人生は本当は単純で簡単なものであるということを受け入れることに努力をしてください。
あなた方は本当に単純であることを、難しく考えてきました。
お寺に入口の一言書いてある文章って見ちゃいませんか?
(^^)
つ☕
黒板みたいに毎月名言が変わるそれは「お寺掲示板」という名前なようです。
黒板に書かれている文章は上でもなく下でもなく庇う(かばう)わけでもなく、貶す(けなす)事もせず、ほど良い文章で、自分は癒やされ心が落ち着きます。
自分も含めますが、説得というのは誰かを責める方向に行きやすいのです。
というのは「正しいのは自分だ。」という自分軸というものを基本的に持っているからなのです。それは正しくないと愛されないと思っているからなのです。
「本当はあっちが悪でこっちの方が良い人(だから振り向いて)」と。
ですが、どんなに良い人であってもそれが苦痛である人もいて、波動の同調である波長の法則が働くわけです。
正しい人が皆に好かれるわけではありません。
イエス・キリストにも「パリサイ派」というアンチ集団がいました。
最終的に言葉尻を捉えられ、イエス・キリストは十字架にかけられてしまいます。
なので、良い人過ぎても反感を買うものだと自分は思っています。
ちなみに、何の感情もないのなら別にあれこれ言う必要はないわけです。
それでもイエス・キリストの事をなじるような言い方をする人が何人かいるのですが、自分は単に「前世も反キリスト派」であったんだなあ、と思うだけです。
反キリスト派なので言いたい事を結構言うのです。でも自分はそれはそれだと思っています。悪く言うという事は相当憎んでいるわけです。
それは前世にも大きく絡んできているのです。
単に自分がキリスト教の人々に酷い仕打ちを受けたりした人も少なくはないのです。
ちなみに前世で修道院にいた仲間をネット上でも見ますが、表立って言う事もないけれど味方になってくれたりします。
男性の修道者の場合は淫らな女性を好まなかったりもします。これは前世の名残りなのです。
基本男性には淫らな女性を好まない人が多いのですが宗派によっては女性との関係の罪が非常に重かったという歴史もありました。
姦淫(かんいん)の罪は罰が激しいし、修道者は基本的に清貧が美徳とされているので、今世も地味に質素だったりします。(笑)
ですが、そういう人は福音にあるように死ぬまで道を外れずに生きていけるのです。
淫らな女性が何故こんなに禁止されていたのか、は、「最後は簡単に裏切る存在である」からなのです。
男性社会では恐怖の存在ではあったわけですね。
本人は裏切るという自覚すらないのですけど。
仲間の女性に手を出すような事はフランスのような性に奔放的な国でも兄弟の間や親子の間の縁を切ったりしていますよね。
たかだか女性だという事はなく、「殺す」までするのが向こうの人々です。
白人の方が怒らせたら怖いのです。怖いってものじゃないくらいに怖いのです。
白人の事は自分もよくわからないのですが、どの霊媒師さんも白人の魂は強いと言いますよね。
女性もジャンヌ・ダルクではありませんが、フェミニストは白人の方が多い気がします。
白人文化というのは、日本の江戸時代の浮気し放題のお気楽な文化ではない、と自分は思います。日本のフェミニストなんて可愛いものです。
(。ŏ﹏ŏ)
複雑にしているのは自分達なのです。
成功者というのは、スポーツ選手もそうなのかもしれませんが一筋に頑張るから結果が出るんですよね。
(リーグ戦は努力の問題ではないかもしれません。)
(選手になる前の練習の事です。)
選手になれなかった人々は「挫折」という事にはなるのかもしれませんが、「自分は努力が足りなかったから選手になれなかったんだ。(/_;)」と言って悲劇に浸からなくてもいいと思います。
自分の解釈で申し訳ありませんが、例えば、サッカー選手になれなかった人がいて、「挫折」をしたんだけど、「夢に向かって頑張った事はいい経験にはなった」はずです。
自分の子供が将来関係者になるかもしれないし、それが無理でも地元のサッカークラブのコーチになったり自分が未来世で女性に生まれ変わった時に結婚の御縁がある糸が出来るかもしれません。
本気で追いかけて駄目だったとしてもいつか必ず幸せな事がやってきますから、毎日毎日を一生懸命頑張ればいいと思います。
そういう意味で「今世では駄目だったけど来世には叶う」という希望はあるでしょう。
マリア様みたいな人と結婚したいと思えば来世はそうなる、みたいな。
( ^^) _U~~
要は、一生懸命でもイージーでもめちゃくちゃ簡単で単純なのが宇宙ですよ、という事です。
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苦しみ物語は「構ってちゃん」なのです。何故か周りも巻き込まれたりして。(笑)
堕ちちゃった人というのは、金銭的に一時期だけ助けてもそういう人なのですから、もし親切にしてあげてもそれを「恩をあだで返す」くらいな事になると思います。
貧困の人に施しをする、というのも美談なのですが、養子に向かえた子供が保険金目当てで殺人をする例もあるのです。現実にもあったみたいです。ろくでもないですよね。
更に面倒を見てもらっていながら不満を言い出すのも「恩を仇で返す民」がよくやる事です。
ネット民で「高齢独身弱者男性」という人(個人的です)がいましたが、生きてて意味あるの?って思ってしまいました。そういう人もいるんですよね。世の中は広い・・・・・・・・・・・
物語ではひとつの親切がその人の人生を変えたという事はよくありますが、生身の人間の体感では「もっとほしい」にすり替わってしまうのです。「高齢独身低収入気弱だけど性欲だけは人一倍でプライドは人の二倍あった弱者男性(個人的です)」みたい・・・・・・
貧困の国の施しは自分は本当に混乱するのです。自分がその立場に(両方立ったとしても)どういう振る舞いが正しいのかがわからないのです。野良猫に餌をあげてはいけない、というのも・・・・・・・
自分はあげちゃう方なので・・・・・・・・
人に親切にするのは基本そうなのですが、自分を見失ってまでやる事ではない、という事ですよね。
やればやるほど相手が怠けていく、というパターンになったら・・・・・・・
それは悲惨でしかありません。美しくないと思いますし、むしろ相手を駄目にしている、まであります。
寄りかかるのではなく、支え合うような関係の方がいいと思います。
駄目なやつほど相手を利用しようとするような気がします。
┐(´д`)┌ヤレヤレ
お気をつけてくださいませ(_ _)
(^O^)/
今日も皆さんが良い日でありますように。
皆様に幸あれ🌹🌹
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