波動が自然に合わなくて、別の道を歩むということは否定的なものではありません。
本当に自分自身で相手に付き合うとき、自分自身を相手に与えることができます。
どんな時でも正直に生きてく方が最先端に進めると。
好きだったけど、相手の嫌な所が目についてしまってどうしても許せない、と思う時が自分にはあるのですが、自分とタイプが違っていた場合、どうしても歩み寄る事は難しいと思います。
自分も初対面の時や会うにつれて避けられたりします。
それは彼ら彼女らが「何かこの人と合わない」と思うから避けるのだと思います。
なので自分はそういう風な態度を変えない場合、自分から話しかける事はないです。
自分の場合も第一印象が悪かった人は急に気が変わって好きになった、という事はちょっと経験した事があまりありません。
唯一近所の方が覆してくれましたが、占いもして、対策をしてたのです。
友達が多いほうがいいのか?という問いについては、人それぞれでいいと思います。
自分も子供の時から選ばれる側だったし、裏切られたような人には距離を置いたりしてきました。
別れてしまう時は本当に別れてしまうものです。
自分の場合なのですが、自分を故意ではなくても無下にされたら嫌になります。
出来ればそうならないように最善の努力はするとは思いますが、自分の気持ちでどんなに頑張っても相手が変わるような気配がないのなら、諦めるのも手だと思います。
出会いとか別れにいちいち重く悩まなくてもいいと思います。
別れは確かに悲しいと思いますが・・・・・・・・
でもしょうがないですよね。
辛い事は時間が経てば忘れられると思います。
ですが
振られても何でも別れるまでは「いつでも自分に正直に相手にぶつかっていくべき」だと思います。
バシャールも言っていますが、「本当に自分自身で相手に向き合うとき、自分自身を相手に与えることができる」と。
相手に与えるというのはすなわち「愛情」だと思います。
「愛情」であるにも関わらず、「相手への不満」「相手に文句を言う」など、愛情を与えなければ、二人の関係は上手くいかなくなると思います。
輸血もそうなのですが、愛してるから自分の体の一部を与えられるわけです。
輸血したいくらいに大好きな人といっしょにいたいですよね。
😉
つ☕
自分自身でいる事が最大の愛の表現である、と自分は思います。
だから
もっと個性出してこ。
😊
というのは、自分自身でいる事が一番波動が高いよ?という事です。
何者かになる必要はなく、素のままでいるのが一番いいのです。
もし、相手が「ここはこうした方がいいよ。」と、自分を否定してきたのならそれは「愛ではない」と思います。
「こうなってほしい、ああなってほしい。」というのは、欲望です。
つまり愛ではない、と思います。
かといって、マザーテレサのような聖人がこの世にいるとは思えませんので、そこそこに出来ていればいいんじゃないかと。
バシャールも「自分にも他人にも厳しくしないでください。」と言っています。
もし、波動が合わなくなって別の道を歩む事になっても、大丈夫なのです。
なぜならば「宇宙は無限」だからです!(๑•̀ㅂ•́)و✧
「大丈夫」
「出会う時間はいくらでもある。」
「出会いはいくらでも生み出せる」
と思えば思った分だけそういう現実を創り出す事が出来るのです。
これは人間が持っている能力であり、特別な事ではないのです。
で
別れ、というのも、必要なプロセスを終えた最後の段階みたいです。
👽️
サンキューバシャール。
ですので、相手が「無理だ」と言ったのなら無理なのです。
焼き切った紙もススになるだけで元には戻らないのです。
思い出は美化されるものですが、それはいつもいつも不満ばかりだったからです。
だから相手は逃げてしまったのです。
来る者拒まず去る者追わず
です。
出会いと別れはどうにもならないですよ・・・・・・・
自分も嫌われてまでも一緒にいたいとは思わないです。
それならば孤独になってもいいから良い出会いを探そうと思います。
こだわっている事が後から見るとバカバカしくなりますよ・・・・・・・・
自分にも原因はあったと思いますが、それを言っても始まりません。
それは幻想だった、ひとときの夢だったのです。
浦島太郎の話です。
竜宮城で遊んだ事をいつまでも忘れられないのです。
でも
私達は「今を生きる生き物」です。
今を見て生きていきたいですね♪
今日も無事でいてくだい。
皆様が幸せになりますように。
😊
皆さんに幸あれ🌹
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