今を楽しんでいれば、時間の概念にとらわれる必要はありません。
未来に生きていたりしたのでは、何も見い出せないでしょう。
望むものは今、与えられています。
あれやこれや、心を悩ませないでください。
あなたに必要なものは、永遠の時間の中からあなたを見つけてくれますから心配しないでください。
以前、バシャールが住むエササニの説明の部分を省いたので詳しくお知らせしたいと思っていましたが、エササニの事は番外編でも良いかと思いまして、飛ばして読み進めたいと思います。
欲深い人の「なんとかなる」と謙虚な人の「なんとかなる」は同じ言葉なのですが、違うと思います。
頑張ってもうこれ以上は無理、という所を超えての「なんとかなる」の方が、上手くいくような気がします。何となくですが。
適当の方が上手くいく人もいますし。
😝
極端な話、小学生が老人の悩みを持つ事はないでしょう。
という事は、
「その時、その時の事を一生懸命やっていれば、何とかなる」
という事だと思います。
子どもが小学校に上がる時、色々たくさんの買い物をしますが、ランドセルを購入する時に、同じクラスのお母さんの実家のカバン屋さんで、「年落ちしたランドセル」を半額で購入出来たりして必要な情報はこちらが働きかけなくても向こうからやってきたりしていました。
若い時ってお給料も大してもらえないから、いつもカツカツなんですよね。
そのランドセルは年落ちはしていますが、劣化しているというわけではなく、6年間充分使えましたし、6年生くらいになるとランドセルも持って行かなくていい、みたいな感じになっていました。
まあ、なんだかんだ言って6年間は通いますからね。一度ランドセルの止める部分を千切ってしまったのですが、お直しも無料でしてもらえました。
とても綺麗にお直しをされていて、そこで買って良かったです✩
🎒(・∀・)イイ!!
中学校進学の時では、老夫婦で経営していたお店があり、子供達の制服の購入でお世話になったのですが、その時は二人共もうお年になっていまして、自分の代でお店を閉めるとは言っていました。
そこは子どもたちの学ランの寸法を測って作っている制服専門店で子供たちの学生服のお店でした。
体育服とか、ゼッケンとか。
何度か
何故か買ったものが入っていないのにズボン1枚分余分に請求されていたり、ゼッケンが入っていなかったり、ゼッケンに名前を入れてもらっていなかったり、老夫婦なので、こちらの思ったようなお買い物は出来なかったんですけど、お安く買えるというのも、同級生のお母さんから聞いて教えてもらったのです。
金額とズボンの入れ忘れについては悩みましたが、言えなかったです。
その後もう一度買い直したりしていました。
というのは、入っていなかった、と言ったとしても「入れましたよ」と言われたらどうしよう、と思ってしまったからです。
学校のものって高いですよね。
だけど、その店が学校を卒業するまで保って(もって)くれて良かった〜。
今はネットで注文ですかね?
今はいろんな価値観があるから、みんな同じものを買わなければいけないという事もないかもしれません。
自分だけがラッキーだった、と言いたいわけではなく、本当にタイミングが良くて助かったという事です。
こう言っておかないと、「自分だけ良ければいいのか?」と言い出す人が必ずいるんですよね。
そういうつもりではない、ということはここで述べておきたいです。
例えそこの店がなくても、また同じルートで買える店は出来るはずなのです。
老夫婦のラーメン屋が潰れても、そこにまたラーメン屋は出来るという理論です。
陰キャだとか、メンヘラだとか言われたりする自分ですが、子供たちの運動会の見学や、バザーに遊び及び係りで参加したり、毎年の参観日や、通信簿をもらう時に面接を受けたり、遠足で仲良くしてたママ達と一緒にお弁当を食べたり、送り迎えなどもしたり、朝の黄色の旗振り当番も出ていたり、ママっぽい事はしていました。
部活の送り迎えとか、当番とか。
自分は家にいるので仕事を持ったお母さんよりはだいぶマシだと思います。
その時その時、やっていないようでやっていたりしますよね。
自分も完璧ではなかったけど。
なので若いママを見ると心の中で
「頑張れ」
と思ってしまいます。
態度には出さないのですが。心の中で。
バシャールが言う
「望むものは今与えられます。」
というのは、
「リゾートで寝そべってお酒を飲む」
「マッサージ付きのスパで整う」
というような決まりきったバカンスではないのかもしれません。
自分も完璧ではありませんでした。むしろ出来ていなかったです。
子育てすると思うのは
「出来る事は出来る。出来ない事は出来ない。」
というのを嫌と言うほど思い知らされる、という事です。
子どもと自分との葛藤で6時間くらい必死に祈っていた時もありました。
お母さんになったからと言って全てが完璧になるわけではないのです。
数学が出来ない人がお母さんになれば出来るようになるか?と言えば「NO」ですよね。
つまり、弱点は克服出来ていないわけです。
で
つき詰まると
ビートルズの「レット・イット・ビー」を聞きながら泣いてたり。
子供達も反抗期がありましたが、自分を責めたりして辛かったです。
売り言葉に買い言葉みたいな事もしょっちゅうありました。
ジョンレノンの「イマジン」も聞いてたなあ。
結婚してもみんながマウント合戦で、心底疲れた時もあって、聞いていました。
世間の冷たさは結婚すると身に沁みますよね。
ありえないくらいに冷たいって思います。
「イマジン」何故か心に染みて来ました。
こういう世界になったら楽しいだろうな、と。
引き寄せの法則に興味を持ったのもこの頃です。
心底心が疲れてしまったので、宗教にも興味を持ちました。
自然の多い土地に引っ越して住み始めてから価値観も変わっていったかもしれません。
近くに川があって。
川のお水が夏でも凄く冷たいんですよね。
鮎釣りの人々が来て釣りをしたりしているのを見たり、川の歩道を散歩したりしていますと、スピリチュアル的に言いますと自分は「覚醒」してしまったのです。
自分が川で学んだ事は「人を許す事」です。
まさに「水に流す」という事です。
川の流れを見ていると「水に流す」という事が心から腑に落ちてきたのです。
自分はある事でモヤモヤしていましたが、川と親しんでいたらその人を許す事が出来たのです。
お菓子外しの人かな?
繋げて、例えば、人の経済力に嫉妬される、とか容姿に嫉妬する、とかそういう事になるから人に言わないほうがいい、という説が今は主流になってきています。
それは自分の権利を守る為だと。
確かに確かに、自慢するつもりではなかったけど「持たざらない人々の嫉妬」で意地悪をされた事が自分は結構あります。
何の気なしなく、ちょっとくらいいいじゃない、って思いますけどね。
٩(๑`^´๑)۶
「これ、つまらないものですが。」
と言ってお土産を差し出すみたいな日本人的な奥ゆかしさも良いとは思うけど、
「これ、美味しそうだったからどうぞ。」
って言いたいものですけどね。
でも、自分も「つまらないもので申し訳ない。」とか「すいません。ぺこぺこ。」という風になってしまいます。
あはははは。
🤔
バシャールの話に戻りますが、このように心配しなくても、その時その時に答えを与えられる、という事はあるのかもしれません。
ですから
「出来るのであれば、安心して宇宙に身を任せて委ねてみる。」
という、まあ、理想的ではありますがそういう風に宇宙を信頼していくといいのかと思います✩
まあ、なんとかなるよ、と軽く考えていたらいいかと思います。
😉
つ☕
皆さんが宇宙とつながり神秘的な体験をする事が出来ますように。
😊
皆さんに幸せが訪れますように。
皆様に幸あれ🌹
🌹
💕