その知識が過去世から来るならば、過去世のものであるという情報を得ることになります。
将来のあなたの生命から、今のあなたに情報が来ることもあります。
過去世と現世と来世からの情報が今のあなたに来ることがあります。
ですから、過去世だけから必要な知識が来ると思ってはいけません。
時系列がおかしくなってたら、すみません(_ _)
「死んだお母さんが息子の危険を察知して知らせた」というのは、未来からの事ですよね。
ゴースト/ニューヨークの幻
アメリカ映画
で、死んだ男性が恋人に霊媒師を通して、危険から守った、みたいな。
自分には生まれてすぐ死んでしまった子供がいますが、その前に夫の母親がなくなっていて、要するに立て続けになくなったのです。
その時お舅さんが「女房の夢を見た」そうですが、背中に赤ちゃんをおぶっていたそうです。(多分ですが、)後に死ぬ事になる子供の事です。
それを聞いたのが、お姑さんのお葬式が終わった時でした。つまり、まだ死んだ子がお腹にいた時です。
そして
自分はその後、三人目の三男を産んでいるのですが、だいぶ大きくなった時にその子が言うには、
「僕は君のお兄ちゃんだよ。一緒に遊ぼう」
って言ってくる男の子がいた夢をみたそうです。うちの子は保育園に通っていたのですが、その時に「知らない男の子が来てそう言ってた」ということです。
これは意外すぎました。
お兄ちゃんって思っている所がまだ成長の意思があるような気がしたのと、死んでも兄弟は兄弟なんだな、と。
その子は三男が生まれる前に亡くなっているので、三男はその子に会った事はないのですが、次男は次男で三男を可愛がりたいと思っているという気持ちが凄くよくわかり、実際はもう死んでいるのですが、自分の家族にはなくてはならない存在なのです。いなくちゃ始まらないくらいの。
残念ながら自分以外は忘れちゃっています。
思い出しましたが、
車で自分と長男がよく色々送って行く時があったりするのですが、次男も一緒に乗ってて一緒に座っているそうです。
(次男いわく。←教えてくれたのです)
お母さんとお兄ちゃんが楽しそうに話しているのを次男も楽しく聞いているそうで、ドライブするのが楽しいらしいです。
お父さんとお母さんが一緒に出かけている時も前の席に座ってて一緒に話を聞いていて、お出かけをするのが楽しいそうです。
うちは、親戚づきあいにあまり恵まれていませんでした。
だから子供たちには淋しい思いをさせてしまっていたのですが、次男がいつも一緒にドライブをしているんだよ?という事を自分に教えてくれたんですよね。
一人味方がいるだけで、心が強くなるって事ってありますよね。
それを聞いた時に自分はわけのわからない安心感がふーっとなったのでした。
力が抜けるような感じでした。
たとえば君がいるだけで心が強くなれること
何より大切なものを気づかせてくれたね
米米CLUBの曲 「君がいるだけで」
死んだ人もみんな近くにいる近親者の味方になっているし、自分はそれをみんなに伝えたいんですよね。
死んだ人も意識は死んでいないんですよね。
しかも肉体がないから自由自在、という事は「我欲」が全くない状態なのです。
それを「仏様」というのです。
もし、死んだ人が許せないと思っても向こうは全然こちらに感情はありません。
「こうしてほしい、ああしてほしい」という要求もしませんし、出来ることは「あなたをいつもずっと愛しているという事を伝えたいだけ」なのです。
ご先祖様も、近しい肉親も死んだ時に「あれは誤解だった」と生前に争って縁を切った親戚肉親共、誤解は溶けています。
素直じゃなかったから言えなかったとか、そんな事!「もう言わなくってもわかるから」という状況になっているのです。
なんていうか、「死」というのは、実は「救い」と同等の価値があるって思いませんか?
生前のいざこざが全部チャラになってしまうって、強すぎじゃないですか?
生きている人の思いは死んだ人は「透けて見えている」のです。
後悔とかも見えているので後悔も要らないのです。
生きている今を大事になさって、毎日線香とお供えものをあげて手を合わせていれば、心配いらないのです。
だから
困った時に都合よく「お願い助けて〜」って言ってもいいですよ。
向こうも頑張ってなんとか色々してくれるので。(๑•̀ㅂ•́)و✧
ですが、
「ちゃんと話しかけないと駄目」なのです。
「今月お金大変だから、助けて」とか、「あの人の事で困ってるから助けて」
と言わないと、向こうがどうしたらいいのかわかりません。
そうはいっても「やらない人」が多いのですけどね。
でも
ちょっとの手間ですけど、やってるのとやってないのとでは、違いが出てくると思います。
自分も背中が熱くなったり、死んだ子供がいる気配は感じたりする事もあります。
三男が生まれた時に、(死んだ子の後の子供)同じ産婦人科の病棟に気を感じました。(そこで出産したけど死んでしまった子供が)お祝いしてくれて。
それ以来自分の中では天使になっています。
ですが、田舎の宿舎にいたので、噂も酷かったのです。
自分は自分の子供には絶対に田舎に住まないように言っています。
田舎の人は陰険っていう感じでした。
産婦人科の先生は「気にしないほうがいいよ、下劣な人間の事なんて」と慰めてくれましたが。(そりゃ患者だもの優しく言うよね)
いじめや噂話が娯楽というか、ちょっとクセのある人が多かったように思います。
でも、自然があってそこだけは良かったです。
河が近くにあり、川沿いの道路というのでしょうか、海にも海の海岸通りがありますよね。
自分はそこの散歩道がめっちゃ好きでした。で、毎日のように散歩していました。
山があり川があり、桜が咲いたり紫陽花も咲いたり、釣りに来る人々がシーズンになると沸いて来たり、そこでも思ったのは
「川は自分のマイナスな出来事や許せない人を許し、流してくれるもの」
というのを感じていました。
自分なりに自然の壮大さ偉大さを感じる事が出来たのは、良い体験だったのかもしれません。
まるで自分の意識を「浄化してくれるかのような川」でした。
川の水は冷たいのです。
海は生暖かい時もあるのですが、川の水は触るといつも冷たかったです。
なので見てるだけだったのですが、自然は人を癒やしてくれるというのは、間違いありません。
それだけでも田舎に住んでみて良かったと言える分岐点だったのかもしれません。
要は引っ越し前の家は「元彼」みたいなようなものです。
「経験によって成長出来た」という事だと思います。
ここは良かったけど、総合的に見て無理って思った。という感じでしょうか。
家って意外と大きい比重があると思います。(それが何なのかは不明)
本来は「そんな経験はしない方がいい」のですが、生きてる以上、過去世のカルマの解消をしなければいけないですし、近隣トラブル、人間関係の摩擦などは、避けて通れないのかもしれません。
自分はそこで(田舎の自然で)「神的」なものに惹かれていきました。
死産という経験もしましたし、出産後に事故で亡くなったり、お姑さんが亡くなったり。
↑
話の趣旨とは全く違ってくるのですが、普通にここまで人が死ぬとさすがに「ヤバい」という危機感はありました。
それから、田舎脱出に至ります…
子供には絶対に絶対に是が非でも田舎には住ませたくありません。
何度も言うよ僕は確かに君を愛してる〜
チャゲ&飛鳥の曲 SAY YES
余計な物などないよね〜
自分にとって田舎暮らしの利点だった事は「自然からのメッセージ」を受信できるようになった事だったのかもしれません。
自然とともに生きていくのが本来の生活なのかなとは思います。
今は(バシャールの存在を知ることが出来て、インターネットは自分にとって良いものでもあり、そして、悪いものでもあります。
何をアタリマエな事を言っているのかな?Peachくん。
自分は順風満帆に人生が進んでいるように見えますかね?
って思うじゃん?
いややいやいやいやいや
マジで辛かったです。
もしも神様が「若い自分のあの頃に戻っていいよ」と言われても戻ろうとは思いません。
思うのですが
人生って「ただ過ぎていくだけもの」でいいと思いますよ。
まあ若い人はガッツリ行きたいところでしょうがね、まだエネルギーがみなぎっていますからね!!
バシャールの言うように
「人生には意味がない」
というのが真実だと思いますよ。
これも重複してしまうのですけど、「意味がないもの」は「意味がない」のです。
これを言うと嫌われちゃうかもしれませんが、タブーかもしれませんがパラレルワールドがあるならば、発明も彼らが(有名人)発明していなければ誰かが発明していますよ。
そういう「波」は同時期に起こり、その波を「キャッチ」できる人がいるのです。
それこそ、「先着10名様のみ」のカテゴリーに入れば同じ権利があるとかね。😉
でも、「先着10名様のみ」は毎日やってるかもしれませんし、頻繁にやっているのかもしれず、結局それを見つけられるか、それを捕まえられるかどうかにかかっているのだと思います。
要は
「自分が望めば何回でもチャンスが来る」
という事です。
宇宙はそのくらいに広大なのです。
他人の事ばかり見ていたら自分に来たチャンスを逃す事になります。
「結果は向こうからやって来る」(やあやあやあ)←ビートルズのつもり
自分から結果を出しに行ってはいけないのです。
多分ですが、やってることが本末転倒なのです。←それな
最初に自分が決めないといけないのです。
これがわかれば人の物が欲しいって思わないはずなのですよ?
過去の情報と未来の情報がわかれば、ワンチャン発明するのは、自分の知人かもしれないのです。
パラレルワールドの世界線が違うだけかもしれないのです。
「アーチスト」ももし彼がいなくても、同じ様なカリスマ「アーチスト」が出てくる世界線にいるのです。
たまたまこの世界線が「彼」であった、ということに過ぎない、くらいだと思います。
これがパラレルワールドっていうものだと思います。だから別のパワレルワールドでは別の人がそこのポジションにいるのです。
法則は法則です、感情なしです。
バシャールのこの文章を読んでいたらそういう風に思ってしまったのです。
「違う世界線のアーチストっぽい人もきっと過去世未来世から情報を得るのでしょうからそうなる」のです。
同じ話を何回もする人っているじゃないですか。
同じだけど、少しずつズレていったりしてると思うんですよね。
その人が上昇しているのか、下降しているのか知らないですけど、
「その人」も
「同じ話」も
少しずつ違うのです。
一年前の「今」と
今の「今」って違うじゃないですか。
この例の場合だと、過去の話だけではなくて、もしかしたら、未来から持ってきた情報が入っているのかもしれないです。
タピオカドリンクを飲む前と飲んだ後は違いますよね。要は一回かゼロか。
未来から情報が来ることもあるよってな話ですよね。
ハリウッド映画では、「近未来SF」というジャンルがありますよね。
映画では車が空を飛んだり、思いもしないような事が現実に起こってきていますよね。
普通に日常で「こんなものがあれば便利なのに」と思っていたら、お店で売ってたって事とかありますよね。
良くて「前フリ」
悪くて「フラグ」
というのは、なんとなくわかる事もありますが、過去からだけの情報ではないという事ですよね。
なんていうか、結局は「今」にヒントがあるような気がします。
ですが、「今だけに集中する」事は難しいかもしれませんね。
ですけど、「今」だけ、頑張る、一個だけ頑張る、の方が、結果がうまくいくような気がしました。
※自分ができているとかやっているかというのは聞かないでください。(。>﹏<。)
出来ていないので。
難しかった〜
長くなりましたが。自分もチェックできませんでした。さーせん。
では☆
😉