みなさんの人生が、痛みや苦しみ、疲れによって満たされている時、それは本来の自分自身以外の人間に一生懸命なろうとするところからやってきています。
自然な自分にならないように抵抗するとき、すべての苦しみ、痛みがやってくるのです。
メンタルな、意識的な、理知的な痛み、精神的な痛み、感情的な痛み、肉体的な痛み、すべての痛みはそこからやってきます。
みなさんの自然な部分は、この創造の中に完璧に定着しています。
みなさんは、自分と他人は別の人間だと見ているかもしれませんが、「創造」はまったく区切られていない、100%均一なものなのです。
自分から見て、なにか自分とは違う、分離されてると見るとき、それはみなさん自身の解釈を通して起きています。ここにパラドックスがあります。
ちょっと何を言ってるのかわからない。
情報が多すぎて混乱中です。
洋楽プレイリストを聞いていましたが、カフェミュージックに変えました。
カフェってゆっくりした音楽と一緒にお茶をいただく贅沢な潤い時間ですよね。
BGMとしては、頭を使わないといけない時は人の歌声が入っていないほうが集中的作業できます。
洋楽でも聞いてしまう自分がいて、どんだけ英語のヒヤリングをしたいんだよ?っておもってしまいますね。
食事する時はむしろアーチストが張り叫ぶようなBGMは向いてる感じがします。
一人でご飯を食べる時に無言でも何かをつけて聞きながら見ながら食べる人の方が多いと思います。
話しは反れましたが、少し腑に落ちるまでぼんやりしたかったので。
本題に入ると、自分以外の者になろうとするとき人は痛みや病気や苦しみ、疲れ、を体感するそうです。
例えで言うと、流行だから、みんな同じ場所に行き、同じ服を着ても、(実はここ、居心地悪いんだよなあ)とか、(自分は流行しててもチェックは好きではないんだよなあ。)って思ったりする方もいると思います。
個人の好みというのは100人いれば100通りの個性があるので、たまたまあわないってだけな気がします。
でも、だから、どうすればいいの?
100円均一というのを事例にしてみます。
今喉が渇いていたら、ペットボトルのコーナーに行き、その中でも一番飲みたい物を手に取ると思います。
ボールペンが必要だった時には文具コーナーを見ます。
人によっては、油性水性、黒いのか、色付きなのか、細さは0,3㍉とか、0,7とか、種類があるし、デザインも好みがあると思います。
食器を洗いたいならば、食器洗剤を買うでしょう。
コスメ好きはコスメを購入するでしょう。
コスメ意外でも何でもありますよね。
人は同じ時間の中にいるけれど、みんな同じ行動は取っていません。
自分に必要な物を決めているのは自分だとい.うのが真実なようです。
好みが一致すれば問題はないんですけど、「人が持ってる物欲しい病」を発症される方がいます。
そういう時に、ミスリードが起こるのではないでしょうか?
自分で考える事を放棄した人は人と同じモノで安心したいのです。
でも、自分が言いたい事は、自分のワクワクは誰とも同じモノではない、ので休みがある時に、ゆっくりとした時間をつくり自分だけのワクワクを見つける事が一番の成功成就になる扉なのです。
そもそも、みんな同じモノでヨシとする方が個性がなくて面白くないなー。
人のモノを欲しがる人って失敗をしたくないから手っ取り早くタダ乗り計画をするんでしょう。
自分の意見ですけど、それは良くないと思います。
平等に創造物を作れれば作れるのです。
他人の創造物は他人のモノです。
自分で造れるのです。!