すべての個人は、全体を、その特殊な方法の中で100%表現しています。
ワクワクする感情の中では、そのすべての部分がひとつに溶け合うことができるのです。
しかし、だからといってその瞬間に、みなさんの足元から地面が言える必要はありません。
ただ、みなさんが生きていく中でその状態を「道具」として使うことはできます。
それによって、自分自身を否定してる部分を取り去ることができます。
他の人を否定するものを、切り捨てていくことができます。
本来の自分自身を表現して、情熱に満ちた生き方ができます。
怖れをなくして、本当に自分自身のすべてをエンジョイすることができます。
今日は、自分の持っているアンドロイドから、グーグルクロームブックに変えて書き込んでいます。
クロームブックの良い所は、携帯と連携してくれるところです。
最初はびっくりしましたが、このクロームブックが壊れてもまたクロームブックを使いたいです。
アンドロイドで書き込む文章は大変です。
指で違う文字を押してしまったり、すぐ消えてしまうし、クロームブックはその心配がないだけで、考える時間もできますし、消える事もなく、何度も書き直す必要がありません。
スマホで簡単、というのはとても入りやすかったですが、画面を見ながら書き込むのは楽です。
前置きが長くなったのは、あまり取り組みたくない話だったからでした。
ちょっと意味がわかりませんが、自分なりに解釈していきたいと思います。
個人には個性がある、まあそうですよね。
ワクワクする感情の中では、そのすべての部分がひとつに溶け合うことができるのです。→うーんと、泣く時ってあるじゃないですか、その時って感動して泣く場合、走馬灯のように色んな思いが思い浮かびませんか?
人や出来事や、関わったものや時間自分とそれとの関係、死ぬときもそうなるみたいなので、それは快楽って事?
大雑把に説明すると、地元サッカーチームが勝ちました、ばーってみんな走り出して大騒ぎ、サポーターも大騒ぎしたり大泣きしたり、歓喜の瞬間。
思い出すだけで泣けてきます。嬉しい気持ちというか、喜びの時というか。
あの瞬間を味わった経験があることはニワカサッカーファンでも幸せな瞬間でしょう。
〜努力が認められて勝ち取った勝利〜
何なんですかね、パワーワードしか入っていませんね。
全部肯定言葉ですよね。
選手達が、暑い日も寒い日も練習して、個人技を磨いて、周りのスタッフ、フロントの方たちが走り回って、準備して、会場を作って、観客、サポーターが結集して応援する、一体になる感じといいますか、ひとつになってる感覚。
喜びというのは自分だけが喜んで終了というわけではないのでしょうか。
周りの協力があって、助けられて、励まされてもう少し頑張って、くじけて落ち込んで、頑張って、の地味な行動の繰り返しが結果を生み出す。
成功者ならば誰もが通ってきた道なのではないのでしょうか。
道は前にあったかもしれない、でも自分がまたその道を歩く事はその人とは同じではない。
自分の道を自分らしく歩いていこう、それだけで成功するんだし、みんなと溶け込める、のではないかと思いました。