すべての人はすべてのレベルで同時に存在しています。
自分自身の波動が上がったとき、相手とその波動の部分(自分と同じ波動の高い部分)としか交流ができなくなります。
そうしてまわりが変わったように見えるのですが、実はあなたが変わったのです。
相手の人の違うレベルと自分の現在のレベルが交流することになります。
もしくは、そこで個性的に違いすぎると感じるときは、その二人は違う道を歩み始めます。
栄華と没落。
プラスとマイナス。
こういうものはセットなのです。
出会いと別れ。
始まりと終わり。
「宇宙は変化していくもの」というのは宇宙の法則です。
☄️←宇宙☄️だよ。
バシャールも言いますが「他人は変えられない」のです。
他人を変える事は「富士山を自分の手で動かす」ことと同等の事です。人は自分でタンスすら動かせないのに人の気持ちは動かせるという傲慢さを持っています。
自然の摂理を変える事は不可能なのです。
ですが、ある程度の事は動かせてしまうんですよね。
人間関係とか。
親子の関係、付き合っている時、立場が上の時。ハラスメントとか。
上下関係がある場合には、下の立場の人は上の人の言うことを聞かなければいけないのですから、聞くでしょうし。
ですが、基本は親でも「子どもの全てを支配することは出来ない」のです。
思い通りになる人はいない、と基本思っていた方がいいのです。
仲良くするのは利害関係もあると思いますし、得するから黙認しているだけかもしれないからです。
正直言いますと、「自分は何でも出来る」と思っている人は「他人によって挫折した事がない人」なのです。
結局「他人は自分の思う通りにはならない」という事を学ぶまでそれは続くのです。
普通であれば、いい歳になれば「付き合う相手」とか「結婚相手」「子供」などで嫌と言うくらいにわかるのですが、「結婚もしないし子供も持たない人が増えた」おかげで、「悪い意味で挫折するという経験がない」ために「子供時代にありがちな全能感とか万能感を潜在的に持っている人達」がいたりします。
挫折というのは、例えば「漫画家になりたかった」けどなれなかった、というのでもいいのかもしれませんが、「自分の限界はここまで」という事がわかる、という意味では「良い意味で安全な道に戻される」もので、良い挫折であるのです。
いわゆる「運命論」です。
「努力ではどうにもならないという事に気がつく」わけです。
「親ガチャ論」は別にいいとは思うのですが、自分が思うのは「諦めが足りない」のです。
真に親ガチャ論を言うのなら、それはちゃんとした観念ですが、「そこで終わりなら黙って埋もれていれば良い」のです。
人の成功例を見ることができるのは「良いこと」であり「自分もそういう風になれるかもしれない」という「フラグにすればいいのです。
実際TVが普及した時はみんなが同じように「裕福な生活を目指して奮起する」という現象が起きた為に豊かになった部分も否定できないのです。
投資で大儲け出来るのは「お金持ち」です。一般ピーポーは無理なのです。海の藻屑のように「貴重な自分の資産をも」流されて残るのは「借金だけ」という例も多いのです。
ぶっちゃけパチンカスの「次は勝てそう理論(夢見るドリーマー)」と変わらないのです。
軍資金すらなくなってしまうパンピーは「負けるに決まっている」のです。
自分の父もお爺さんとおばあさんも「自分の店」を借金によって失っています。
「働くのは本当に尊い事」なのでしょうか。自分はいつも母がアルバイトを点々としていて、そういう生活にとても疲れていたのを見ていたし、お店の物を買わないといけなくて(化粧品のようにノルマがあるもの)化粧品で母のドレッサーが化粧品でいっぱいになっていたり、自社製品を買ったりしてそのアルバイトをしている間は「そればっか」を飲んだり食べたりしていたりしました。
今でこそネットで現状を知る事が出来、「この業界は残業が多いのにお給料は少ない」とか「みんなやめていく」「ぶっちゃけ闇」というのを「可視化」出来るようになったのは大変素晴らしい事だと自分は思います。
宅急便も大変な業務だとは聞いていますが、彼らに嫌がらせもされたりしました。嫌がらせする余裕はあるんですかね。
たまに絡んでくるウザい人がいるのです。
「言ったところで仕方がない事」をいちいち問題視してイチャモンつけられたり。
置き配があった時代の最近だったのですが、思い出したので言いますが
冷凍食品を「中身がわかっているから、置き配でいい」と言っているのに「そういうわけにはいかないから」と言って、三回くらい来たりするんですが、自分が家にいるのに紙だけ入れてあったりして持って帰ってしまうのです。
(自分が悪者になってた。)
もう届ける意志もない、みたいな。
「何回も来させられる迷惑な客」に仕立て上げられるのです。
「自分が正しいと思ってもらうために相手を悪者にして正当化する人」でして、自分は荷物さえ受け取ればそれでいいのですが、「ドラマを自ら作って自分を悲劇の人」みたいな盛り方をしてきたりするのです。
自分は彼に三回くらい会えなかったです。
「中身が牛丼なので溶けてもいいです。置いておいていいです。」って何回も言ってるのに「冷凍はそういう決まりなので(この繰り返しウザい)」と言われて自分が「不在連絡票」を何回もする事になったり。
で
突然来たと思ったら自分が買い物に行ってたりとか。
それすら悪意に取られてしまったり。
「今日は家にいます。」って電話で言うと「今日の受付はもう終わりました」とか。(本当にそう言われてムカついたのなんのって…)
カッチーン🤬
もう彼は荷物を届ける気持ちがないのか、うざ絡みをされているんだろうと絶望してしまったくらいです。
自分もウザい人になっててわろた。
🤬冷凍ものはもう頼まないよ!でも頼むなきっと。おいおいおいおいおい。
5チャンネルのスレッドでもよく見る事が出来ますが、成功する為には「親の力」と「運」も大事な要素になってきます。
スポーツ選手を見ていますと、親が仕事を持って忙しくて子どもの試合を全部見られるわけではなくてもその子供は、他の親に送り迎えをしてもらったり、面倒を見てもらえるような「人間関係に恵まれるような愛嬌のある子」でもあり、そういう親というのも「嫌われないような明るい親」であったりします。
親が発達障害で引きこもりってだけで、子どもの人格も推し量る基準にもなりますから。
スポーツが出来るような環境にいるんですから「選手たちが陽キャ」であるのは当然ですよね。
スポーツ選手に顕著に現れるのが「そのチームのお荷物になった時」です。
パフォーマンスが落ちる時です。
そうなると、結局メンバーから外され、チームからもいなくなります。
スポーツ選手は普通の人より稼ぎますけど怪我をしたら終わりになってしまいます。
で
怪我をしないような体力作りはマストになるわけです。
モデルさんが、お腹いっぱいに食べない、が当たり前みたいな。
で
努力をしているわけです。
チームとの波動がズレてしまったという事ですね。
で
5チャンネルでは、親ガチャ親ガチャと言いますが、本当に「親ガチャだけであれば、初めから良い種と畑だけを残せばいい」わけです。
支配層がそれをしないのは、「親ガチャではない、ワンチャン予想外がある」かもしれない事が起きているという事なのです。
ですから「恋愛結婚」もまだ生き残っているわけです。
お見合い結婚が廃れたのは「お見合いをするよりも、恋愛結婚の方が良い遺伝子を残しやすい」という結果が出ているのかもしれず、自然に淘汰されてなくなっていった、という考え方もあるのでしょう。
悪の組織の人員削減計画もあるのかもしれません。
自分が大江戸線の事を書いた時に思ったのは
「陰謀論の支配層が東京を破壊させようとしている」ということです。
大江戸線は掘りすぎでしょう。大江戸線にビビり過ぎててわろた。
あんなの「既にフラグが立っている状態」みたいなものです。
なので、もう東京に住んでいない人が正解なのです。
自分は全部そういう話に持っていきますからね。たまに自分も遊びに行きますがその日ではないように祈るしかありません。
もちろん陰謀論がない方がいいに越したことはないのですが。
よく生物の絶滅の危機!みたいな事が問題になっていますが。😊
中国の今の大恐慌のような「新卒の大学生の就職難」「大学卒の失業率」を考えると、「豊かさというのは全てが上手く回る事が大前提である」というのがわかります。
車を作っても売れないとか、高級レストランも人が来なくなったり、大卒でもお給料が見合った金額をもらえないとなると、学歴が関係なくなってしまい、何が正解なのかわからなくなるのは当然なのです。
えり好みすら出来ず、下手すると「餓死」する事になるのです。
そうなると社会のシステムそのものが変わらなければみんなが不幸になってしまいます。
中国の社会が変わるかどうかはわかりませんが、
今「生き延びるだけでもとても大変な時代に突入している」という事を忘れてはいけないのです。
経済が不安定なこういう時に「引き寄せで意中の彼を引き寄せよう!」「結婚したい!」と婚活を頑張る女子はやはり「お花畑脳、及び恋愛脳」だと言わざるをえないのです。
現実から目を背ける女子が多過ぎなのです。
まずは、自分が生き延びる事が最優先であるのです。思っててもいいけど「現実逃避してる人」を見たくない人もいるんですよね。相手を下に見すぎているんですよ。押せばいけるっていうのは「弱男みたいな発想力」でしかないんですよね。
理想の王子様と幸せな結婚をしたい女子達は「恋愛にかこつけて、自分の不幸の全ての根源を{おまた一つで一気に男子に解決してもらって人生逆転してやろう}という事を企てる策士」なのです。
要は楽をしたいのです☆
女子もちゃんとイケメンに相応しい(ふさわしい)レベルの実力がないといけないじゃないですか。
今までモテてきた高齢独身女子の殆どが(ほとんどが)こういう「楽をしたいってだけの人」なんだと思います。
あっ
!
上を狙い過ぎてあぶれてしまう、というやつですね。
上は上なりの激しい競争がありますし、本気で競争に頑張ったのに敗れてしまった事は同情しますが、選ばれなかったのは本人に足りなかった部分があったという事なのです。
それを受け入れるという事も大事な事なのです。妥協していく、という事です。それも選べる人がいないのならもう諦めるしかありません。現実を見れないのは既に自分は「一緒に人生を戦っていく相手」としては出ているという事になります。
頑張ってみても「デブスに一日目はない」
要は「恋愛対象外なおばさん(穴モテ)」なのです。
日本人とオッパさんとは「諺」が通用しないのです。
「慣れる」と言ってくれる日本人は優しい。
韓国人は足切りもするし、足蹴りもしそうだし、中国人は「一族以外は無関心で他人には冷たい」とか、
その国の価値観もありますからね。
もし仮に付き合えたとしてもそこそこにしか大事にしてもらえないというポテンシャルは相手が誰であろうとも変わらないのです。
結婚が出来ないのなら整形すればいいじゃない。(ピーチアントワネット)
要は
諦めが足りない。
のです(_ _)
バシャールの今日の文章も同じです。
相容れない部分はどんな関係性でもあるでしょう。
親子でもありますし、5チャンネルのやり取りでも「自分との価値観が合わなくなった」時、違う道を歩み始める、ということです。
要は人は「この人のここが好き」というある意味「選別」みたいのを、勝手にしているのです。
それは、自分の成長であるので「良いも悪いもなく判断しなくていい部分」なのです。
赤色🔴から青色🔵が好きになっても良くも悪くもないです。
要は「世界線の引っ越し」でしょう。
パラレルワールドの平行線上に自分が一個上に移動したのです。
バシャールはここでは、「自分自身の波動が上がったとき」の事を言っているので、ここでは波動が上がった時の話に限定します(_ _)
自分の波動が上がると、「その人の嫌な部分が消えるという現象になる」のではないでしょうか。
線上に見えなくなるわけです。
水平線も、場所を変えれば違う景色になりますよね。
人間関係でも角度が変わると、相手の違う部分と交流する事になるのです。
つまり、敵同士でも敵にならなくなる、ということです。
仲良しでも「実は表面上だけだよ」という人もいるかもしれません。
特に女子は演技したりしますから、カップルでも油断してたらいきなり「別れ話を告げられて他の男子に行ってしまう」という事は星の数だけありえる事なのです。
女子が我慢してしまう生き物です★
去ってからでは遅いのですよね…
人の御縁というものは、こちらがいくら思っていても「切れるものは切れる」のです。
切れてしまったらもうしょうがないのです。
自分が成長したのかもしれませんし、下降したのかもしれません。
バシャールが言うように個性が違いすぎるとお互いに良くないというのが理屈なしに感じるものだと思うのです。
一度行ったお店がイマイチであるのなら、もう行こうとは思わないでしょう。
自分も近所で仲良くする人がいません。
20年以上住んでるのに全く会話もないのです。
挨拶を20年続けても距離は一向に縮まらないのです。
向こうもそうなので仕方がないのです。
こういう場合は諦める方がいいと思います。
諦めない事も大事なのですが、「時間という貴重な財産を同じように返さない相手に期待しても財産だけがなくなる」だけですので、諦める、ということも諦めない事以上に大事な決断なのです。
😉
自己中ってそれだけでもう終わってるって思う。気分悪くなるじゃないですか。気分が悪くなる人と一緒にいたくないけどな。
自己中同士でくっついていればいいのにね。
では
今日も良い一日をお過ごしくださいませ★
皆さんに幸あれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜(๑•̀ㅂ•́)و✧
❤