カルマというのは、あなたの鎖となるようなものではけっしてありません。
逆説的なのですが、真実はこのようなものです。
自分が体験している真実というものすべては「自分が創り出している」ということに気がつけば、もうカルマ的な結びつきという考えを信じる必要がないわけです。
自分が選ぶ、あるいは選ばない自由があるということに気付くと、それがあなたのカルマを切ることにもつながります。
…
はあ〜ちんぷんかんぷんですね。
マイメロだからわかんない。
もう少し読みたいと思います。
カルマは存在しない。
という解釈でいいと思います。
理論上はそうなのでしょう。
ですが、そうならば、もしそうならば恋愛や結婚やお金や病気、人間関係に「苦しみ」なんかがないではないのかと。
カルマが存在しない、というのは理屈ではわかりますけど、
「じゃあ、食べたら太るっていう因果関係もない」
でしょう。
でも、太るじゃないですか。
因果関係はおおーきく言うと「ない」というのは、「あり」なのでしょう。
宇宙は広大なので、宇宙から見れば「人間のカルマ」なんていうものは、ただの「チリゴミ」くらいなものなのでしょう。
僕から見れば東も西も
よその星から見れば丸くてわかんない
みんな同じ宇宙の仲間
一人にひとつずつ 大切な命
まあるいいのち イルカさんの曲
自分がメンヘラを発動してた時に聞いて心を入れ替えた曲です。
メンヘラで最高に辛かった時期ですが、この頃の自分の悟りが今の自分を創っていると思います。
「この世界は嘘なんだ」と思ったのです。
「嘘」だけど、「演じなくてはいけない」のです。そういう事を悟った17歳でした。
それと
今、愛情に飢えている人に言いたい事は、
「親とか、配偶者とか、彼氏や彼女、友達、子供に対して愛情がもっと欲しいと思っている人は、とりあえず自分を自愛してあげて」
という事です。
愛情が欲しい相手に愛情をもらえない場合、相手も「疲れてヘトヘトな状態」である可能性があります。
立場上、上であり、あげなければいけない人であってもその当人が「愛情に飢えている状態で苦しんでいる」と思って間違いはないでしょう。
親にもらえない愛情を子供が親になってあげられない、のループです。
自分だけだと思ったらそれは大間違いです。
ある人はたまたま会社の上司に恵まれたり、友達に恵まれたり、ペットに癒やされたり、神様に愛をもらえていたりして、ある意味良い意味で現実の波に上手く乗っているのです。
自分はちなみに「神様の子供だから神様の愛に包まれている」という瞑想をしています。
そうすると本当に神様からの愛情を感じることができ、感極まって泣いたりします。
与えてくれない人は「自分の事で精一杯」なのです。責めないであげてほしいです。
人は心に余裕がないと人に優しく出来ないでしょう。
じゃあ自分でやるしかないのです。
「親だから、愛情を与えてくれるものだ」
と自分もそれを当たり前のようにずーっとずーっとそう思っていました。
だから母親に妹ばかり可愛がってる様子も不満に思っていたし、ひいきされているのが「ズルい」
と思っていました。
自分は愛されていないんだろうか?と。「どうして?どうして?」と思って生きてきました。
どこの社会もそうだと思うのですが、「媚びた人の方が可愛がられる傾向にある」のは多分自分だけが感じているものではないと思います。
かといって、やっぱり「媚びてくる人」というのは可愛いと思うのです。
これは「タイプ」によるのかもしれないです。
ちなみに自分たちの家族は「媚びれないタイプ全員集合!(ドリフ)」なのです。
みんなして要領が良くないのです。
でもそれは悪ければ悪いなりに生きていくしかないわけです。
もし、相手が自分に冷たくて愛情をくれなくて淋しいと思う人は、自分の事を自分で自愛してあげてほしいと思います。
相手は「プチ心の病気」なのです。
プチ、とつけたのは、病気ではないからです。
でも実は
淋しい
って思うから淋しいんですよね。
意味わかりますかね?
What do you mean? ジャスティン・ビーバーダヨ
「悲しみ」というエモーションを選んでいるのは自分なのです。
それは「過去のカルマが返ってきた」のかもしれないし、「そっちの方向じゃないから軌道修正して」というサインかもしれないです。
が
「悲しみ続ける事」で相手にかまってもらいたかったり、関心を引いて他者から同情をされたかったり、何か「悲しみのフィーリング」を使って役に立ててやろうと策士しているかもしれないのです。
一説によると「人間は悲しみのフィーリングを好む」らしいです。
なんていうか、人と繋がってる一体感を感じられるから、なのでは?
人の悪口で一体感を得やすいのと似ているような気がします。
それは「一体感で繋がったような錯覚」なのです。度合いが人によって違うと思うので、そうなったつもり、なだけ。
その一体感は
いじめに繋がりやすくもあり、エスカレートしていくというのが、「間違った一体感である」と言えます。
人それぞれなので一概には言えないのですが、
「相手に、相手の反応や相手そのものに依存しないこと」を自分はおすすめします。
相手もお金をもらえるのであれば、我慢して取り繕ってくれるのかもしれませんが、それすらないのなら、期待しても絶望感しかないでしょう。
相手もボランティアで生きてたら生活出来ません。
謝れない人もそうなのですが、
「命って息して身体が動かせるから生きてるってわけではないですからね」
男性でたった一回の「失恋」だとか「離婚」で、「腑抜け」な状態で生きてる人っていますよね。
男性の方が感情面で挫折したら、這い上がれないのでしょうか。
「死にたくても死ねない」から生きてるだけな人。
ろくなもんじゃねえ ぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴい
長渕剛の曲
本当に裏切られた場合以外はなんとか事前に対処していればなんとかなった事案があり、助かる可能性も上がるのに、自ら「死へ行く人々」がいます。
ぶっちゃけ「自分という個体は一体だけです。」
ゲームの戦闘機のように2機搭載しているわけではありません。
人の気持ちを操作しても子供ならば「自殺か行方不明」であるし、大人であれば、「愛人に逃げるか行方不明」になり、支配から逃げ出すでしょう。
相手にも相手の気持ちがあります。死んだら終わりです。
充分に自分を大事にしていれば、それだけでいいと思います。
そうすると自分が合っている事合っていない事がわかってきますので。
「相手に期待しない」というのが大事であると思います。
期待とは、「相手に責任を投げる事」です。
期待値が大きいほど、落胆する値も大きくなります。
相手にも出来ない事は出来ません。
勝手に期待してはいけません。
肉親でも同じです。
それと
もし自分の思い通りにならない事であっても、代用するものはたくさんあるのです。
「もし、それが手に入ってもそれが自分の為にならないから手に入らない」
という考え方も採用してみてほしいと思います。
自分が駄目になるかもしれないし、相手が裏切るかもしれません。
以上です。
※何事も捉え方です。