自分がまだ学ばなければいけないことを相手に見た時に、「受け入れる」と相手が変わる、ということについて。
バシャール
頭の中でやった場合に、自分でどうしてもそこまで行きたいと思っていても、こんなこと初めからやらなければよかったというような「躊躇する場面」に出会った時、そこででてきたものは自分がわざわざするほどの価値あるものではないと決めて、それを受け入れてしまえば、ゴチャゴチャした道を通らなくてもその先にたどりつけます。
目的の為に余計な事をしてしまって、それが「意味が無かった」もしくは、「もっと遠回りをする事になった」という状況になったという場合の話でしょうか?
🤔
この文章は何度読んでもわからなかったので、自分のわかる所までしか言えないのですが、自分は電車を使って神社に行こうと思った時の事を書きます。
で、まずは目的の「神社へのアクセス方法」を調べますよね。
大抵の神社は、ブログでもサイトでも写真や説明がついていて、わかりやすくなっています。
で、
その神社に行くには、また別の電車に乗り換えないといけなかったのですが、その電車が地方のマイナーな電車で、30分に一本というダイヤだったのです。
ブログでも、待つくらいなら歩いていけますよ、という事だったので、一旦改札口を降りて歩き初めました。
これが、迷うわ迷うわ。
曲がり角が全然わからずに迷いました。
自分は「わかっているから簡単に行ける」とたかを括っていたのですが、何回か戻ったりして曲がり道がやっとわかり、説明通りのメインの道に行けたのです。
「おまいは、迷ってばっかりだな。」
誰も自分の行く場所を知るわけがないのに「間違えると恥ずかしい気持ち」になったりして。(*ノω・*)テヘ
(*ノω・*)テヘ
通りにある「フルーツサンドイッチ🥪🍓🥝🍌🍊🍎🍏🥪」をじいーっと見ながら、それを買おうとしてる家族を見つつ歩いて行きました。
👨👦👩ファミリーだよ。
坂道を歩いていたら、景色は確かにめちゃくちゃ綺麗でしたが、思った以上に距離がありました。
こういう時の「行き」の道のりは凄く遠く感じます。
逆に「帰り」はあっという間なのですが。
役所っぽい所が一件あって、それ以来お店らしいお店はなく、行きに「フルーツサンドイッチのお店」のそばのコンビニで飲み物と🥤おにぎりと🍙🍙🦀カニカマ(計600円)を買っておいて良かったと思いました。
「フルーツサンドイッチは美味しくない」と言われているのは、(ネットで)
「フルーツとパンの相性が悪い」「パンがパサパサしている」「フルーツの味が優しすぎる」
※AIから
それにちょっとお高いですよね。
パンに挟まってる中身が軽すぎるんですかね。
それならパンにButterをぬって食べた方がいいですよね。
Do the boogie like こんな風に踊ってみて
Butter BTSの曲
自分はここのRMさんの「ドゥ、ダ(ラ?)ブギ、ダー」のところが大好きです。😊
「the」は「ザ」じゃなくて、「ダ」、[like]は「ライク」じゃなくて「ダi」って発音するのが自分には「ツボに入る」のです。
めっちゃネイティブっぽいって思います。
繋がるのでもっとリンキングで滑らかになるのですが。
あれと同じです、マントラの「南無阿弥陀仏(なみあみだぶつ)」が「ナンマイダー」になるやつです。
帰国子女の英会話の先生をしていた方が言っていたのですが、「外国語を話せる人は耳が良い」と言っていました。
コピ力も大事なんですね〜😊
😉
ちょっと難しい話になりますが、自分は「回避型パーソナリティ障害っぽい」所がありまして、冒険が出来ないのです。
「フルーツサンドイッチが不味かったらお金がもったいない…」と思い、いつものコンビニのおにぎり🍙にしてしまうのです。
家族は言うんですよ。
「こういう時は食べたいものを食べないと駄目だよ」(この場合フルーツサンドイッチ)
確かに見た目が凄く美味しそうなのですが、自分も実はあまり美味しいとは思いません。
食べたいけど味が予想できて、なおかつそこそこな予測であれば回避しますよね。
「フルーツサンドってご飯なの?デザートなの?」というようにちょっと位置(ポジション的にも)が曖昧ですよね。
まあ買わないのに何を言ってるんだよ?どっちなんだ?ってやつですけども笑
(自分は🥪は卵サンドが好きです☆)
神社ならば、近くに自動販売機くらいはあるのです。
ですが、神社もへんぴな場所だと何もないところの方が多いのです。
なので「飲み物と食べる物は持参、それか、途中で調達していく」のがいつものスタイルなのですが、
自分がいつも心配するのは、お昼ですが、お昼時に知らないレストランに入りたくない「陰キャ」なのです☆
友人は一人出かける時にお昼は「食べない」と言っていました。
神社の隣にお蕎麦屋さん(個人経営の小さいお店)があって自分は前に入った事があったのですが、「陰キャ」なのであんまり一人で入りたくないんですよね。
とまあ、話がだいぶそれてしまいましたが、歩かずに電車で乗り換えた方が良かったかな、くらいに遠かったのです。
コンビニの白いビニール袋を持ちながら。
で
バシャールの文のように「初めからやらなければよかったというような躊躇する場面に出会った」わけです。
ですが、ここまで来た以上は歩かなければいけません。
歩いて歩いて、その時景色がとても綺麗だったので写真も撮って。
バシャールの言うように「開き直りというか、受け入れた」のです。
「歩いて行くのを選んだのは自分だし。でも疲れるな〜。」
これも神社への行く為の喜びのひとつだから、といった感じ。
そうするとポコっと曲がり角に入って神社が見えて来たのです。
でお参りをして。
歩き疲れたのでベンチで座っていました。ついでに買ってきたおにぎりも食べて。
川のせせらぎと共にいただくおにぎりは🍙、なかなか風情がありました。😊
笹の葉が茂っていて、川の水が音を立てて流れていきます。
リアル「川の流れのBGM」です☆😃
癒やされました❤(ӦvӦ。)
ベンチも人が通らない死角な場所にあって、ずっと座っていても何も言われなくて図々しくずっと座っていました。
要は目的があってその通りに行動をすると、そういう最適な場所が空いていたりするんですよね。
案外とスイスイいってしまうのです。
道に迷うとかではなく、どこか迷いがあるというのは、「目的を決めていないから」だと思います。
でも、次に来たらここのベンチが空いているというわけではないのかもしれないのです。
行く曜日とか、時間帯とか、季節とかで人混みなどの状況が変わるので。
要するにバシャールの文章のように、
「自分でそこに行くと決める事」という事です。
行こうとする場所までは「あんなことされたくなかった」「こんなこと言われたくなかった」という事も出てくると思いますが、「その辛い出来事には価値を置かなくてもいいよ?」という事ではないのでしょうか?
途中の道でフルーツサンドイッチについて、考えてスルーして、いく、ということです。
何も意味がない、ということです。
人は途中の出来事でゴチャゴチャとこだわりすぎなのです。
本来の目的ではない所で文句を言ってみたりして。
で、余計な輩が絡んできたりしますからね…
いやいや。
そこは無言でスルーでいいじゃないですか。
人によっては「自分という存在を無視された」と思う人もいるのかもしれませんが、そもそも関係性自体がないわけです。
「その人にとっては目的外、そこまでの関係性」なわけです。そこに良いも悪いもなく。
で
人はそこの人間関係とかで道草を食ってしまうのです。
それは駄目なのです。
駄目というか、
目的は目的ですけど、本当の目的ではないのです。
目的ではない、ということです。
でもそれが価値はない、という事ではないのです。
「自分の目的ではない」
というだけです。しつこくてわろた。
フルーツサンドイッチを買わないとお店の人が「賞味期限があってすぐに駄目になってしまうから買って〜食べて〜。」と言うかもしれないですけど、自分は神社に行くことが目的、ということです。
あれもこれも。というのは人間は無理です。
色々と出来るほど器用に出来ていないのです。
結婚も一人としか出来ません。
どんなに良いものでも「受け入れる余地がない」という事もあります。
何故ならば「自分の目的が違う」からなのです。
山に行くのに、水着はいりません。
水着になって、虫や蚊に刺されてとんでもない事になってしまいます。
とまあ
こういう解釈でよろし?
あまりにもわかりずらい説明だったのは、「ぶっちゃけフルーツサンドに重要性がない」からなのですが、重い選択の話だと重すぎてあれなのでフルーツサンドの重要性について述べてみました。(_ _)
はぎわらでもおぎわらでもどっちでも良いだろ。
ふかわりょうさんのネタ
ふかわさんのネタ増えててわろた。
ちょっと探してしまいましたが「330個あるうちの241番目」でした☆
ふかわさんのネタでもう一つ☆
「お前ここぞとばかりに「大江戸線の深さ」で例えてきたな。」
今日の電車のネタつながりですが、これもすこ。
いくら耐震は完璧だとは言ってもあそこまで深く作る?
田舎者の自分は「大江戸線に乗っただけでこの世の終わりを思う」のです。半端ねえ!
🚆大江戸線だよ。
でも、逆に
道草もまた人生です☆
人によって違うという事ですね☆
今日もみなさんが幸せでありますように。
🙏
皆さんに幸あれ〜❤(ӦvӦ。)
❤