すべての個人は、意識が人工的に創り上げているものですが、だからといって自然ではない、ということではありません。
しかし、本来のあなたは、肉体的な存在ではないのです。
この物理的な次元は、私達の意識が表現できるほんの一部です。
自分はスピリチュアルな見方をしていますが、「本来のあなたは、肉体的な存在ではないのです。」という部分について、深く掘り下げたいと思います。
スピリチュアル的に言うと、「肉体」はあくまで一時的な「乗り物」に過ぎず、「本来のあなた」とは、それを体験している意識そのものだと考えます。
たとえば「私は自分の体を見ている」と気づくとき、その”気づいている主体”こそが「本来のあなた」なわけです。
幽体離脱っぽいですね。
たとえば「人生とは」というテーマで語り合うとき、各々が違う事を語りだす、という事です。
「本来のあなた」とは肉体的な存在ではなく、「魂=スピリット」であり、肉体は物質世界を体験するために一時的に使っている乗り物だ、というのがスピリチュアルな考え方なのです。
ぶっちゃけ言うと
見た目がなんとか。
って事だと思います。
整形詐欺もいますけど、見た通りの人がその人である、という事だと思います。
いくら見た目が良くても、闇落ちしていたら幸せになれないのですけども、要は人間社会のルールというのは、一番理にかなった決まりであったのだと思います。
人間は黒人であろうが白人であろうがやられたら嫌だという事は変わらないわけです。
結婚制度もお互いを裏切り合わないように縛る為の決まりであり、そうする事が人にとって一番幸せに生きられる生き方であったのだと思います。
そうでなければ、美男美女に人が殺到してカオスになってしまうからです。
浮気もまかり通り、子供が上手く育つ環境にならなくなってしまうのです。
例外もあるとは思うのですが、人として愛情を与えられて育つという経験は大人になっても影響をしていくものだからです。
自分もそうなのですが、親にあまり愛情を与えてもらえなかった人というのは、「自分は幸せになってはいけない」という縛りを自ら作ってしまう事があるのです。
いやいやいや。
そうではなく幸せになってもいいのです。
自己中心的ではなく、逆で、自分が幸せになる事によってまわりにも親切を与えられるようになれるのです。
ですので、人より最初に自分から幸せになってしまえばいいのです。
ですが、何故それをみんなしないのかと言うと、
「自ら不幸せの方向に行っているのに、幸せになろうとしている人の足を引っ張る人がいる」
からなのです。
幸せ不幸せは自分で選べるわけです。
不平不満を言う人は「今日食べられた朝ごはんやお茶」に感謝をしないで、「あの人のあれはズルい」というような考えをするのです。
人が得をした、という事ばかりに目を向けるのです。
改めてもう一度言いますが
「幸せになる事も不幸せになる事も自分で選べる」のです。
百歩譲って、自分が不幸せになるのを選ぶ事を自由だとしますが、その人に関係のない幸せになろうとしている人まで巻き込むのです。
実際そうなのです。
^^
「幸せになりたい。」
そう思えばいいのです。
人の事はこの際どうでもいいのです。
自分が幸せになるという事を考えた方がいいと思います。
☕
🇰🇷
韓国旅行の続きです☕
〜韓国旅行をして🇰🇷〜
自分は激安ツアーだったのですが、