すべての現実は完璧です。
あなた方は不完全ではないのです。
あなた方が私達の示したエササニというモデルを好むなら、今から始めてください。
そのモデルをあなた方が選んだのですから、選択権はいつでもあなた方にあるのです。
今地球的な規模でエネルギーがその方向に進んでいます。
エササニという惑星にバシャールは住んでいるようですが、ここに書くと「オカルトチック」になってしまうと思い、飛ばしてしまいましたが、飛ばしたとしても、意味がわからなくなるのは良くないと思い、次回に書き込もうと思います。
まずは、最初の二行に注目してみましょう。
「すべての現実が完璧です。あなた方は不完全ではないのです。」
自分の中ではバシャールの言い方が好きです✩
今自分が「あなたは完全です。」と言われても
「そんなの嘘だね。」
とすぐに突っぱねてしまうと思うからです。
英語特有の言い方かもしれませんが、ワンクッション入ってて一旦、「不完全ではない」、と受けさせておいて、
「え、待って、という事は…私って本当は完全って事???????」
そこには空間ができますよね。考える時間というんでしょうか。
という自分自身で冷静に言葉を客観視出来るという、人間の疑い深さを考慮した物の言い方になっているのです。
言葉のテクニックも効いてて頭いいよね。さすが宇宙人だね!
👽️
バシャールが住んでいるエササニも、ひとつのオーバーソウルがあって、地球人の私達と変わらない生活を送っているそうです。
地球では「夢が現実化する為には時間が必要」ですが、「エササニでは一瞬で願いが叶ってしまう」のです。
バシャールが言いますが、もし願いが叶っていないとしたらそれは「愛のために行動をしていない」からだという事です。
だから、私達の言動の動機は「愛ある行動」が、大前提であるのです。
人に意地悪するのやめよう!
そして、
「望んでいる事にエネルギーを注いで、そのように行動するのなら、それはあなたの人生に起こります。」という事です。
エササニは望めば一瞬なのですが、地球では三日から三週間かかるそうです。
願いが叶うと嬉しいですよね。
で
もっと高揚していく、というのは地球でもエササニでも同じで、同じ工程であるのなら、一日でも早く願いが叶った方がいいですよね?
で
何故、私達は(この世界が)完璧なのに、こんなに時間がかかるのか?
or
叶わないのか?
(´-`).。oO
ループになってきた。
ですから
始めから
「エササニに住んでいても地球いに住んでいても私達は完全だったんだ。」
という事。の
事実に気づくわけです。
「あの時の挫折は目覚める為に必要な挫折だったんだよ。」
という事です。
「挫折」という「味わいたくない苦痛」を体験しないと、私達はいつまでもいつまでもぬるま湯の中に入ってそこから出ようとしないからなのです。
それは、ある意味楽な事であるからです。
「だってみんな大変なんだもん。一人でイージーモードになったら、ひがまれちゃうよ。ひがむだけならいいけど相手はワイを潰しにかかるじゃん?」
そう思っているのかいないのか、みんなでぬるま湯の中に入っているのです。
♨️本当は血のお風呂です🔥👿ひひひ。
😱
自分は、ですが、そこにいても良い事がなかったんですよね。
ラッキーならばラッキーくらいの確率しかない世界だと思うのですが、どうでしょうか?
最大公約数であればあるほど、狭まっていきますよね。
家族の嫌いな食べ物を抜かしていくと狭まっていくばかりというね。
🌶️🍅🍐🥒🍉🍎🍓🍍🍇🍖🐟️🥐🍚
バシャールはぬるま湯から出てもいいんですよ?と提案しているのです。
もちろんいたければどうぞ、と。
ぬるま湯から出た世界はどんな世界があると思いますか?
そりゃ
自由で楽しい世界ですよね♫
♫
(*˘︶˘*).。.:*♡
もう一度、いえ、何度も復習しますが、バシャールはこう言っています。
「自分が創りたい方向に人生を創ることができるというパワーを個人が持っていて、自由にそれを使う事ができる。」
のです💕
何回も繰り返してほしいのです。
「ポジティブなことだけをすること。」
「もうネガティブなことをしたくないと気づくこと。」
「それに気づくだけで、カルマの鎖を切る事ができる。」
「カルマというのは、自分が作り出したエネルギーなので、自分が気づいて決断すればそれを変える事ができる。」
ちょっと短くまとめてみました。
要は天使と悪魔が戦う時に天使が勝てば、今までの悪い行いはチャラに出来るという事ですね。
それがほぼ無理である、というのは前提にはあるのですが。人間ですからね。
不良が改心すると、みんな「おおおおおおおおおおお!」というのは、人間は本当に改心するのが難しいからなのです。
大体が罪から逃れる為に反省しているという演技だけですから。また同じ悪さをするものなのです。人間変わらないよ、というのが本当の現実なのでしょう。
よってほぼ無理です。
だけど、
客観的に「出来る出来ない」を抜いて考えてみてください。
「たった一つ、改心すれば全部チャラになる」
という。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のお話のようですね。
ですから、人は九死に一生を得た人などが、その後ガラッと生き方が変わったり運命が変わってしまうという事がある、という事なのです。
それについては関係性があり、自分は聖書の中でも「放蕩息子のたとえ話」が大好きなのです。
人間から見ると最初から真面目な人が報われるのは当たり前なのですが、神様の視点に立ってみてほしいのです。
悪人だった人(弟)が反省して許しをこいて来て、心を入れ替えたら、神様は(お父さん)喜ぶと思いませんか?
だって、悪人が改心したんですよ。
これが自分の息子だった時の父親の気持ちになってみてください。
お父さんは気持ち的に息子に対して異常に愛情をかけるように感じます。
息子が家を出ていって「息子は死んだものと思おう。」という気持ちでお父さんは気持ちで悲しい人生を送っていたら、なんと!改心して息子が家に帰って来たのです。
しかも自分の間違いを認め許しを請いにきたのです。
この状況だけでも涙腺が緩みますよね。
昔であれば息子というのは「家の跡継ぎ」という人物であり、太い柱みたいなものという位置なのです。
家族というのは昔であれば一つの社会でしたので、悪い子でも可愛いかったのではないかと思います。
財産の一つでもあったと思います。
もし自分が父親であっても、この状況は凄く嬉しいと思います。
でも、ずっとお父さんの側にいた真面目なお兄さんは、不服なわけです。
自分は父の言う事を良く聞いていたのに、自由奔放に遊んで帰って来て、悪いやつだったのに、自分と同じような待遇をするのは納得いかない、と。
それでも父はこう言うのです。
「お前は一度も逆らわず真面目に生きてきたからたくさん目に見えないお恵みに恵まれてきたんだよ。お父さんも充分お兄さんを愛してあげたんだよ。と。だけど、弟は家を出て食べるものにも困っただろうし、雨風しのげる住居にも恵まれなかったのだから、充分苦しんできているんだよ」と。
愛(お父さん)から反発して家を出た時から、弟は愛(お父さん)から離れてしまった、という事は「愛が何もない世界で生きてきた」という意味でもあるのです。
家出した人が自ら帰って来たらやっぱり嬉しいと自分は思います。しかも反省して改心してきてるわけです。
「可愛い子には旅をさせよ」、というやつですね。
つまり、
「人間の見方と神様の見方は違うんですよ」、という事です✩
とても良いお話です✩
この「放蕩息子のたとえ話」は「神様とお父さんの偉大さがわかる」お話で、神様の愛と人の愛を同時に学ぶ事が出来るので本当に良いお話だと思います。(母親バージョンもあり。)
言うのはなんですが、被害者だって100パーセント絶対に被害者だというのはあまりないと思うんですよね。
「許す」というのと「愛する事の大きさ」が感動的ですよね。
それも踏まえてもいいお話だと思います。
人は心を入れ替えれば生まれ変わる事が出来るという事です。
アセンションです。
次元上昇です。
😊
つ☕
今日も皆さんが良い日でありますように。
危険な事から私達をお守りください。
皆様に幸あれ(*˘︶˘*).。.:*♡
🌹