答えはすでに皆さんの中にあるということを思い出していただきたいんです。
思い出していただきたいのは、質問というのはすでに答えだということです。
質問がある限り、答えはもうすでにどこかに存在しています。
自分は、相手の感情がわからないと、「Yahoo知恵袋」を見に行くようにしています。
「この人はこれ以上やってもどうにもならないのに、どうして意地を張って現れるんだろう」というような疑問を自分以外にも思う人がいるものなのです。
で
大体見に行くとあって、それを読んで「ふむ(・ัω・ั)」と答え合わせをするのです。
人間というものは、「こういう場面でこういう人にこう悩む」というような、結構な確率の数の悩みは大体同じであったりするのです。
というのは、自分たちが同じような行動とか、枠内でしか動いていないという事であるのです。
例えば普通に選択肢は多くても3つくらいになっています。
「忘れ物をした時」に「借りる」「買う」「無くて済ます」の3つのパターンしかありません。
で
「借りる」という選択肢はあっても普通に借りるという事を選ぶ人はあまりいなく、実質上は「買う」か「無くて済ます」の二択になります。
「借りる」という行為は「申し出る人」も「貸す方も」あまりいい気持ちがしないのは、何故でしょうか。
自分の考えを言わせていただくと、「無理をするから」である、と言えると思います。
人は「分不相応な事をすると、返りがキツくなる」という法則はあるのです。
「因果応報」とか「人を呪わば穴二つ」ということわざのように、「やった分だけ返ってくる」という自分のした事がいつか自分に返ってくる、という事は逃れる事が出来ないものもあります。
それは今生だけの事ではなく、過去や前世での考えや行いも含まれています。
自分は「ジョセフ・マーフィー法則」のマーフィー氏のおすすめする「占い」をするようにしています。
で
悩んで自分が答えが出ない時は、「易占い」に頼るようにしています。
占いは「タロット占い」でも「四柱推命」でも「星占い」でもなんでもいいと思います。
自分は、パソコンの易占いを使っています。
瞑想して答えを導き出す事も良いとは思いますが長く時間をかける必要はないと思うのです。
で
答えが出ますよね。
で
自分は大まかな意味だけをかいつまんで理解するようにしています。
そこで大事な事は「二回やらない事」なのです。
ですが、
「占いの判定が気に入らない時にもう一度へんげして解釈をすることができる」
というのが、易占いの裏技的な必殺技であるのですよね。
「そんなのズルいよ」
って思うじゃないですか。
ですが
家をもらった土地に建てたり、会社にしたり、借地に変えたりする場合、「それ自体が決まっている場合の最悪な結果が出たとしたら、不安でおちおち眠れなくなるし、酷い事になればノイローゼになる」という人もいるかもしれないのです。
「占いの対象物が動かない土地であった場合」という方が例にしやすいのでそうしてみました。
けれど、「人と人との間の相性」というものも、「変化していくもの」でもあり、「自分さえ気をつけていれば、相手の方が態度を変えてくれるという場合もありえる」わけです。
あくまでも「人を変えささせる」のではなく「変わってくれる」のを期待するものなのですが、期待するのは自分はおすすめしません。
「その人との関係が終わって平和になる」という選択をした方がいいと思います。
それは「距離を取って会わないようにする」とか、「別れる」とか「その人との因縁を終わらせる」とかです。
悪因縁はいつか終わります。
が
終わらない事も当然あるのです。
もし終わらない時は「その人とどういう関係性がいいのか?」という事を考えた方がいいのです。
別れられない事情があったりする事もありますよね。
ですが、
どちらかが自死する事になってしまう事もあるのです。
自死の事ですが、恋愛や結婚生活で奥さんなり旦那さんなりが死んじゃう場合がありますよね。
そういう時というのは、「不倫関係である二人のせい」だと自分は思っていて。
自死するくらいなら、逃げちゃえば良かったじゃん、って思うのですが、自死する人というのは、逃げ場がないのか余程衝動的であるのかわかりませんが、死んじゃう方を選んでしまうものです。
衝動的ってどういう事なんでしょうかね。
それに何故二人でいじめるんですかね。
この構図がいまいち自分にはよくわかりません。
「自死する人が過去世にしたから」
というのが自分の想像上の答えでありますが、どうでしょうか。
自分が苦しめられるというのは「自分が過去に誰かにしてきた事」であるかもしれないのです。
そこの所ははっきりとこうだ、と言えるものではありませんが。
もう愛はないけど別れられない、という場合もあり、結婚生活も楽ではないのです。
💔
ひとつ気をつけたいのは「自我を出さない」という事です。
出した所で人が変わるという事はないのですから、出すだけ損だ、という事です。
そこで自分がおすすめすするのが占いなのです。
占いをすれば結果が出ますので、それを参考にすればいいのです。
「人の意見」か「占い」か?
で選ぶのなら自分は「占い」にします。
「人の意見」も「占い」も依存には依存なのですが、人の場合
「あの人がこう言ったからこうしたのに、そうならなかった」と自分を顧みなくなるから、良くないと。
「占い」の場合は、多少自分の手が加えられているもので、自分がカードを選んで引いたり、自分の名前や生年月日を入れて完成させたりするので、占いが外れても?「まあいいか、初めからわかっていたから」というように自分自身が納得しやすいのです。
宗教の中では占いを禁止する所もあるのです。
要は効くという事なのです。
自分をないがしろにする人がいるのなら、「良くなる為に努力をするべき」ですし、それで改善されないのであれば、「諦める」事も大事になってきます。
自分も問題は抱えています。
ですが、因縁をなくすしか方法がないのです。
仕方がないですよね。
自分がやる易占いは、「一回だけ」と決めています。そうでなければいけないのです。
何回も自分の満足の答えを出してみても現実は変わりませんし、運命も動かせないのです。
その苦しみは自分の学びの為に必要なカリキュラムであるからです。
要はカルマからは逃げられないのです。
人は逃げてる時が一番辛いのです。
答えが出ているのに、認められないのも辛いと思います。
相手は切ってしまったので、いくらわめこうがほのめかしの自殺をしようが、知った事ではないのです。
それも全部カルマだと思えば(・∀・)イイ!!
そのカルマは消えたのですからそれで(・∀・)イイ!!
もう一度やり直せば(・∀・)イイ!!
自分で答えはわかっているものです。
ハイヤーセルフが学びの為にそういう設定をしてくれたのです。
しんどいかもしれませんが、前を向いて生きていかないと毎日がつまらないのです✩
つまらない人生を面白くするのは自分です✩
ずっと悩んでいる人ってやっぱり「暇で仕方がない」んだと思います。
究極的にですが。
本当に困った時に悩むでしょうか?
死に物狂いで行動を取ると思いませんか?
だから
「悩んでる自分見て〜」な人なのです。
現実どうこうであるという事実は関係ないのです。
目立った場所で悩みたいだけなのです。
しかもお金もかけないのです。
「自己満悲劇のヒロインプレイ」なのです。
「挨拶されただけでイケると思ってしまう」とか、
「目立った場所でカフェで勉強民」と変わりないのです。
カフェで目立った場所で勉強民はもはや「プレイ」だと自分は思います。
誰もいない海辺や草原でやればいいじゃん。集中できるよ?
で
上手くいっていそうな人をズルいとか言いながら観察しているのです。
もはや暇人なのです。
自分のアイデンティティがないのです。
流されてるだけの人が非常に多いのです。
個性を出しちゃうと変な人だと思われてしまいますので。
あるようでないのが個性なのです。
本当にしまうまの大群とか、イワシの群れと変わらないのです。
生存競争は甘くないのです!
婚活男子女子で高望みする人が非難されても仕方がないのです。
悪ささえしなければ何も言われないのです。
そういうことです。(_ _)
つ麦茶🍵
ヒステリーじじいやババアにならない事を祈ります。
きっと世の中を呪い、幸せな人を呪い悪さしていくんだろうな…
死んでも浮遊霊になって成仏しなさそう。
どうしてエゴが強くなってしまったのか?を冷静に考えてみる、顧みてみる時間にしたほうがいいと思いますけどね。
欲望って怖いですよね~。
😊
では皆様に幸あれ〜!
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