すべての人は、自分の欲しいものを創造することができます。
自分自身や他人を傷つけることなく、それができるのです。
何回も書き込みしてしまうかもしれませんが、私が初めてこの理論に触れた時、これは真実だと思いました。
私はそれを信じたんですね。
信じることに証明は要らない、というカッコつけた言い方をしてしまうのですが、信じてたけど裏切られた自分もかなりいまして、たくさん失敗をしてきました。
失敗は人並みにあると思います。
でも自分もみなさんも乗り越えて来ていますよね?
今生きているんですから。
駄目なら死んでいますよね。
自分も大人になって子供時代を思い起こし親は何もしてくれなかった、とか、親の躾が酷かったとか、過去の辛かったこと、忘れられない悔しかったこと、悲しかったこと、いつも親のせいにして生きていた時期もありました。
スピリチュアルでいいますと、子供時代の時というのは、自分の前の前世によるカルマが関係しており、何も出来ない子供時代には、親の保護のもとで生きていくしかないので、嫌いなおかずや、嫌いな家族のやり取りなんかを我慢しなければいけない時期であるようです。
でも、成人して、独立をすれば、親のカルマは消え、自分のお金で何でも出来るようになる、といいます。
真実かどうかはわかりませんが、私はそうだろうな、とか、納得、という感じで捉えています。
たまに子供時代の酷い思い出を捨てられずに大人になってもまだ親が親がって言い続けてる人っていますよね。
私もそうでした。親を憎んで恨んでいかに自分が可哀想だったのか、散々嘆いていました。
嘆いた挙げ句心療内科にもお世話になりました。
初めて心療内科を訪れた時に、ただただ声を殺して泣くしか出来ませんでした。
こういう所に来た安心感と、虚しさと不甲斐なさ、今までずっと我慢をしてきた物事が一気に吹き出てきました。
カウンセリングを受けるようになり、カウンセラーと一緒に心のあり方を探していく時間を作ることになりました。
ここで学んだ事は、自分は実は強い人だったんだ、ということかなあ。
親の話を言い続けていたら、誰を責めていいのか分からなくなってしまったのです。
カウンセラーはとにかく場数を踏みましょう、とか、終わったことはもういいにしましょう、とか、向こうはこちらが思ってるような風には思っていないかもしれない、相手には相手の事情がある、というようなことを、よくよく言い聞かせられたように思います。
親もそういう事は言ってくれてたりしたのですが、自分が聞く耳を持っていなかったのもあるし、言い方が侮辱を含めた嫌味な感じだったので、正論を突っぱねるみたいな感じで真面目に話を聞いていなかったこともあるかもしれないです。
私がなんとか生きてこれたのは、マーフィーの法則とバシャールの理論があったからです。
こういう界隈はだいたい踏んで来てるとは思いますが、バシャールをYou Tubeで知った時の衝撃は目からウロコで、かなりはまり込んでしまいました。
宗教ではなく、ニューエイジという分野だったのですが、これもまたエンタメ的な部分は否めませんが、楽しめればOKくらいのノリで生きていったほうが楽しいです。
宇宙にはいろんな知らない世界があるのか〜と、子供のようにバシャールを見ていましたね。
スピリチュアルと潜在意識の法則は似ています。
どっちがどっちと言えないのですが、生活に直接影響を受けるのは潜在意識の法則でしょう。
バシャールはなんというか、結果良くなる、みたいな時間のタイムラグはあるのですが、自分探求においては、確実に効果がありますね。
これをいうと怒られてしまいますが、カトリックを信仰していましたが、もっと上の世界を知りたくなって縁遠くなってしまいました。
なんでも神様のせいに出来ないし、その先がないことを薄っすら感じ取ってしまったからだと思います。
自由って退屈だったり、何もない、ので、もっと刺激が欲しかったのかもしれません。
何か指針が欲しかったのかもしれません。
それは生きて行く上でとても必要な物だと思うので、間違っていないと思います。
親があれだし、みたいな人は親も頼れなくて自殺者も多くなって来ているわけで、大勢いるところに集まってれば安心、な所はあるでしょう。
魚の群れも、うさぎも、小動物はそうして生きています。
自由であることに喜びを感じる。
そういう生き方をしている人は実はあまりいないはずです。
必ず会社の組織の中にいたり、一人山奥に畑を作って全部自分でやってる人はいないのと同じで、人とのかかわりを好む好まずにかかわらず、縛りは発生するものです。
自分もかなり縛っていますし、縛られています。
それが安心だったりします。
もし自由だからどこに行ってもいいよ、と言われても自分の存在を捨ててハワイやプーケットに潜伏、みたいな事はできないでしょう。
自分が言いたいのは、自由度が大きければ大きいほど出来ることも大きくなる、ということです。
器、といえばわかりやすい。
幸福度も器が大きい方が上がります。