校の近くにある「パン🥐を売ってるよろずや」か、「駄菓子屋」「ファンシーショップ雑貨屋(夜逃げ)」くらいでした。
レコード屋とか、本屋もありましたけども。まだ小学生だったので。
人形を作ったからといってしおりにしたりも特になく、自己満足でせっせと和風人形を作っていた小学生だったのです。
千代紙っていうんですか。
大正時代の柄とか(紫色の矢みたいな柄)、ピンクや紫や赤色の花柄模様がやっぱり小学生女子のカラーと言わんばかりに、そういう柄ばかりを折っていました。
男性用の青い地味な柄は、自分はあまり好きではなく、折るには折るんですけど残しておくのは赤系の千代紙の人形でした。
時代劇の男性を想像してくれればいいと思います。
自分が今も赤系を好むのは家族の中で自分だけが女性なので、殺風景な服のかたまりを味気無く思っていたからというのもあります。
いつから赤は女性のものになったのでしょうか?
今はランドセルならば、色を自由に選べますが、自分の時代では「赤と黒」だけでした。
今もトイレは女性は「赤色」ですよね。
自分の育った街は田舎だったので、話題も「いつ結婚するのか?」くらいでした。田舎すぎてわろた。
そのせいもあってか知りませんが、自分が結婚が早かったというわけではなく、自分のおばあさんも母も母の妹も、いとこも中学時代同級生だった女子も割と結婚が早く、自分は特別に早いというわけではありませんでした。
自分はもうおばさんなので、話が重複している事もあるかもしれませんが、緩く見ていただけるといいです。(_ _)
インターネットもなかったので、まさか独身がこんなにたくさんいるとは思いませんでした。
インターネットにより、自分の世界の狭さがよくわかったのですが、果たしてそれが幸せに繋がるのかどうかは、「今」の段階ではわかりません。
ですが、女性は別に「自分の世界を広めたい」というより、
「くせっ毛どうしよう、縮毛強制しないと無理かな」とか、「コンビニスイーツが食べたいなおすすめはなんだろう?」とか、視野がうまい具合に狭い為に広がらないのが逆に
(・∀・)イイ!!
という場合もあります。(・∀・)ネ‐
あくまでも「自分の幸せを追求していくスタイル」が基本にあり、そのための情報収集をするような感じでしょうか。
原始時代の時も女性は畑仕事をして、生き残る為に取れた物を分け合ったり横の繋がりを大事にする傾向があって、その名残りというか、
情報なんかは自分も人づてが安全という思い込みがあったりします。
そこを逆手に取ってくる悪徳業者もいてカオスなのですが。
でも
悪因悪果という言葉もあるように「嘘はいつかバレるようになっている」ので、自分は基本信じようというスタンスでいます。
商品の口コミは絶対に参考にしますし、それを基準に考える方が多いです。
話は大幅にソレてしまいましたが、「座敷わらし」のおかっぱの女の子は、「ちびまる子ちゃん」の「野口さん」に似ていました。
ふっふっふ
と笑うちょっと不気味な同級生です。でもなんで「おかっぱ」って言うんですかね。
「河童」のおかっぱかな。
多少不気味だったのですが、それは時代が古めかしいからそう思えただけなのかもしれません。
昭和の白黒写真ってぼやけてて、薄暗い感じじゃないですか、で、「座敷わらし」も例に漏れず、いにしえの状態で現れたのでした。
「あそびたいな」と言いたげな雰囲気。
起きてすぐに「この女の子は座敷わらしなんじゃない?」と思いました。
幽霊でも👻ない、おかっぱの女の子って自分は「座敷わらし」しか思い当たらなかったです。
で、
座敷わらしについて調べてみました。
うろ覚えなので正確ではないかもしれないですけど、座敷わらしは、やっぱり女の子のようです。
これはまた掘り下げていこうと思います。
自分としては座敷わらしが来てくれて、嬉しかったです。
座敷わらしの分身といいますか、すぐ「こけし人形」を買ってきたくらいです。おかっぱの女の子のやつです。
それはもう何体にもなってしまいました。
キーホルダーとか、置物とか。
冷蔵庫につけるマグネットにも和風のお菓子、団子🍡やせん餅🍘、だるまやコマ、マリ、神社に売ってるお守りの形のマグネットをこけしと一緒につけています。これらは全部座敷わらしちゃんの貢物だと思ってください。
小豆(あずき)が彼女は好きみたいなので、あずきを買ってきてあずきを煮たり、彼女専用のポーチを作り、(買ってきて)千代紙や可愛い折り紙を入れてあげたり、紙の裏にお手紙も書いてあげたり(いやいや、座敷わらしちゃんに欲望を書き込んでるだけやろ?)、彼女の為に和風の小物を集めたりしています。
和風の小物は実は意外とたくさんお店に置いてあるんですよね。
で
自分は洋風のものが好きなのですが、座敷わらしちゃんは和風がお好みみたいで、
座敷わらしは「座敷」といっても、「家」に付くのではなく、「人」に付くようです。
だから、その人が引っ越してしまうと、途端に没落してしまうらしいです。「福の神」って言いますからね。
お出かけする時も、和風の小物を見ると買って帰りたくなります(•ө•)♡
座敷わらしは本当にまる子ちゃんのクラスの「野口さん」みたいな昭和の子供みたいでした。
頭しか見ていないので、服の詳細まではわかりませんが。
今日は「きな粉」を使ったスイーツを作りました。(•ө•)♡
座敷わらしはお菓子があったり、オモチャがあるおうちが好きらしいです。
人には言えない「おばちゃんの密かな趣味の一人遊び」です☆
自分としては、日本のものより西洋のモノのほうがタイプなのですが、日本は日本で風情があって良いと思います☆
座敷わらしの事についてはまだ続きます。
後半へ続く
😉