「意識的な夢の時間」が近づいてきています。
その中では、自分が好んで体験したいものは、すべて実現化することが出来ます。
自分が宇宙とまったく繋がっていない、いつも宇宙の慈悲の中でやっと生きているのだ、というところから抜けられます。
すべて、無限の存在は、いろいろな形で表されます。
そして、すべての「個」は、全体をも含んでいます。
福音書ですか?
終末説はどうしてみな同じような天国と地獄論があるのか?
閻魔大王が審査して天国に行ける人行けない人を振り分けるとか?
表現の違いはあっても実際に存在してるからこその説だと思っています。
でも実際に行った記憶はありません。
消されているのか、忘れてくるのか、あっても思い出せないのかわかりません。
高校生くらいの時に昭和っ子だったので、デパート行くのが、オシャレ的な休日の過ごし方でした。
歳を隠さず言えば、おニャン子クラブが流行っていまして、(セーラーズ)という
服のブランドも彼女達が着ていて、いとこのお兄さんも買っていました。
DCブランド、いわゆるデザイナーズブランドが大流行した世代のバブル時代の人間です。
といっても、田舎にバブルなど起きる事はなく、ただ流行ってるアッシー(車持ってて送り迎えしてくれる男性)やメッシー(ご飯をご馳走してくれる男性)みたいなノリは、田舎にもありました。
ブランドも親戚、学校の友人、他の人々にも広まっていました。
私もマルイのバーゲンセールでは、万単位で買っていました。
物凄い数のブランド名も、当時は当たり前のように知っていました。
疎い自分ですらそうでした。
話は元に戻ります。
セーラーズの服を着る?ともらった事があります。
いとこのお兄さんに、です。
「着るー」と言って貰ったときの嬉しさ。
男性用だったので、大きかったのですが、嬉々として着ていました。
みんなで集まるバーベキューの時や、塾など。
デパート行くのがオシャレというのは、西武にセーラーズがあったんですね。
私は学生だったので見るだけでした。
おじいさんの妹、いわゆるオバさんに偶然出会って、西武で黒地に白い水玉模様の、短直に言うとドット柄のタンクトップをねだったら買ってもらい、嬉しくて嬉しくてどこに行くにもドット柄のタンクトップでした。
何故タンクトップかと言うと安かったからで、理由は特にありません。
人間なんてお気に入りひとつあれば、どうにでもなると思います。
異常に着てました。
自分が気に入っていたので、あればかり着てると思われてもナントモ感じません。
むしろドヤ顔で着ていました。
若かったので、それなりにバイトして服もたくさんありましたが、買って終了みたいな物もあったかもしれないです。
デザインが奇抜なものは好んで着ていましたが、なんせ16、17,くらいは黄金時代です。
何を着ててもチヤホヤチヤホヤチヤホヤしてくれました。
自分にもそういう時代があった事を忘れていました。
バイトで先輩がいきなりお金をくれようとした事もあります。
お茶でも飲んできな、と。
いいです、って断ってしまいましたが。
もらっておけばよかったのか?もらってよかったのか?わかりません。
それだけ若いという事は、価値あることなのでしょう。
奢ってもらうのも当たり前でした。
今思えば傲慢だったかもしれないです。
いとこが優しい子で、いつも全部奢ってくれました。
服も彼女さんがいっぱいくれて、面倒見が良い子で、マジで感謝しています。
いとこにはステレオも貰ったし、送り迎えはしてくれたし、いつも奢って貰ってたし、神だったな。
お兄さんとか、弟とか、お姉さんが欲しかった時期もあります。
お姉さんは自分の前にいたのですが、産まれてすぐに亡くなってしまったようです。
だから、私は実は凄いワガママっ子でした。
傲慢だった時期もありましたよ、というお話しは置いておいて。
スピリチュアルや、ヒッピーみたいなモノは本当の事もあるし、嘘もあると思います。
知ってても活用していない、出来なければ、宝の持ち腐れです。
陰謀論、終末論、統合。
悪く転べば致命傷です。
天才と狂人の区別がスレスレで、一歩間違うと、という世界です。
それは、講座を受けたから明日からは違う自分になれるとは限りません。
コツコツの努力をしないといけないのです。
そこに到達出来る人が極端に低い。と思いました。
だから人間は何回も輪廻転生をして成長するのでしょう。
上がいれば目指すじゃないですか。