あなたが詩を買いたり、絵を描いたり、そして話したりすることによって、他の人が学ぶ小さな窓がたくさんできます。
それを覚えておいてください。
憶えておいてほしいのは、奉仕というものは奴隷になることではないんです。
自分も楽しんでいいんです。
人は複雑にしてしまいがちなのです。
色々な価値観があることを認めるのは悪い事ではありませんが、音楽にもたくさんの種類があって、楽器もあって、「音楽♬」そのものを全部制覇するというのは、余程のオタクでない限り、不可能だと思います。
ポップが好きな人もいれば、クラシックが好きな人もいます。
国内の音楽で満足出来る人もいますし、外国の音楽を求めて積極的に探す人もいます。
どちらもお好きな方に。
で
自分が好きであるものであればあるほど、世の中にそれを貢献出来ているというなんと理にかなったものでしょうか、と。
食べ物で言えば好きなモノだけ食べてれば栄養がとれるのでは、と。
自分は納豆が苦手で食べようと思わないのですが、納豆の栄養素を好きな食品で取る事も出来て、別に納豆を食べる必要がないという事ですよね。
美味しいと思える栄養のある食物を取った方が自分の為には良い事だと。
🍚
悩みとか、苦しみというのは多分ですが、
「世の中の規則通りに自分を当てはめてそれに苦しんでいる」というだけなのではないかと。
「スポーツ選手とははこういうものだ」
「婚活はこうでなければ」
「親はこうあるべき」
「店員の態度はこうするのが普通だ」
などと、自分も相手も世間も社会も国もみんながみんな「こうあるべきだ」にこだわりを持っているのです。
でもそれに乗っからなくても本当はよくて。
自分が本当にやりたいと思う事をすればいいのです。別に子無しであろうが、結婚しなかろうが人の勝手ってやつですね。
その方がいい、ということです。
それが自分がワクワクするのなら、なのですが。
やっぱり、ワクワクしない事をするのは良くないのです。
それは何故かというと、嫌なチャンネルと自分を合わせてしまいますから。でもそれしか選択出来なかったのでしょうか?
そもそも学校だとか、会社だとか、大人も子供もストレスだらけであるわけですよ。
それは先人達が作ってくれた社会ではあるのですが、ストレスがなくてフリーな人もいないというわけではありません。
まあそれは置いておいて。
🍢今日はカレー鍋のおでんだよ。
カレーうどんの元をおでんの元ではなく、入れてみました✩
スープはご飯にかけると美味しいかもしれません。白いご飯じゃないけど😊
チャーハンのもと混ぜたおにぎりを握って出しましたこんなもんですよ。うちは。
(*ノω・*)テヘ
で
何でも簡単にやっていいそうです。
苦労はしたくなくてもしますからね。
聖書にも同じような箇所があって
マザーテレサのインドの「死を待つ家」で、浮浪者たちを面倒見るのは何故か?と聞かれた時に、うろ覚えで申し訳ないのですが自分流に言わせていただきますが
「浮浪者は毎日が苦しいんだから優しくしてあげてもいい。神様は平等にみんなを愛しているんだから、私達がせめてここでは甘やかすくらいはいいではないですか。」
というような事を言っていました。確かに浮浪者を甘やかしたら自分の食い分が無くなってしまうというわけではないし元気になれなくて死ぬだけの人々に最後の尊厳を与えてもいいとは思います。
自分に甘いという人がいますが、厳しくしてもしなくても現実は厳しいのです。
食べたいのなら勝手に持ってくのではなくお金を支払わないといけませんし、家がなければ住所不定になってしまいます。
住所不定になると、まあ居場所がなくなりますから、最後はなりふり構わずに犯罪に走ってしまう人もいるでしょう。
そういう場合の安全の為の「世間のルールに沿う」というのはワクワクするわけではありませんが、「安心出来る」という事が心を落ち着かせる為には必要不可欠な事であります。
今も住所がなく不安で過ごされている人々の為に祈る事しか出来ませんが。
🙏
何があったのか知らないけど、お気の毒。でも死んだ方が良くない?だって誰も助けてくれないではありませんか。
そこまでして生き延びたいものなの。🤔
過去世かなんかで大罪したっていう事?
この世の中は現実という現実を受け入れていく事であります。
頑張れば報われる世の中でもないのです。努力は必要なんですけどね。
結果を出すか出さないかのシビアなゲームでもあるのです。
今ここでは
「結果が全てではない」
という思想は省いています。混乱してしまうので、その時、その時の、臨機応変な柔軟性がないと対応出来ませんから、今回は、「努力をすれば結果が出る」という考えではないです。
言い方や状況によっては
「ただ現実が見れずに負けを認められない人」
として映ってしまう事もありえるのです。
自分が勝ち負けにこだわらなくなってきているので、他人と競り合って負けたくないという考えはちょっとわかりません。自分の権利だけは主張していくタイプです✩
勝負師の場合はそれが仕事なので省きます。仕事は別の話しですね✩
で
「努力をすれば必ず報われる」
は、別にいいと思います。
「そう思えばそうなる」、というのが引き寄せの法則なのです。間違えではないし、テストであれば丸を貰える所です。
ただ
「努力をすれば結果が出る」
というわけではないでしょう。
それは条件であるからです。
因果関係も相手に必ず返って来るわけではなく、行き先が親であったり、子供であったり、会社であったり、自分の意図とは検討もつかない場所でそれが起こるのです。
プラスの面でいうと雑誌を買う時に、いちいち「ここで」、と使命するでしょうか?
場所はどこでもいいですよね。
駅の売店であろうが、コンビニであろうが、アマゾンであろうが。
その雑誌が手に入る方法は一つではないのです。
これは、婚活にも言えて
「相手を限定しない」というのが叶う率が上がる方法です。
「ない」人ほどこだわるのですが、それを手に入れても「何か気に入らない」と言って売ってしまったという人もいます。(ここでは本としましょう)
「失敗しないようにえり好みしたのに、結局手に入れたモノも気に入らなくて手放す」わけです。
自分はそういう人を見たので、こだわって厳選している人が偉いとは思っていないのです。(自分語り)
ですが
「頑張ったけど、報われなかった」
という経験は絶対にしないといけないです。
それは私達が自分で何とかならないという事を経験してみてわかる事もあり、人生においてとてつもない敗北感を感じなければ成長出来ないからです。
ですので
挫折というのは、とても大事な経験であるのです。
その時は敗北感しかないと思いますがその経験が自分を作ってくれますから。
「敗北する」、というのは、決して言葉の通りの「敗北ではない」という事に気がつけばいいと思います。
じゃあ何?。
それは
「今後来るチャンスの準備であった経験」
だと思えば(・∀・)イイ!!
これはパズルのようにハマってっから!
🧩パズルは苦手です笑
🧩片付けも苦手です(*ノω・*)テヘ
お前は最高か?位の最強のピースになっているのです。でもそれは「よこしまな考えで言動した場合は効かない」です。本気で取り組んだ時だけです。
そもそも敗北感とかいうのも、ただの言葉の概念、遊びみたいなものです。
確かに競争で敗れたら悔しいでしょうが、実際は人によっては挫折感もレベル1から10まであるわけで、言葉だけでは言い表わせられない、という事です。
でも
敗北感って自分が精一杯頑張っての敗北であるならばむしろ清々しい気持ち気持ちになっているんじゃないでしょうか?
実は自分でも薄々わかっていて、やめられなかった、という人の方が多いような気がします。
でも撤退は英断ですよ。
立派な事です。
恥じることはありません。
自分が本気だったならいいじゃない。
独りよがりだったとしても、それが今度(何年後かわからないけど)に生かされるわけです。
ですので
失敗とか、挫折とか、敗北というのも前向きに取っていくほうが(・∀・)イイ!!
😉
つ☕
今日も寒いですね✩
暖かい国に行きたいな。と。
🌴🌊😊🧃
今日はセーターを着よう。
😊
お体にお気をつけて。
今日も良い日でありますように。
ハブアナイスデイ。
皆様に幸あれ。
🌹
🎁
😊