あなた方の星の中に犯罪というのがあるのは、自分の中にある力というものを自分で信じていないからです。
自分の創造力を信じていない、からです。
自分の創造性というものを信じていない、知らないからです。
自分自身の中に力がないと思っているので、自分の回りをコントロールすることによって、自分が救われると思っているのです。
でも本当は自分の中をコントロールすることによって、本当の幸せが訪れるのです。
今日の文章は自分が言いたい事です。
人々は、「人より自分の方が得をしたい」という欲を持っています。
それは、さかのぼると「アインとカベル」の話になります。
カインお兄さんが神様の貢物の「土のみのり」、アベル弟が「超えた初子羊」を贈った時に、神様がアベルの子羊だけを受け入れたので、カインが嫉妬し、アベルがカインを殺してしまった、という旧約聖書お話なのですが、これが人類初の殺人であったという事でもあるのです。
※AIから
この話の要点は「神様が受け取ったのはその人の真心である」という事です。
カインとアベルは「アダムとイブの息子たち」です。
で
神様は、「自分の大事な物を神に捧げたアベル」の対して「神様に大した捧げ物を捧げなかったカイン」を見抜き、適当な捧げ物を贈ったカインの捧げ物よりアベルの子羊を喜んだので、カインが失望し、嫉妬から最終的にアベルを殺してしまい、「アベルがどこに行ったのか知らない」と嘘を言うのです。
(。ŏ﹏ŏ)
捧げ物をする時に適当に贈ったか、心を込めて贈ったか、別れる所ですね😉
人々も「適当にお祝いしておけばいい」とないがしろにされるよりも、「真剣に考えて贈りたい」と思う気持ちで贈ってくれた人の方が嬉しいと思います。
人には気持ちを踏みにじる人もいますけどね😉
「心がこもった贈り物」というのは、エネルギーが高いのです。
何故ならばそこには「愛情」が込められているからです。
適当な贈り物には「一番良いものではないというエネルギー」が伝わってきてしまうのです。
けれど、贈り物を受け入れられなかったカインはプライドを傷つけられたので、激しい怒りを表しアベルの殺害にまで至ります。
ここでは、「物」ではなく「心」が重視されています。
話しの中では、アベルは羊の中から一番価値がある最上の初子を捧げた、という事みたいです。
取引にしてしまう人もいますからね。
家を立てる時に必ず「人柱」が必要である。
と言われますが、今はAIによってその根拠を否定されています。
ですが、自分が瞑想をした時に感じた事は、
「その土地を自分の物にするという事は大きいエネルギーが必要であって、それは土地の神様への捧げ物に匹敵するほどの物質がエネルギーとして必要不可欠であるから」
というような感じでした。
早い話が「バッグを買うからお金を払う」という理論です😉
要は土地の神様との契約みたいなものです。
根拠はないと今は言われていますが、家を建てたら不幸になったという人々はたくさんいるのです。
事故にあったり、病気になったり、人が死んだり。
家を手放す人もいます。
家を買ったら終了というわけではないのです。
自分も「何故土地を自分のものにしたら身内が死んでいくのか?」とは思うんですけど、「自分のものにするという事に匹敵するくらいの犠牲が必要であり、それによってバランスが取れる」という事らしいです。自分の瞑想の答えなので、それが万能だとは言えないのですが、個人的にそう思います。
土地の神様の事は正直自分もわかりませんが、カインとアベルの話しのように、「土地を買ったのだから何をしても自分達の自由だ」という態度より、「ここに住まわせてもらっているのはありがたい」と思っていた方が「悪い事が起きない」という事だと思います。
それは、地域の人々と喧嘩をしないとか、ルールは守るとか、家族仲良くするという事が間接的に「感謝を示している行為」であると自分は思います。
別荘を建ててたまに行くくらいのお金持ちがいたとします。
こういう場合、地域の住民に何故か良く思われないのです。
住んでいるわけではないので、地域で決められた掃除や行事に参加しないし、管理もしないので、雑草が生えてしまい、行き届かないという事があって、別荘を建ててあまり遊びに来ないというのも良く思われなかったりします。
そうすると、別荘に遊びに行ってるはずなのに楽しくないというエネルギーになってしまい、結局手放すことになってしまうのです。
頻繁に遊びに来る人はまた別の話しです☆
まあとにかく近隣住民の評判というか、そういう人の目によって別荘が快適かそうでないかが、決まってくると言っても過言ではないと思います。
自分はそんなに財産を持っているわけではないので・・・・・・・
ハワイに別荘を立てたりコンドミニアムを購入するお金もちな人はいますけど、ハワイが好きだから購入して何度も遊びに行くわけですので、リゾート地の外国のコンドミニアムや別荘というのは、日本での別荘事情や日本の陰険なご近所問題とはなんか違う感じがしますが。
外国人同士というのは、お互いの価値観が違う為に接点がないので喧嘩が起こりにくいのではないかと思います。
が
日本人の場合、ゴミを溜め込んでいるとかアパートだろうが別荘だろうが同じ価値観を強要してくるので、事務所を作るときや、別荘を購入する時も近隣住民に媚を売らなければいけないかもしれません。
まあ・・・・・・・そういう国民性だ、という事です・・・・・・しらんけど。
ですが子供も同じで可愛がると良い子になるのは本当にそうなるのです。
「この子さえいなければ私も働けるのに」と言ってたお母さんは子供が子供病院に通う事になり、入院の家族の付き添いに毎日遠くの病院に通い、何年かして最後は死んでしまったのです。
看病に疲れたのかどうかはわかりませんが、お母さんも亡くなってしまいました。
「そう言うからそうなる」というのは言霊として本当になると思います。
逆に「自分は天才だ」と言い続けていればそうなる、という事でもあります。
バシャールの文章にだいぶ離れてしまいましたが、カインとアベルみたいに「心を込めて贈り物をした人が評価されるのは当たり前」だと自分は思います。
文章の中で「自分は親から愛されなかったから、今惨めに生きているんだ。」という人もいるかもしれませんが、嘆いた所で誰も助けてはくれないのです。
冷たい言い方ですけど、相応に生きていくのが自然なのです。結局惨めさを学ばなれけば「幸せや成功、充実感」がわからないのです。
さみしい時があるから、好きな人が出来るわけです。
つ☕
自分は最近人々の潰し合いが半端ないと感じています。
グローバル化が進むと卑怯な手を使ってでものし上がりたい、征服したいという民族も入って来ますので、ますますカオスな世の中になっていくかもしれませんが、「世の中がどう、ではなく、自分はどういう風な生き方をしたいのか?」に焦点を合わせていただきたいものです。
アフリカで飢えているのは私たちの国のせいではありません。
日本は日本の苦労があります。
アフリカの国の人が日本の細かい決め事がきちんと出来るかどうかは言えないのです。
よく例えで「美人は大変だよ、って言ってる人はブスと交換すればいい。でもそれはしないでしょ。」という理論があり、聞いた事があると思うのですが、それは「日本は大変だよ、って言ってる人はアフリカと交換すればいい。でもそれはしないでしょ。」という理論と変わらないと思います。
両者とも当然「嫌だよ。」って言うと思うんですけど、取り替えなければいけない理由が何もないわけです。
よって空論なわけです。
つまり答えようがないのです。
ちなみに自分は歳も取っていますし、肥満系なので美人のカテゴリーには入れない方です😝
陰キャと陽キャの比較もそうですが、どこにいても性格や生き方は多分かわらないのです。
陰キャがアメリカに住もうと結局パーティーには誘われないし、陽キャがフィリピンに行けば毎日愉快に楽しく過ごせるのではないかと思います。
生まれつきの性格は「三つ子の魂百まで」で変わらないと思います。
何とも言えませんけど。
何が不幸で何が幸せなのか?というのは、自分が決めるしかないんです。
だから「自分は何があっても幸せになる」と決める事なのです。
^^
ケンチャナヨ、で生きていく(・∀・)のです☆
🌹