みなさんは、この三次元の現実を、頭の中にあるいろいろな分離したものの表現として創り上げています。
そして、普段の生活を、いろいろに分離した形で定義付けしています。
たくさんの違うラベルをつけることによって、それぞれに違う定義付けをしているのです。
例えば、人間は人間、スプーンはスプーン。
そういった定義付けをしているときに、お互いのものがひとつになれずに分離したまま残ります。
その状態は、あるものをひとつの決まった方向からしか見せてくれません。
黒人白人黄色人種と私達は区別をしていますが、白人はこうだ、とか、黒人はこうだ、とか思い込みをすることによって分けている部分はみんなに必ずあると思います。
自分が初めてロサンゼルスの空港に行った時に、一緒にランチしない?って声をかけてきたのは、白人女性でした。
成田空港でお財布を無くし、(いきなり)体中の血液が引いてしまいまして、結局あったのですけど、アメリカは怖いよっていう思い込みがあったために、女性に声をかけられた時は日本人男性に助けを求めたり、(そこまで海外旅行ブームではなかったので、ビジネスで来てた男性だったと思います。)
中国人男性にも声をかけて、追い払ってもらったり、(でも頑として帰ってくれず、BE CAREFULとだけ言い残して行ってしまいました。)
空港で働いてる女性に助けを求めまして、しばらくしたらいなくなってくれましたが、その後車でどうのこうのって言われたので、ついていったら、身ぐるみ剥がされて放置されたかもしれないです。
お金はトラベラーズチェックで持って行き、現金はあまりなかったと思います。
お昼の時間を割いてくれた女性の空港関係の方に今でもお礼が言いたくて仕方がありません。
私達はイメージによって思い込んでいる事は意外にあると思います。
お友達とロサンゼルスに旅行した時があり、最後の帰りの日の前日、歩いて街の中心に行きお土産を買おうと寒い中歩行者道路を通った時に、中心地まで少し距離があったんです。
まあ、アメリカは歩いてすぐにコンビニがあるという立地ではないので、歩くことにはなるのですが、帰りの道で、白人男性が一人で歩いて来たんです。
アメリカは、夜は出歩かないという習慣もあるし、寒かったので、一人で歩くというのはあまり考えられません。
12月でした。気温もかなり下がって、ホテルから直進で歩いただけなのですが、最後の日だったこともあり、買い物に行きたい欲が勝ってしまい、歩いた私達もおバカだったのかもしれませんが、ちょっと怖かったので、緊張してしまいました。
危ない人で雰囲気がちょっと独特だったので、お願いだから話しかけて来ないで、って目をつむりながら歩いた記憶があります。
街まで行ったら、普通に街だったので、買い物も楽しんできましたけど、すれ違ったのが、行きなのか帰りなのか、覚えていません。
一目散に帰ったように思います。
帰りか!
広い道路も車しか通っていなく、夜は人がいなくなります。
ホテルの近くだから、同じホテルに泊まっていたのかもしれません。
散々夜は出歩いてはいけない、というのを知ってたのに行ってしまった自分がはがゆかったです。
でも、楽しかったには楽しかったのですが、普通に華僑さん達が自国で作った自国製品をアメリカ製だと●●って、売ってたような店がたくさんあり、誇大広告というか、本当のアメリカってこんなものなんだろうなって思ってしまいました。
ドラッグストアで、トリートメントが2ドルで買えた時代です。
日本円が強かった時代ですね。
華僑さんのお店は、アメリカなのにアメリカじゃない的な寂しい気持ちになったりもしました。
私がアメリカでヒットしたのが(ダサカワ)です。
中国製品の安さがモロわかりで、デザインも割りと子供騙しで、ダサい。
自分は、服や、雑貨を買い込み、自宅に帰ってからは、ダサいセーターを着まくっていました。
どのくらい着ていたのかと言うと、結婚して子供が園に入った後まで着ていました。
アメリカに行ったらまた是非ともそのダサカワセーターをゲットしたいです。
母からも、何、安そうなセーター着ちゃって、とか言われました。
ダサさがいい。…
普段自分のサイズがないので、頻繁に服を買ったりしないんですけど、自己満足で喜々としてダサカワセーターを着てた懐かしい時…
惚れたら負け、の典型的な例ですね。
あまりにボロくなって泣く泣く捨てました。
中国製の安いキッチン用品を(鍋置き、鍋つかみ、タオルのセット)おばあさんが大事に使ってくれていて、安かったのに申し訳ないーと思いましたが、おばあさんもヤスカワのツボに入ったからだと思います。
デザインが日本では買えないようなものだったから珍しくてハマったという感じでしょうかね。
街の通りが中国人ばかりで、カリフォルニアの海岸通りのようなアメリカを想像してたら、かなりガッカリするけど、その頃の時代はやはりみんなアメリカを目指して移住してきた時代だったのではないかと思います。
華僑なんて教科書でしか知りませんでしたので、本当にいるんだなあって感慨深くなったりしました。
そういう経験から自分は中国人をそんなに悪く思っていないのです……
人種で差別する事はやはり自分は悲しいと思います。
自分の考えなので、同意を求めているわけではありません。
でももし、国の国境もなくなって、自由に行き来出来て、みんな仲良く出来る世界が出来たら?
差別も無くなって、どこに住んでも良くて、言語はどうだろう、翻訳機で会話出来て、自由に恋愛出来て、好きな学校に行って旅行して遊びに行って、なんて考えたらワクワクしますよね。
偏見であればあるほど、窮屈な考え方になっていきます。
自分以外を認めない人達です。
でもやっぱり視野を広げたらいろんな人と仲良くなれる。
仲良くなれる、というのは友達になる、という意味ではなく、日常に色んな人々に接触出来る、という意味です。
分離して分離して自分しかいなくなった、なんて寂しいです。
視野を広げて世界に目を向けてワクワク生きていく。
そういうのっていいなあって思います。