自己否定について。
この文明では「憎しみ」「愛」の反対語だ思われていますが、それは愛の反対側ではあっても、反対語ではありません。
真の愛の反対語は「罪悪感」です。
私の異罪悪感とは、なにかバランスが崩れたときに、それを直さなければいけないというところからくる自然の罪悪感ではなく、自分自身の存在そのものを否定するような罪悪感のことです。
どんなに小さな「否定」だとしても、です。
ちょっと重苦しい雰囲気が漂って来そうな暗い言葉「罪悪感」。
罪悪感に勝てる人間がいるのか?
人には三大欲が基本的にありますので、お腹が空いたら食べてしまうし、眠ければ寝ますし、物質的に満たされたいから、衣食住も拘ります。
人にあげてたら、取り分が無くなって生きていけません。
したくはない争いをする事もあるでしょう。
でも、争いというものは勝っても負けても虚しい空しいものです。
自分が負けても嫌ですから、負かしたとしても後味は悪いでしょう。
そういう時に罪悪感って出てきます。
あそこまで突っ込むべきではなかった、でも言わないとこちらが負けてしまう、だから言う、といった過程を経て行動したあと結果は出てきます。
自分は結果も大事なんですけど、どういう動機でどういうビジョンを持って、ビジョンっていうとカッコいいですけど、要は信念、自分が信じてる想いを貫いたか?が大事だと思っています。
カッコつけてますけど、小心者なので、やっぱり結果が出るまでビクビクしていますね。
今まで経験しなかったものを体験するんですから、「大丈夫かなあ、震え」となりますよね。
自己否定についてはここでは語り切れないので、何回かに分けて考えて行きたいと思います。
重苦しい罪悪感がみなさんから消えますように。