カルマの鎖というのは、自分が作り出したエネルギーの結果です。
自分が決断をすればそれを変えることができます。
自分に自信をつけるというのは、結構大変な事です。
まず、自分は人より頭が悪いとか、太ってるとか、お金を稼いでいないとか、容姿が劣ってるという事は目に見えている事ですので、よほどの精神強者でないと、コンプレックスを払拭は出来ないと思います。
気力で人生を変えられるのであればみんな上手く行っているはずなのです。
ですが、「成功して幸せだ」という人を自分は見た事がないのです。
それでもパートナーがいれば、パートナーに「そういう君でもいいよ」と言われて甘えられればいいのですが、独り身で「自信を持って!」と言われてもぶっちゃけると持てる人はいないと思います。
無理してポジティブでいるのも辛いものです。
ですから「幸せというのは容姿や環境に左右されない感情である」という説を自分は押したいと思います。
カフェオレが美味しい、幸せ〜っていうのが幸せなのです。
平均でない自分にコンプレックスを持つ事は出来ても「自信を持つ」事は出来ないと言っても過言ではないでしょう。
ちょっと救いがないのは、「底辺と言われる層ほど理想が極端に高い」という現実です。
例えば高齢独身低収入弱男に限って「美少女の処女」を求めたり、発展途上国の国の男性ほど、「色が白いお金持ちの美人」をもとめるのです。
ギャグマンガかよ、のような世界線なのです。わろた。
「ないものほど欲しくなる」というのも人間の心理であるのです。
❤
現実は「似た者同士でくっつく」し、
良くも悪くも「今の環境がベスト」なのです。
それは学びのために最適な場所を自分で選んで来ているからなのです。
(•ө•)♡
本心で自信を持とうと思えば思うほど真逆な結果になってるのではないのでしょうか。
何故か?というと、カルマや因果関係が関係してきているからです。
人は「人生は自分次第」とモチベーションを高く持ってしばらく、ハイテンションになって頑張りますが、集中力が切れると途端に怠け者の自分に戻って適当になってしまったりするのは、全部カルマのせいなのです。
「努力するのも才能が必要」という言い方は言いえて間違ってはいないのです。
誰にでもあるはずです。
「今日はこれを終わらせよう」と壮大な計画を立てて計画倒れをした事が。
努力したくても出来ない、というのは発展途上国の男性が白人美人と結婚して一旗揚げようという大きすぎる野望が叶わないからなのです。
才能というか、向いていない事はそちらの方向に向かう事ができなくなっているように思います。
目標が大きすぎても目標倒れに終わってしまうのは、あると思います。
ズバリ人は自分に合ったモノしか選べないようになっているのでしょう。
理想と現実の差がありすぎても人は「頭で思っているけど、心の底では出来ない」とわかっていて、でも感情がついていかないから大暴れして叫んだり邪魔したりするのです。
本当は無理なのをわかっていて「奇跡が起こる」のを期待しているのです。
これも頭お花畑な状態でしょう。いかんともしがたいですが、自分はお花畑ではないのでちょっと理解し難いです。
そこそこの幸せでは不満なの?
つまり「人は生まれる前に人生設計を立てて生まれて来ている」という理屈は合ってると思います。
引き寄せの法則以前にスピリチュアルな方の主張は大体が、「人生は決まっている説」です。
残念ながら自分にはまだそこまで考えが達していないのですが、自分はそっちのほうが正しいと思っています。
生まれる前にまた過去生のカルマの解消をするために(浄化)生まれてきて、愛を学ぶのです。
そしてある程度決まったカリキュラムを学ぶのです。
だから、
その人が持っているカルマを浄化しない事には人の学び、次元上昇はありえません。
絶対にです。
ですので、何度も何度も生まれ変わってやり直すのです。
ついでに因果関係もついてきて、また同じ学びをするのです。
いいカルマは悪いカルマに吸収されるくらいしか出していないのです。
悪い方のカルマの方が強いのです。
「良い人より悪い人の方が声が大きい」みたいなものです。
自分はポジティブっぽく見えますが実は、結構マイナス思考であったりします。
マイナスにならないように頑張るくらいのテンションです。
よく「これをやったら人生爆上がり」「人生が好転する時のサイン」「たった一日で浄化できる瞑想法」「現実無視!すれば叶う」みたいな「これを食べたら病気が治った」みたいに即効性を期待しすぎるブログや動画が増えすぎていて自分は「コレジャナイ」の飽和状態です。🤬
自分が見たい動画にたどり着けずに非常にイラついてしまいます。
スピリチュアルというのは、「願いを叶えて幸せになる」のがゴールではなく、むしろ「今世のカルマ」(人によっては自殺もあるくらいに重いテーマを抱えながら生まれてくる)という課題をする、割と「身も蓋もない絶望を味わう」事によって成長するというのが、正しいスピリチュアルなのではないかと思うのです。
頭お花畑系の人はやっぱり現実に向き合っていないから足元が浮いているのです。
現実を生き抜く我慢が薄いのかなあと思います。
自分は父に「借金は絶対にするな」と言われて育ってきました。
ですから「家のローン」だけでもかなりのプレッシャーがあったのです。
自分は自分なりに大変でした。苦労話を自慢するページではないのでしませんが、「借金をしない」事は自分は本当に気をつけていました。
今は節約は出来ませんが、浪費癖はありません。
理想が高い人の弱点は「無理して借金してでも理想にこだわる」事です。
一度理想を高くすると、後戻り出来ません。
もっともっと、という風になっていくのかなあと、SNSで映える場所でお茶を飲んだりするために「パパ活」までしてしまったり。
パパ活といっても愛人契約…
怖いのは一度身についた贅沢や浪費癖を直す事が出来なくなる事です。
♡
自分がアメリカが好きな理由は、「人は人」という価値観が徹底しているためです。
彼らは自分たちがホームレスになっても人を羨んだりはしません。
基準が「自分」だからです。
施しをくれ〜くらいには接触してくるのかもしれませんが…
人がいつも施しをくれるわけではないのです。
そもそも隣同士の家でも日本において、比べ合う事をしていますが、隣であっても「隣の家の人生と自分の家の人生は別」という感覚が薄いように感じます。
ですが同じ価値観でもなければ、同じ生活をしているわけでもありません。
✂
人々はあまりにも「楽をして結果を出したい」という気持ちや願望が強すぎて「ラクしてとにかく良い結果だけ出したい」とか、うまくやろうやろうとするあまり、効率だけを求めています。
ですが結局全て「カルマのせい」です。
どんなに人を羨んでも自分の背負った十字架を背負い続けなければいけないのです。
他人の十字架を責めても自分の十字架は軽くなるどころかもっと重くなるじゃないですか、意味ありますかね。
人は自分の十字架を軽くするためにしか動けませんし自分の十字架を人に背負わせる事も絶対にできないのです。
やりがちですけど人の欠点を突いても人生を決めるのは、その人の「カルマの浄化具合」です。
人も自分より重い罪を持った人より軽い人の方を好むのは当然でしょう。
借金と同じです。
借金が悪いというよりそういうメンタルが良くない、整形しないと保てない、みたいな「お豆腐メンタル」が悪いのです。
整形も少し直すくらいならいい、借金も少しの額ならいい以下ループ。
結婚も然りで覚悟がないと相手の十字架を背負う事は出来ないし、そりゃ吟味しますよね。
♡
ですからスピリチュアルの人が言うように
「その人を見ればわかる」というのが真理なのでしょう。
だから似た者同士がくっつくのです。
いくら自分が不幸でも文句を言っても嘆いても現実は変わらないのです。
そのうえで今の自分の立ち位置から望むのが引き寄せであるのです。
引き寄せの法則は出来ない人にとっては病む法則でしかありません。
引き寄せが叶うなら皆苦労はしていません。
万能の道具ではなく、取り扱い注意の本当は大変危険な道具なのです。
❤
諦めが肝心ということわざは、苦しみから楽になれる最後の手段であります。
救いはありますから、これが駄目でもこれ、くらいに気軽に生きられるといいと思います。
みんな同じでなくてもいいのです。
「叶わない事」がカルマだったのでしょう。
学びが終わればまた次の学びが来ます、その繰り返しです。
✂
取り掛かりが遅いという事も。後悔先立たずです。それはそれで学んだら終わるのです。
人生は一度きりです。
🌺
話は変わりますが、
「自分買い物下手だな」
「自分買い物下手だな」
ふかわりょうさんのネタ風に自虐してみましたが、どんなに頑張って効率化を図ってみても、企業の戦略にはまっている自分がいるのです。
一向に節約できません。
余計な物も買ってきてしまうのです。
最近の失敗は100円均一のホッチキスで、使った途端にピーンといって伸びたままになった時に
「あ、これ、前に買って失敗したやつだった」と気付いたのです。正確に言うとソレではなかったですが。
頑張って直してみましたが、一度壊れてしまったものは直りませんでした。
家にひとつホッチキスがあるのですが、自分用に欲しくて買ったのです。
今回は幸い芯もついていたので我慢しようと。ただ一回も用事をしてくれない物を買った自分が悔しいだけ…
前回失敗したホッチキスは、芯が一般のものが入らない特殊なホッチキスだったのです。
ホッチキスの芯が無くなったら終了しました。自分の中ではありえないと思いましたが…
企画外のホッチキスの芯が作られていたのが驚きです。
動画でジャストサイズの大きさの容器をこう使う的なショート動画で「やってみよう」と思い買いに行くのですがそれがなくて別の物を代用しても使えなかったり、予定の物以外のものを買ったり凄く無駄な事をよくしています。
一つ一つは高くないのですが、積み重なると無駄だったりします。
韓国の方の動画を見た時に、インスタントラーメンのが棚に置いてあって、偉いと思ったのですが、カップ麺やインスタントラーメンの置き場所が自分は決まっていなくて紙袋に入れています。
でも専用の棚に入れて置くのが一番いいかもしれません。
インスタントラーメンはご飯みたいに炊く時間もないし、卵やお肉や野菜を柔らかく煮込んで自分の好きな味のご飯ができますから…
カップ麺は家族が箱で買う事もあり、そのスペースもあるし、そもそもカップ麺はかさばりますので、大きさも違って扱いにくいのです。
段ボールにポイっと入れているだけです。
カルマもガラクタとかゴミみたいなものです。
部屋を綺麗にしないと、浄化できないのです。
自分は紙ゴミが沢山あって捨てられません。
参考になった事柄を紙に書く習慣があり、それを見直したいので捨てられないのです。
今日書いたメモは「醤油ラーメンの具材」です。
わかめとか、ネギとか、メンマとか、チャーシューとか、紙に書いて買い物に行くときにメモ帳を忘れて「愉快なサザエさん」になっています♡
具材を買いに行くだけでも自分は手間だと思っているのですが、作るのも手間でいちいち湯切りしないといけなくてめんどいのです。
それでもやりますけども🤬
ゆでたろうが家の近くにありまして、「朝ラー」を食べたんですけど、冷たい方を選んだのに温かいのが出てきて、あ、間違ってるって思ったんですけど、言わずに食しましたが、アイスも「コーン」と言ったのに「カップ」できたり、カフェオレと注文したのにアイスコーヒーが出てきたりするのは自分だけでしょうか?
間違えられるのって結構ガッカリしますよね。😞
意思疎通が出来ていなかったというか。
自分は注文だけはしっかり言ってるんですけども、聞いてる人が適当な人もいますよね。
一回は黙っていますし、もう行かないって思いますけど、二回目に行かなければいけないような時にやっぱり間違えられた時はキレます。
今まで注文の間違いはない方なので、だいたいお店の人が間違うケースが多くて、紙に書いてそれを注文しているのに、「わかんない」といって他の店員に交代したりするような人もいました。
注文を取る人が意思疎通ができない、もしくは自分としようとしない人がいたりするのです。
ありえないと思いますが、人間なので、感情が出てしまう事もあるんですよね。
あってはならない事なのですが…
これはもうあれですよ、無かったことにするしかないですよね。
揉めたくないですしね、こういうのも「プチカルマ」というものだと思います。
一度母と二人でランチを食べに行った時に間違えてAランチをBランチで来たのですが、注文の時点ではちゃんと疎通をしていたのに、来たのは逆の方のランチだったので、「これは違う」と抗議していたら、少し離れた場所から二人の高齢女子に「それくらいいいじゃない、ねー?」って言われてますます腹がたった事がありました。
AとBは値段が違っていて、自分は安い方のランチを注文したので間違えたのは店側なのです。
母に奢ってもらってるから気を使ったんです。
わざとじゃね、くらいに思いました。
あとでお詫びにアイスクリームのデザートをサービスでもらって自分はようやく気が晴れたのです。
注文する側は意思を持って注文する場合がほとんどだと思うので間違えて注文する事はないと思うのです。
自分なんてカフェに行く時に前にサイトで値段を確認してから行くので(セコいな〜)、間違えられると非常にイライラしてしまうのです。🤬
アイスコーヒーなんて、パックから出して注いでただけでしたよ🤬(出来るのを見てた人)
向こうもカフェオレって言っていたのにわざとなのか?🤬(カッチーン)
ケチくさいので、少しでも得をしたいという根性がありまして・・・・・
まあ自分はそういうケチケチ精神のせいで、逆にメニューの受取間違いがあるのかも知れませんね。
引き寄せのマイナスバージョンです。
原因は自分。
犯人は自分だった、というオチでした☆
(*ノω・*)
今日もいい日をお過ごしください(_ _)
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終わり良ければ全て良し
シェイクスピアの名言
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