みなさんが自分で運転席のレバーを握ってください。
自分がこうなりたいと思う自分をもう、今の自分だと信じれば、本当にそれが自分だという立ち振る舞いができます。
そうすると、そういう人がやるようなことを自然にやります。
その人がやらないようなことは、自然にやらなくなります。
わかります。
自分も「悪口を言わないようにして、話をそらしまくってたら、天然チャンになっていた」のです。
ぶりっ子、というんでしょうか。
養殖だったのに、いつのまにか天然な人になってしまいました。
(*ノω・*)テヘ
もしかしたら、本当は天然だったかもしれません。
どっちでもいいですね。
オギワラでもハギワラでもどっちでもいいよ ふかわりょうさんのネタから
本当にその通り。本当に。
本来天然女子というのは、「物事を深く考えずに行動する人の事」であり、自分は考えまくりなのですけども、まだ特徴があり、
「周りの目を気にせず人と違う行動を取る」
「行動が抜けている」
「会話の受け答えが少しズレている」
※ゼクシイ「セキララゼクシイ」から
という人を指す時に言われる言葉だそうです。
全部当てはまってて草。
当てはまり過ぎて。
やっべえぞ。
それには多少のマイナス面もあって
「無視してる」
とか
「マイペースだね。」
とか
「言ってはいけない事も言ってしまう」
という特徴もあるようです。
まあ、これも当てはまっています。
(・ัω・ั)
まあ
自分はどこからどこまでを言って良いのか悪いのかというのは区別があまりついていないかもしれません。
自分は潜在意識の法則の古い本をよく読んでいて、「ジョセフ・マーフィーの潜在意識の本」を愛読していました。
そこには「嫉妬の感情が一番良くない」という事が繰り返し述べていたのです。
となると
「自分は絶対に言わない様にしよう」
と思い、本当に言わなくなったのです。
で
言わなくなると見当違いな事を言うことになるんですよね。
「人を傷つけないように気をつける」事は、ちょっと頑張っています。
もしも、攻撃を自分がした場合は本当に自分に危険が降りかかるのを防衛するためにする事はあります。
ですけど、ストーカーは全然そういう切迫した気持ちをおもんぱかる事がないんですよね。
メンヘラな自分が言うのもなんですが、「自己愛性パーソナリティ障害」はマジで「あたおか」だと思います。
これには性別は関係ないように思います。
自己愛は「話が通じない」のです。
これは普通に「怖い」です。
それは「性格が悪い」というのと少し違う気がします。
「性格が悪い」のなら、自分が近づかなければいいんだけど、「相手の気持ちを考えずに一方的になんでも行動してくる」ので、対処の仕様がないのです。
「関わりたくないから諦めて他に行け」って言っても毎日来るんですよね。
普通は相手がめちゃくちゃ嫌って来たら、近づこうとしないものですけどね。
ストーカーの思考回路がマジでわかりません。
ですが、自己愛はやっぱりパートナーとは別れちゃっていますね。
だって自分勝手なんだもん。
だって本当に対処の方法がないのです。
ですから相手も逃げの一手になるでしょう。
自分は彼らは相手を「下だと思っている」から出来る事なんだ、と思います。
ネットに普及で「ネットストーカー」という存在が出てきましたね。
彼らの良くない所は「一途ではない」のです。
あれもこれも、なのです。
これは萎えますよね。
一度萎えた心は残念ながら何回も何回も萎えさせられる事になるのです。
「一時が万事」の典型パターンです。
こうなると、ただの「嫌がらせ」であり、「いじめ」と同じ迷惑行為なのです。
自分の好意を相手に無下にされた恨みを相手への愛だと思い込むのです。
ここの過程が「あたおか」ですね。
ただ、断られたってだけで。
自分の鬱積(うっせき)を相手に投げているだけ。
動物でもそうですが「(何かを)投げる事って、敵に対して威嚇してやる事」ですよね。
どうして好きであるはずの相手にうんこを投げる事をするのでしょか?
自分は言いたくはないですけど、弱者男性とか弱者女性の典型的な「鋳型(いがた)」だと思います。
そんなくらいの「軽い好き」であるのなら、付き合うのもやめたほうが相手の為になるのですが。
そういう言葉も意に介さないくらいに自己中なのでしょうが。
自己愛が強すぎても人と上手くいかないでしょうね。
他人事(ひとごと)だと思って見ていますが。
😊
要は「見た目普通に見えるけど、脳内に障害がある人々」なのでしょう。
軽い鬱がずっと続いているのかな。
🤔
薬を飲むと楽になるよ😊
💊
悪口でも好意でも本当にそうでない限り「行かないほうがいい」のです。
後に引けなくなっちゃうからね。
自己中は人生終わってる。以上。
残念ながら自己中な人とは一緒に住めません。
で
言ってくれる人もいないので自己中が加速して、より自己中になっているのです。
普通の基準から外れちゃう人というのはいるのです。
中国人のユーチューブで奥さんが愛想を振りまいて「ライブ」をしていたら、「旦那さんが乱入してきて、奥さんを髪の毛を引っ張ったり、殴りまくってた動画」
を見た事がありますが、自己愛性人格障害の人の場合(奥さん)、普通の人の気持ちがわからないから、むしろ相手がおかしいって思うんだろうな。
アバズレは、旦那さんが可哀想だから、結婚しないでほしいです。被害者を作るのやめてほしいです。
浮気性の男女は絶対に結婚に向いていないのです。
周りも本当に迷惑ですので、普通の人々を傷つけないでほしいのです。
暴力は確かに良くない事ですが、
奥さんがセクシーな格好で動画を回していたら普通の夫はそうなると思います。
自己中って本当に嫌。
自分は憎しみの対象物です。
✂縁切り。縁切り。もう来るな。(悪口ではなくて正当防衛です。)
「自分は悪口を言わない」という事に戻ります。
普通の人には「悪口も言わないなんてお高く止まってる」と思われてしまったのです。
で
逆に自分の方が標的にされてしまったり、もしくは相手にしてくれなくなったり。
これは結構さみしいものがあります。
ですが、
「マーフィーの法則では悪口を言ってはいけないから…」
という理由で、悪口を言わなくなっていったのです。
そうすると本当に言う必要がなくなってくるのです。悪口を言う人が近づいて来ないのです。嫌われちゃったってオチなのですけどね✩
で
とうとう悪口を言う人は自分に近づいて来なくなっていました。自分の事を言うにしても遠くで言ってる感じになります。
でもさみしいにはさみしいんですよ。
近所だったり、何かの集まりであったり。
「聖人みたいだね」とか、嫌味を言われたり。いわゆる俗っぽくなくてとっつきにくいらしいです。
占い師には「頑固」って言われた事があります。
ふん。
頑固で悪かったな!
で
自分はコツコツと悪口を言わないという積み重ねをしたのです。
言うときは本人に意見として言うとか、工夫して。
攻撃してまで悪口を言う人の方が良い繋がり方ではないと思います。
仲間割れするだけで。
悪口を言う→裏切る、ですからね。
信用もされないじゃないですか。
そもそも自分が何かをされていない限り嫌いになる理由なんてないですよね。
自分は「マーフィーの潜在意識の本」が好きで「ほぼ自分の生活の一部」のようになっていました。
マーフィーの本に書いてある通りに変わろうと自分なりに努力をしました。
それが「お高くとまってる」とか。そう見えちゃうんですよね。
😞
でもしょうがないです。成功したいからね。
マーフィー氏は牧師さんだったので、不貞とか、略奪など、不正を良いと思わない人で、自分はそれにも共感していました。
バシャールもそうなのですが、バシャールも
「幸せになる事に理由はいらない」
という主張をしています。
人を動かさなくても自分の願望が叶い、欲しいものが手に入るという事が自分にとっては凄く魅力的な理論だったのです。
これは画期的というか、革命的というか。
「引き寄せの法則には人との競争がいらない」のです。
すごいでしょ。❤(ӦvӦ。)
初めて知った時には、目からウロコが落ちるようでした。
なので
自分は「この理論を自分の価値観として思いながら生きていこう」と決めたのです。
マーフィーも、バシャールもアメリカ人です。(多分)
イタリア系のなんちゃら、とかそういうのはあるんですけどね。
アメリカで「ニューエイジ」という思想が流行して、「自由な生き方」を提唱していた中で「潜在意識の力」という種類の思想も広まり、「願望実現」というカテゴリーの「引き寄せの法則」という思想がメンター達によって浸透していったのです。
ですが
今廃れていっている、ということは「一過性の流行もの」だったという可能性も否定できないのです。
普遍的なものは普遍的だから、なのです。
ということは
「叶わない人の方がたくさんいて、インチキだ、ということで終わった」
感じは否めないのです。
何度も言いますが引き寄せの法則の元祖である、ウイリアム・w・アトキンソン氏は「理想の相手と結婚」だとか「億万長者になる」とかいう我欲丸出しのギラギラした願望が叶うという事を言っていたわけではなく、
「人混みで押されるのが嫌」とか「デパートで店員に無下にされるのは嫌」とかそういう普通の生活の中のちょっと「イライラする」出来事の対処のための「メンタル強化方法」を提唱していたのです。
つ☕カフェオレ、❤ハートのコーヒーアート付き。
税金高いだの、物価上昇だの、そういう事で騒ぐような層が「願望実現の為に億万長者になる」といくらアファメーションをしても不可能」だと自分は思います。
ですがお金は物質であるので、「意中の男性と付き合って結婚」というよりかは、まだ手に入る率が高いのです。
というのはお金(物質)には「感情がない」から、なのです。
人間も生き物も物質なのですが、動物は動き回りますので、確定性に弱いという所があります。
ですが一度決めるとずっと「慣性の法則」が働くのです。
そこを目指すのも手なのですが、ここでは物質にフォーカスしたいと思います。
物質というのは、「車のような鉄の塊」であり、「お金そのものはただの紙」ですので、本気で思えば物質だから手に入れる事は可能である事が多いのです。
恋愛で困っている方はまずそちらから手に入れて、段階を踏む、という方がいいのかもしれません。
億万長者にはなれなくても、「家から数万円のへそくりが出てくる」現象は普通にあると思います。
自分のレベル以上の結果は出ないという思い切りも必要です。
で
引き寄せの法則、とか言い方が少しドラマチックなのも良くないのです。
まるで「今まで手に入らなかった理想の対象物を法則によって手に入れる事ができる」
みたいな風に思ってしまうのですが、
実際は廃れた、
という事はみんな失敗に終わっているって事ですからね。
やって3年。
石の上にも三年
自分はそう思っています。
そこで何も変わらなければ「コンコルド効果」と同じです。
人間の集中力はやって3年くらいだと思うからです。
恋愛もそう言われます。
結果が出ないのであれば流石に相性が合わないのです。
3年節約生活をすれば、かなりお金が貯まる年数です。
行きたかった外国に行き、人生観を変える事も出来たのかもしれません。
勉強でも3年あればかなり深い理解にはなっていると思います。
要は自分磨きが沢山出来た、と言いたいのです。
自分もがきではないですよ?
自分もがきをしている人は甘え。
真剣にやればやるほど、諦めるときはサッパリします。
やるだけの事をやった上で結果が出なかったという事実は恥ずかしい事ではありません。
だって自分がそうしたかったのですから。
しょうがないものはしょうがないのです。
でも
本気で頑張ったのなら、それもとても素敵な人生ではありませんか。
人生を創るのは相手ではなくて自分ですからね。
自分が満足感があるかどうかですから。
自分が「自分は本当に一生懸命頑張った」という満足感があるのかないのかで、人生の過ごし方は決まると思います。
そこにはただ「自分が頑張った事」しか経験として積み重ねる事はできないのです。
自分の人生なのですから、満足したいですよね。
それは「成功とか失敗とか結果はどうでもいい」くらいになっているのです。
だってそれをやってるだけで「自分は幸せであった」のです。
それは「生きる意味」であったのです。
人生って「本当は喜びで溢れている」んですよね。
(;_;)ちょっと自分で言って感動してる。
「人との競争にこだわっている人は引き寄せの法則を理解しているとは言えない」
と自分は思います。(_ _)
よくよく考えれば三年という区切り方は「人間の仕組みというか納得度」には適していると思うのです。
嫌な職場でも三年もすれば、慣れるか本当に向いていないのかが明確になりますし、何かに没頭して三年経てば大体の事は結果が見えて来たりするのもこのくらいの期間は必要です。
三年考えて出した答えは罪悪感もありませんし。
昔の人はすごいなー。
自分の事ですが、
自分はもう若くないですから、失敗は出来ないのです。
確実にいきます。
(_ _)
(_ _)
:D
みなさんに幸あれ〜〜〜〜〜。
🌹