バシャール①

2025年01月02日 11:56

正しいと間違っている

自分で否定的なことをやって、それが正しいんだ、自分はこれが必要なんだと思ってる人もいます。
肯定的なことをやりながら、これは間違っていると思うこともあります。
特にこの二つは関連性というものはありません。











間違いながら「相手が間違っている」という思い込みで生きている人もいますからね。




自分は中学校の時に受験のために予備校に通ってた時期がありましたが、クラス分けがあり、同じクラスだった女子に「○○さんと同じ中学?あの人にブスって言われたけど、私の方が美人だよね?」と言われた事があり、「う、うん。(震え)」と答えた事がありまして、その女子はブスではないけど、美人ではなくて、どちらかというと、「○○さん」のほうが、美人だし、頭も良く一番頭の良い高校に進学していました。




価値観というのは主観でしかない、というのはかなりバシャールに同意です。




自分は〇〇さんより、もうひとりの「ひよこ女子さん」の方が可愛いと思っていました。




予備校とは全く関係がありませんでしたが、彼女も一番頭の良い高校に進学した人です。




可愛いし、優しいし、男の子にもモテてて、よく男子と自分の家の近くのコンビニに来てました。
デートかな?




一緒に自転車で帰ったり、歩いて帰ってたり、中学校、高校と「王道な青春時代を謳歌した人々」です。




自分も彼女に「飴ちゃん」をもらっていました。一度も同じクラスでもなかったし、部活も違っていたのですが友達の友達という感じで一緒になることもあったのです。




🍬🍭可愛い子だったな。




弱肉強食。🍖




私達はこの世界で生きていかなくてはいけないのです。




自分もよく、生き延びて来たなあ、と思っています。




中には死んじゃう人もいましたし、争いの最後はろくなことがないというのも、生きながら学んできました。




まず、自分の人生に関係がない人々に喧嘩を売られても買わない。




これだけ徹底していけばいいと思います。




人によっては「すべてが敵に見える」という人もいないではありませんが、それでは疲れてしまいます。




自分もただコンビニで買い物をしたいだけなのに、店員に嫌われて嫌な態度を取られたくはありません。




「誰かを嫌いだという人」は主観は自分にあるのに、周りにも同意を強要する傾向があり、翻弄される自分は本当に狭い世界で生きているのです。
彼らに行動を制限される、と言っても過言ではありません。




要は「言った者勝ち」な世界ではあるのです。




それについては自分は「良いか悪いか」については「悪い」と思っているのですが、これは習慣化されているのでどうにもならないのです。




いじめがなくならないのと同じです。




因果応報は緩い時間枠で行われる為に、被害者がそこから逃げ出すまでで話が終わるのです。




結果はその後、風の噂で聞くという事が多いです。




悪い方というのは、悪い事があっても隠していますので公になりにくいのです。




つ麦茶🍵




結局「平和である事」が一番コスパが良い生き方だと思います。




個性は必要だとは思いますが争いは必要ではないと思います。




バラもいいしたんぽぽもいいのです。




「それ」を使って争い出すのが良くないのです。




争いたい人はネタが何であっても争いのネタにします。




ですが、争いたくない人までも巻き込んでいくのです。




争いが好きな人だけで争いが好きな惑星に移行してくれればいいのに。と思います。




大体の人が争いにが巻き込まれる、という人のほうが多いのです。





自分は平和主義です。




バシャールも言っていますが、




「自分が創りたい方向に人生を創ることができるというパワーはひとりひとりにあり、楽しいと思えるような事を実際にする事が出来る」




のであります。




本当にシンプルにシンプルになってみてほしいのです。




人には争いは必要ないのです。




自分の中だけを変えれば外が変わるという事です。




その方が平和じゃないですか。




みなさんは、外のせいにするのですが、外ではなくて中です。




外は自分が変われば変わるのです。




つまり自分が変わらないのならいつまで経っても変わらないのです。




それなのに、外を変えようとしているのです。




ナンセンスですよね。




自分が創り出した現実に自分で怒っているし、関係のない周りにも当たり散らしているのです。




でもそれは正しい事ではないのです。




自分の中を変える事が先決だからです。




📒




DEATH NOTEの韓国語版のあらすじがあったので、見てしまいました。




自分は物語を見たばかりなのに、全部見てしまいました。すごく良く出来てたです。
簡潔で良かったです。




韓国語なのに、内容はわかる、という。




自分はもはや話と言うよりかは「キャラを見たいだけ」という目的にすり替わってしまったかのようになっています。




だけど、ミサミサと高田様はイライラして見ています。




「ライトがいくら好きだからといって殺人を助けるってどうなの?」と思うからなのですが。




ここでも、「良い悪い」は主観になっています。




「キラ側」は「Lの方が悪」だと思っているし、「L側はキラを捕まえようとしている」のです。




本来なら両方共存しても良いはずなのですが、「キラ側」が「L側を徹底的に排除しようとしている」所に問題があったのです。




別に誰かを嫌いであっても消すまではしなくても良かったのです。




「好きなものがある以上は嫌いなものはなくならない」くらいに思っていた方がいいです。




これだけは言えるのです。




誰かのせいにしても楽にならないよ、と。




😉




つ日本茶🍵




お寒いですがお気をつけくださいませ(_ _)




皆様に幸あれ〜。




(_ _)








記事一覧を見る