みなさんのこの社会の中で、自分の人生の目的を非常に難しくしている理由は、みなさんが、人生の目的とはこんなにシンプルだ、ということを信じないからです。
「自分はいつも下層だ」とか
「自分は人より不幸だ」とか言う人って自分は「自分から不幸になるのを潜在的に選んでいる」という感じはします。
考えたくはないのですが、人には「器」というものがあります。
富士山のように高い人もいれば、近所の目で見えるような低い山の器の人もいます。
問題は自分の器がわかっていない人です。
自分自身が、本当は「今生」で何か悪い事をしてしまった、と思い当たる事はありませんか?
秘密にしていたいという出来事はありませんか?
それが(出来事が)
実は自分が、「自作自演」をしている、という可能性があるのです。
別にそうは思っていないのかもしれません。
が
一般的に良くない、という事をしたりしたことによって、
「本当はいけないのに、ルールを破った」とか「裏切ってしまった」など。
自分で人としていけない事をしてしまった、という時は「自分で自分を罰している場合がある」のです。
自分もそういう部分があります。
自分では悪いとも思っていないもっともっと奥の場所では「やっぱりあれは良くなかった」と思っているのです。
というのは「良心は誰にでもある」からなのです。
こういう人の良くないのは
「過去の出来事も一緒にくっつけて判断し決定してしまう」という事だと思います。
わかりやすく説明しますと、一度喧嘩をすると「過去のことまで持ち出してきて責めてくる」人っていませんでしたか?
過去の事を言われても困ってしまいますよね。過去の過ちを責める人って嫌ですよね。
自分の父がそうだったのですが、「問題の複雑さを娘の過去の失敗に置き換えてけなす」とかいうのはされたりしました。
「お父さんだって浮気したじゃん」って言ってやりました。(๑•̀ㅂ•́)و✧
要はコミュニケーションがなさ過ぎて、一度にワーっと溢れ出てしまうかのような「そこでこれを言わなくてもいい」という事をほじくり返して言う人って、かなりダルい存在だなあと思いませんか?
そう言われるとこちらも過去の出来事で彼らに応戦してしまったりしてね。(*ノω・*)テヘ
今の自分(父)の悩みが(仕事に対する悩みや夫婦仲などが)「過去の娘の失敗にすり替ええて失敗以上に過剰に責める」のです。要は八つ当たりってのでいいと思いますが。
そうなると娘としても「悩みを相談しても過去の失敗をほじくり返される」ので、言えなくなってしまいますし、近づかなくなってしまいますよね。
器ちっさ。
悪い事をほじ繰り返されると近づきたくないですよね。父は相手を怒らす天才でした。そんな天才要らないけどね。4人男兄弟だったので環境のせいもありますけども。
いませんか?被害にあったのに「お前が悪い」とかいう人。痴漢に合ったとか、引ったくられたとか。
油断していたからだ、という人。
いや。
それは本人もわかっているじゃないですか。
そこはまず優しさを見せましょうよ、と。
(でも言いたくなってしまったりして(*ノω・*)テヘ)
自分は言われたくないのに、人には言ったりしてね。(*ノω・*)テヘ
自分のお爺さんもちょっと酷かったです。
(・ัω・ั)
ウチの家族全滅やんそれー。
(・ัω・ั)
母も喧嘩したあとずっと引きずっててクッソウザかったです。
喧嘩が終わって、もう行くトコに行かないといけないって時にも喧嘩してる態度を取ってきたりして大人の振る舞いではない態度に苛ついたりしていました。
未だに大人で感情的な態度を取る人が許せないのは母親の影響もあります。
自分が感情を上手く出せないのは両親が子供みたいに我儘を本当の子供に対してするからなのではないのかと思ったりしました。
アダルトチルドレンというものです。親の感情面を慰めたり大人の喧嘩を仲裁しないといけないのは子供も心が傷ついたりするものです。
猫と猫の喧嘩に猫が仲裁に入る、というのとは訳が違います。
自分の両親は結局離婚しましたが。
それでも自分は根底は二人とも大好きでした。🤭
よく小さい子供時代から「大人っぽいね」と言われていましたが、多分それは褒めていないんだと思います。
「アホじゃなさそうで隙がないから突っ込めない」のでは。
自分は子供の時からはしゃげない子供だったのです。はしゃぐと「馬鹿みたい」と母親に親戚がいる前で貶されたりしていて、大人しい子になってしまいました。
長女って親に押さえつけられたりしますよね。
その関係性がずっと続くので他人行儀になったりして壁を作って頑張っていました。抵抗するじゃないですか。いじめの構造はターゲットを弱い者にしてから自己肯定感を無くさせて弱くするのです。
自分はいつもこの状況は良くないと思っていました。
まあ自分の話語りになってしまいましたが。
こんな事をいっても「自分で克服すればいいんじゃないの?」と言われるだけなのですが。
自分は自分をけなす人には近づかなくていいと思います。
受け入れられないものは無理しなくていいと思います。
ですが自分は両親を好きですし、感謝しています。(_ _)
つ☕チャイラテ。
バシャールの「自作自演」に戻りますが、
人は、幻想を夢見てしまうものです。
ですが本当はわかっているのかもしれません。
FXで一獲千金を狙う人もイケメンとの結婚を狙う人も本質的に何も変わりはありません。
エビで鯛を釣る
的な。
そういう博打的な賭けをすれば、自分が
良からぬ結果になる側の人間になるのは覚悟をしないといけないわけですが、そういう賭けすら自分は「人は自作自演の不幸の自分を作っている」とさえ思えてくるようになりました。
というのは、人はどこかで罪悪感を感じているのです。
「罪悪感」というのは物凄く重いエネルギーなのです。
自分の中で潜在的にも顕在的にも「それは無かった事」には出来ない事があり、それが人の幸せを邪魔しているのです。
それは、あくまでもこの世界は「自分しかいない」という世界観念です。
つまり「罰を与えているのは自分である」というのを認識しないといけないのです。
どんなに悪い奴にも良心はありますので、「人間が自分の罪悪感から逃れる事は出来ない」のです。これは意識していなくても働く体の器官みたいなものです。
ですので「自分の運の悪さ」をいくら人のせいにしても、運命や持ってるカルマはなくなりません。
とまあ、理屈的にはそうなるのです。(_ _)
ですから「諦める」というのが一番無理がない選択なのです。
確かに「諦める」というのはネガティブな事かもしれませんが、頑張った所で無くなったものが帰って来る事はないのです。お金を溶かしたとか。
頑張るというのはあくまでも「気持ちとかモチベーション」であるのです。「結果に直結するものではない」という事が腑に落ちないといけないのです。
上手く言えないのですが、大きい目で見ると「人は自分で不幸になっている」というのが自分の見解です。
それは霊的成長に目覚めてほしいからです。誰がといいますとハイヤーセルフです。
不幸な出来事というには自分のハイヤーセルフの配慮という事なのかもしれませんね。
もし、今の苦しみが辛くて消したいのならば、お祈りしてみてください。
守護霊様やハイヤーセルフや大天使にお祈りしてみるといいです。
物事の「正しい正しくない」は、ハイヤーセルフがジャッジしています。
要は人は自分を真から騙す事は出来ないのです。
だから我を張っても結果は同じなのです。
無理やり、というやり方は間違いなのです。
一万円持ってる人は一万円の価値のある物を買える、という事。
それは生まれつき持って生まれて来ているかもしれません。
持っていない人は一万円の物は買えない。それだけです。
ここに(事実に)感情が入るからおかしい事になるのです。
感情が入るという事はカルマがある、という事です。
押し通そうとするから堂々巡りになっているのです。
自分が自分のカルマから抜け出すには何度も言いますがマントラを唱える事です。
そして運命を切り開いてくれるのはハイヤーセルフです。
個人には実際は運命を切り開くチカラはなく、動かされているだけだと言うのが真実のようですので、個人は「願望を意図する」事だけしか出来ないようです。
上手く言えないのですが人は挫折をしてやっと自分のスピリチュアル的な事に目覚めていくものである、と言えるのではないでしょうか?
挫折経験も霊的成長に目覚める為には必要だったのです。
ですので目覚めるまで同じ失敗を繰り返してわからせようとするのです。
我を張っても
百害あって一利なし
です。
時間とお金の無駄なのです。
無駄使いする人と友達になりたいでしょうか?
NOですよね。
自分は「知ってるようで知らない世界はある」と思うのです。
カルマは来世まで持ち越して来世の自分が「自分はどうしてこんなに不幸なんだろう?」と嘆きだけの人生を送る事もあるのかもしれません。「今そうなってる」という人もいるかもしれません。
で
自分の人生を上手くいくようにする為には最初にカルマを浄化する、ということが先決です。
つ☕
本当に自分がそうなりたい、という夢があるのならそうするはずです。
(・∀・) そうそう。
宇宙を信じてみてください。
自分の周波数、波動を上げる努力をするといいと思います。
上手くいかないのは「その周波数に留まっている」からなのです。
自分で波動を上げていく。
☺
今日も皆様が幸せな事がありますように(_ _)
皆様に幸あれー💐
(・∀・)