バシャール①

2024年09月26日 18:20

宇宙のサポート

宇宙というのは、自分がサポートされたい、と思ってる分だけしかあなたをサポートすることができません。あなたがもっとそれに値する人間であるということを知ることが、今とても大切なことです。
あなたが自分のことを信じようと信じまいと私達はあなたのことを信じます。
でも私達があなた達のことを信じても、あなた達の世界を変えることはできません。
自分自身を信じなければなりません。









地球人が、「自分なんて駄目だ」「どうせこうなるんでしょ」というような「自己否定」をしてしまうので、バシャールも「たられば」の話になってしまいました。とさ。




人を参考にする事は良いけれど、自分で創造するのに、人を「羨ましい」と思うでのは何故でしょうかね?
自分は自分が創造したものを、横から欲しがる人々がいて、それは引き寄せの法則とは言えないのではないのか?と思っています。
ですから彼らは出発点から間違っているのです。
動機が不純なのです。
自分を信じていないから、人のものを奪ってしまおうという考えになるのです。
つまり、自分から言わせると「引き寄せの法則」を何も理解していないと言えるのです。




引き寄せの法則は「他人は関係ない」です。
自分→ダイレクトに宇宙、です。
そこに他人はいないのです。
そもそも他人のものは他人のものです。
他人には他人の人生を生きる権利はあるのです。
自分が信じられないから他人も信じていないのでしょう。




引き寄せの法則以前にやってる事がいくらかおかしい。




世の中にはたくさんの人がいる、という事を付に落とさないと苦しいままなのです。
例えば黒人の女性が観光地で陽キャ丸出しにはしゃいでいたり。




というか、他人を気にしない方が絶対にいいのです。自分の為にです。




自分も確かに自分より優秀な人は沢山いますから「嫉妬心」や「無価値感」などを思った事はありました。
20代くらいの時は相手を「どうしてあの人ばかり?」とあの人を憎むくらいに思っていました。
ですが、何度も重複をしますけど、その時に自分は嫉妬しすぎて体調を悪くしてしまい、なんとかしたいと考え、保養の為に近場に旅行したんです。









宿泊するチェックインの前に行った神社の行者の彫り物を見た時に凄く癒やされたのです。凄く自愛に満ちた表情をしていて、大変自分は行者に慰められたのです。「この世の苦しみ」を包括してわかってくれているかのようでした。
要は「一度地獄のように苦しまないと浮上していかない」、という事も言えます。
「苦しみ」を感じるというのは上昇する為にはとても大事な過程だと思います。









夜には屋上の湖の見える温泉で湖を見ながら「人は人、自分は自分」というのがおそらく人生の中で初めて腑に落ちた時でもありました。




人はスピリチュアルの本を読んでも頭ではわかっているようなのですが、それを完全に理解出来ているわけではないのです。
なぜなら体験は一人一人違うからです。




その時は(๑•̀ㅂ•́)و✧よし!出来る!




と高揚感があってもその時だけで、次の日にはケロッと忘れてまた再び同じような日常生活に戻っていて、同じようにイライラして腹わた煮えくり返る、の繰り返しだったりします。




自分はスピ系にハマる人というのは、もちろん自分も含めていますけど、「躁鬱」が激しい系統なのではないかと思うのです。




振り子の原理と同じで、揺れが大きいほど「躁」と「鬱」が激しいのです。




期待値が依存心も含めて非常に大きくなっている状態になっているのです。




要は「きっと叶う!高揚感うきうきお花畑脳」と「叶わなくて絶望でもう死にたい脳」を行ったり来たりしているのです。
相手への期待値が非常に大きくなっているのですね。




自分の解釈で言いますと、「一人波乱万丈の人生劇場」なのです。
でも現実は淡々とした日常が繰り返されているだけ。




最近「自己愛性パーソナリティ障害」を学んだので、困った時にはすぐに「自己愛性パーソナリティ障害だなこの人は」って思うようにしています。




現実と理想のギャップを埋められずにほんの少しの相手の反応で一喜一憂したりして周りを巻き込んで大騒ぎしているのが「自己愛性パーソナリティ障害」です。
恋の相手ですら「自分を盛り上げる為のアイテム」です。
色んな人がいてもあくまでも「主役は自分」なのです。
ドラマのような一目惚れですったもんだがあって、上手く結ばれました完!
というのは、ありそうですが、実際はないでしょう。
もしかしたら、頭の中では本当にアニメやドラマのように「お花畑ハッピーセット」になっているのかもしれませんが、
自己愛性パーソナリティ障害の人って自分の事しか考えられないみたいですね。
ヤバくないですかそれは。←自分の感想ですが。




周りが見えずに自分の事しか見えていないのです。
それが「自己愛性パーソナリティ障害」。重複するなって。




なのでこちらがいくら、公平に判断した常識に基づいた表現をしても「全部自己流で解釈し自分の都合のいい事柄に変換している」のです。
誠実に話しても彼らは聞く耳を全く持とうとしません。
聞かないものは聞かないのです。
世界線が永久にクロスしなくてわろた。
平行線です。




多分ですが「友達の幸せを羨ましいと感じてしまうし嫉妬してしまう」とおとなしめに相談したり言っているかもしれませんが、本当はそうではなく




「一緒にあいつを倒すの手伝って〜(あいつが嫌いだから)」




というのが本音なのでしょう。




😞




自分以外の幸せをわざわざみんなで邪魔しに来るという輩は悪魔です。




要はいくら「こうするとこうだよ、上手くいくよ」ということを述べてみてもただ単に「どうやったらこいつを引きずり落とせるんだろう」と思いながら「チャンスを伺っているだけ」なのでしょう。




わかりやすく説明すると、津波が起こったら家が大事であっても自分だけ逃げますよね。それは自分が助かりたいからですよね。家を捨てないといけない、という事なのです。
状況に適応出来ない人は命を落とすのです。自分のものであっても手放す方がいい場合もあるのです。
それが長年一緒に共にした相手であってもです。
であるなら判断はとても重要なのです。
全ての責任は自分にあります。
結果を引きずっても「百害あって一利なし」。
諦める諦めないのとは次元が違うと思います。
それはただの未練です。未練なんて掃いて捨てるほど落ちているのです。
「自己愛性パーソナリティ障害」にはわからないのでしょうがね!
人は感情も大事ですが、それだけで生きていく事は出来ないのです。
それに本当は言うことを聞かない相手を嫌いなはずなのです。




CG?🤔




ここで自分が言いたいのは、




「やはり人は生まれながらにして人生を決めて来ている説」




は濃厚だと思うのです。失敗も含めて…もちろん失敗するつもりで臨む事があるわけではありませんが…




ハイヤーセルフ(高次元の自分)がそういう間違いを正す為に(エゴな)自分に「鼻をポッキリと折らせる」為にその「シーン、シチュエーション」を見せている、と言えると自分は思います。

結局自分しか世界にはいないのです。




人は失敗して成長するものだと思うんですけどね。
野村克也監督もそういう風な名言を言ってたと思うんです。










自分の意見として思うのは




「宇宙はその人が本当に願った事は叶えてくれる」のです。




自分と宇宙の秘密の会話なのです。




「麻呂とソナタの秘密の会話じゃ。」あれおじゃる丸かな🤔




究極本人は何もないので暇なのです。単に妬みです。相手に嫌われても存在意義を見せに行くというのが「自己愛性パーソナリティ障害」って言う感じですね。棒。









他の人をそそのかして、人にやらせて人に「手を汚させる」のです。自分は指示っぽい事をほのめかすだけ。悪口を言わせたりとか。




ですが、釣られて行動を起こすも、




それでその人々が人生上手くいくどころか、むしろどん底に落ちてしまうのです。




そういう「仲間意識」をも利用するのが「自己愛性パーソナリティ障害」なのです。




このタイプはマジで病気なのに巷ではこれまた良いポジションで上に立っているのです。




ですから世の中は狂っているのです。
お人好しや優しい人に欠陥があると思わせてきます。




人って上にいるとどうしても人望があるとかで信頼してしまいがちです。




実際どこの世界でも社長が一番モテるのです。




人は「名声に弱い」という弱点もあるのです。




ですので騙されてしまう人は騙されてしまうのでしょう…




それが人間です。




🌹




ですから、優しい人ほどお金儲けが下手で「自分はこんなもんだ」という考えになってしまうのだと思います。




しょうがないですよね。




😞




自分もなんだかんだ言って生まれた土地を離れていませんし。




この街が大好きというわけではないのですが、他の場所で住みたい所が今のところ予算の都合で出来ないってだけです。




蛇足ですが、




自分の価値観としては、「子供である自分は親が死ぬまで会おうが会うまいが近くに住んでいる事が子どもとして一番親孝行だし、子供も凄く安心しながら生きていける生活の知恵」だと思っているのです。
実際母親以上に自分を安心させてくれる存在は世界中どこを探してもいないのです。
たとえそれが自分を傷つける毒親であっても、です。
よって、親子がそばにいる事が一番幸せである、と言い切れます。
でもそれは自分が導き出した考えであるので、人に強要しようとは思いません。




それにそこに生まれたというのは、やっぱり意味があると思うんですよね。
カンボジアとか、北朝鮮に生まれつく人もいるじゃないですか。




カンボジア人なんて自分は実際会った事もありません。
世界中の人々に会うなんていうのはたとえ大統領でも不可能です。




こういう考えをしていくと




自分はただの「無」という存在でしかないってなってしまうのです。




「無」というのは怖いですよね。何も無いって事ですからね。二回言うなって。




「BAD」に入ると魔界に引き込まれてしまいます。




バシャールは「人生には意味がない」と言います。




それは自分がちゃんと自分で立つという事が大事だというのと同等な意味を持っているのです。




他人はいない、という視点です。それを作り出しているのは自分だという事です。




自分がいつもやるのは、




「真っ黒な空間に惑星っぽい星が散らばっているのですが、怖くはなく、ここから今この瞬間から自分の宇宙を創る」




というイメージです。伝わるといいのですが…




良く言い換えれば「思うように好きなように現実を創れる(解釈含め)」になります。




「住めば都」という言葉もあるように、カンボジアでも北朝鮮でも住んでいる人にとっては失い難い故郷でもあるのです。
差別発言だと聞こえたら申し訳ございません。
人というのは最悪な場所や状況にもしがみつく、という矛盾した事をする事もあるんですよね。




ですから「自分サイコー」で生きていれば最強なんですよね。
自分は都市に比べれば田舎なのですが、都会に住めと言われたら躊躇はすると思います。(_ _)




都会は人目を気にしなくてもいいという利点があります。やりたい事が躊躇なく出来るという事は良いですよね〜。




今はどこに行ってもある程度欲しい物は手に入るし同じようなお店が沢山あります。でも数は圧倒的に都会のほうが勝ります。
人が多いと言っても時間帯によって空いてる時間があったりしますから空いてる時間を狙っていけるのは近くに家がある人の利点ですよね。




ですが考えすぎだと思うかもしれないんですけど、家系や生まれ育った土地のルーツは失うと自分のアイデンティティを失うような気がするのです。




例えば自分がシンガポールやフィリピン、マレーシアなどに結婚して嫁ぐ、というのなら理由がハッキリしているからいいと思うのですが。
(男性も移住先で結婚すれば充分移住の理由になりますよね。
それが相手の計画的な結婚詐欺だったとしても結婚というイベントをしたのは事実です…)




自分としては「南大門」及びどちらかというと、「東大門トンデモン(二回言うなって)」に行きたくて仕方がありません。




またおでん🍢も食べたいし、コンビニも行きたいし、おバッグも買いに行きたいです。ぐふふ。




予算の都合があれなので行けないだけです。




国ごと景色を変えないと旅行した感がない、というのもまたあれなんですけど。




かといって日本の名所に行くのも「ウ~ンあんまり興味がないな」と思ってしまいます。




情報がありすぎて情報集めが下手な人かもしれませんけど、それでも行きたい場所があるのは、YouTubeで見るからです。
YouTubeの旅行動画は人々に画期的な変化を与えたと言っても過言ではない!くらいに細部に行っていたりします。




もしかしたら、仕込みもなくはないでしょうが、それでも




「世界は広い…」




と思います。YouTubeはマジで凄いと思います!




人間は他の人の言動に目を向きがちなのですが、それが、その人や、それ自体が気に入らないという気持ちであるのなら、やっぱり




「それが良いものでも見ない方がいい…」




と言うしかありません。




自分も自分を害するような危険な人には男女共に絶対に近づかないし見ないようにしています。離れてるのにイチャモンつけて余計に逆ギレしてくるし最悪なのですが。




それも全て「自己愛性パーソナリティ障害」で済みます。




自己愛性パーソナリティ障害の人って、自分から不愉快な場所に行って「不愉快だからあいつを消したい、みんなで消そ?」ってやってるのです。




平和どころか分裂的なのです。怖い人なのです…
普通は嫌だなと思えば離れますよね。




人には違う世界線があり、そういう世界線同士で仲良くしている、という事でそれは外部が変える事は出来ないのです。




波動の法則です。




反対の性質の人同士は反発しあうのです。




👑




上手くいってる人って上手く行く方法を人に教えないものだと思うのですが。
一人勝ちして勝ち逃げしたいじゃないですか。




ですから究極




「人生で上手くいく方法を誰も知らない」




のです。




密教というものがありますが、精神的に熟した時にようやく伝えられるものであって、一般人がいくらそのお経を唱えようと秘宝を行おうと結果に結びつく事はないのです。秘伝を受け取る時はある程度の超能力を使える程度にはなっている状態になっているんだと思うのです。
超能力の開発をするグループっていますよね。
透視とかテレパシーとか。




せいぜい秘宝を広めるだけ。で、自分は実は出来ていないというのが大半なのではなかと。




自分が歳を取って思う事です。




本を読めば習得出来るよというわけでもない、というのが密教だと思います。




普通の人がラピュタで「バルス」と言っても何も破壊されないでしょう。




ラピュタの王家の祖先の血筋でそれについて祖母から言い伝えられていて知っていないと唱えても効果がない、という事です。




自分もラピュタはリアムタイムで映画館に見に行った世代ですので、飛行石は今も欲しいですよ♫
が、飛行石は自分が想像してたより大きかったです。
コスプレ用ですねあれは…




冷静に考えてみてもみんなが秘宝を知って唱えていたら世の中は平和になっているはずなのです。




📿 飛行石だよ。あの地平線輝くのは〜♫




悪い事に利用されない為の門外不出であるとも言えるかも知れません。という事はやっぱり、悪い目的には通用しないという事になりますね。




気持ちの問題(目的の動機も非常に大事)である事は間違いないでしょう。




自分だけの人生は自分が出来る最上級を目指すべきです。




人は人で勝手に追い求めているはずなのです。




Not your business わよ。




観光地のことですが、自分は食べ物も場所も期待しないで行った方が、良かった時の感動が高めです。




「意味はないけど自分で意味をつけることは出来る」のですから良い意味をつけられるようにしたいですね。




そこがたとえ最悪な場所であっても次に「いい感じなとこ」に行く「前フリ」だと解釈すればいいのでは。




🧳









それではハブ・ア・ナイスデイ(・∀・)




皆様に幸あれ❤(ӦvӦ。)











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