今、前だとか後だとか言っていますが、時間というものは、イリュージョン「まぼろし」です。
すべての宇宙は、現在存在します。
ビッグバンというのもひとつの形から次の形に移るプロセスです。
みなさんは時間という概念を使っていますけど、そのビッグバンの前にあったものは、また違う形の宇宙です。
「リニア」直線的なものではなくて、多次元な事件ですね。
時間の概念は未だに自分もわかっていません。
自分の説明が正しいのかわかりませんが、
「地球は人の数だけあって、その人々がその独自の地球の平行移動をしているだけである。」
という所までは自分がわかったパラレルワールドであります。
アップ&ダウンですよね。
例えば、日本に住んでる自分もいれば、アメリカに住んでいる自分もいるのです。
Aコースの人生を歩いている自分もいるし、BコースやCやDやEコースを生きている自分もいるのです。
自分の中学校時代は13クラスあったのです。
で
校舎に入らないので2クラスは3年生の塔にいたり、授業の数と先生が足りずに、3年生の教科担任に授業を教えてもらっていたりしました。
学年で500人くらいいたんですよね・・・・・・もっとかな。530人くらいはいました。
ちょうど母が「高度経済成長期」の落とし子であり、その娘が自分というわけです。
🏫学校だよ。
で、クラスで1列に並んでいたように、1組2組3組、と40人くらい後ろに並んでいる、
1組2組3組の自分がいて、40通りのバージョンがあるのです。40人というのは、整列している自分、という事だとしてください。
40通り以上の続いた平行線宇宙がある、という事です。
本当は40人どころではなく、ずっと後ろに自分が整列して立ってるのです。
たくさん勉強すればするほど上位に行けます。
反対に何もせずに試験を受ければ良い点は取れません。
まあでも、ビリが一番を取る事は不可能でしょう。
理論上は出来ると言いますけども。
実力や、地頭、勉強時間、環境、運命なども要素には関わって来ますから。
市内になると、もっと沢山の同級生がいます。
パラレルワールドの説明で言いますと、同じ高校になれば会えるかもしれないし会えない人もいるかもしれないのです。
高校で知らなかった隣近所の同級生と仲良くなったり、高校生からヤンキーになるって人もいますよね。
波動が上がったのか下がったのかわからんです。
楽しいならいいんじゃないのかな(適当)
そして生まれ育った街を出ていく人もいます。社会人になってもっと沢山の人々に会っていきます。
ドラマですね。(・_・)
そして私達は大人になり、仕事をしたりしますが、その中でも嫌いな人がのさばってるわけです。どこにもいますよね。
今の地球(時間枠)嫌いな人がいる現実は、自分が手放せばそれはなくなるのです。(理論上の話です。)
普通は泣き寝入りして学校を辞めたり職場を辞めたりするわけですが。それでもされた側はずっとされた事を忘れる事はないですよね。
世の中の不条理を引き受けた感は異常・・・・・・
ですが
こう思ってください。嫌な出来事が降り掛かって来たら、
「これで厄落としが出来た」
と。
😊
つ🍵
(・∀・)
そう思わないとやってられませんよね。
ですが、なぜ人はそれをしないのか?というと、
「そいつにリベンジしたいから」
なのです。
復習や・・・・・
素で間違えてた、復讐です。
(*ノω・*)テヘ
かたきを討つ、と言いますが、悔しい思いをしたのなら、仕返ししたい、やり返したい、と思うのが人間なのです。
🤔
なので、なかなか、忘れる事が出来ずに「自分を傷つけたそいつ」にこだわり続けてしまうのです。
というのは
ズルいやり方で得をしてたり「相手が自分より立場が強い」とか「アドバンテージがある」など、自分が不利な立場での侮辱であるのなら、人の心に「復讐心」が起こってもおかしくはないからです。
人間というのは悲しい生き物なんだね・・・・・・・・・
自分も復讐というか、人生の中で幾人か賠償を求めたい人はいます。パット見、ズルい人が利益を得ているかのように見えますしね。
そうだ、一緒に藁人形に釘刺そう!
レッツ、ネイル、イット!
🎎⚒️🌲コンコンコンコンコンコンコン・・・・・・
要は、藁人形は「身代わり」なのです。(自分の感想です。)
本当に相手を殺ったわけではありませんので、罪にも問われないわけです。
いちいち藁人形に頼る人が怖いとか、呪えば自分も呪われるというのは自分は違うと思います。
「呪うような事をする人の方が悪い」というのが、自分の理論です✩😝
呪ってスッキリする事が一番の利点であり、「呪い自体」に犯罪性はない、と思います。
ですので藁人形の呪いは「結果を出す」というよりかは「執着心を捨てる」という事に意義があると自分は思います。
憎しみの「念」は飛びますし実際に力はあるのですが。
いじめって、本当に嫌いな人は言えないと思います。ハラスメントは特に。加害者はわからないようにやってきますからね・・・・・・・・・
で、皆とは上手くやっていたりするので余計に出来ないですよね。
ドラマみたいに「白か黒か」の世界ではない、という。
現実はまあ普通に理不尽ですよね・・・・・・
ですが
「憎んでも仕方がないよ」という理論は
「満足しているバージョンの自分」と「不満だらけのバージョンの自分」とでは、1組と2組くらいに違いが出てきてしまうからだと思います。
プラス思考の人とマイナス思考の人は、同じ出来事があってもプラスに捉えられるか、マイナスに捉えられるかの差が結果に現れてしまう、という事です。
自由は尊重されるべきだと自分は思いますので、どう捉えようがいいと思います。
憎みたいのなら思い切り憎むべき。
ですが
プラス思考になれば、プラスの結果になる、という事であれば、プラス思考をした方が得するわけです。
だったら、プラス思考になった方がいいんですよね。
ずっと憎んでいるより、忘れちゃった方がいいんです。それこそ、被害にあった命があるだけまし(プラス思考)、くらいに想うこと!です。
生きてればなんとかなりますから😊
つ☕
過去の事をずっと根に持ってる人もおられるかもしれませんが、憎むのにもエネルギーを使っているのです。
結局根に持つ人の方が損を食らっているのです。
ですので、憎しみにエネルギーを使って人生の時間を消耗するよりかは、それが起こらないように祈りに時間を使った方がいいのです。
つまり
「許す」「忘れる」
という事です。
損得勘定で感情抜きで。
憎しみは自分も酷い事をされればそういう風に憎しみに囚われてしまう事もあります。
自分もそうですので・・・・・
ですが宇宙の時間の概念では「忘れたり、なかった事にしただけで事柄がラッキーな事に変わるというマジックがある」わけです。
例えば、飛行機に乗り遅れたとしてその飛行機に乗れなかったとします。
でも、文句を言うか、他の場所に変えるかで(電車を使うなどして)目的地が変わっても、マイナスな出来事はプラスに変わっていく、という理屈です。
捉え方が大事だよ、という事です。
自分のプライドは高く持つべきだと思いますが、「悪因縁のカルマだ」と諦めてしまい、他の事に目を向けるというのも、ひとつの手である、と自分は述べたいと思います。こだわるのもむしろマイナスになっていく事もあるでしょう。こだわりというのはその人の持ってる硬い部分だと思いますけど。
上手くいく時はどうやっても上手くいくものだし、上手くいかない時は何をしても上手くいかないです。
悲しい事は悲しい事でいいし、泣いててもいいのです。
ですけど、ずっと泣いていたらいつか涙は乾いてきます。
悲しい時は自分にだけは隠さない方がいいのです。日常の中ではなかった事にしているのでしょうが。
本当に忘れてしまうものですので、悲しい気持ちは感じきってほしいと思います。
そして悲しみを超えて行ってほしいと思います。悲しみに留まらない方がいいと思います。
😊
今日も皆さんが幸せでありますように。
皆様に幸あれ🌹🌹🌹🌹
🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹